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裁縫ができないという退化であり進化について

次男の入学式が近づいていて袋物を縫わなきゃいけないのに、テーブルの上には布と紐が転がってます。
私は裁縫が全然できません。ミシンの使い方も、布との向き合い方もぜんっぜんピンときません。でも実母はできます(世代か)。
今の時代、GUもユニクロも安価で機能的で丈夫でおしゃれな服をたくさん作ってくれるから、服を縫う必要がなくなってしまいました。本当は袋物だって、私が手作りに拘ってるだけで、出来合いをイオンで買えばよいだけの話。

でも私は、実母が使えないエクセルとワード、パワポは使えます。

裁縫ができないのは、社会の変化に伴う進化としての退化なのだなーと思います。平安時代に超重要だった和歌のスキルが、今生きる上で全く必要ないように、わたしの肉体の中で社会の変化に伴う進化のような退化のような何かが蠢くのを、そして自らが歴史の流れの一点であるのを感じるのです。裁縫をやろうとすると。大袈裟に言うのならば、きっとそういうことなんだろう。かしら。

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