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僕の障害ってなに???(身体編)

皆様こんにちは。二か月ぶりの投稿になりました。寒くなってきましたね。

さてさて、今回は私がどんな奴で、ちっぽけながらどんな人生をうだうだ送ってきたのか。自分でも振り返りながら書いてみようと思います。

あ、最初に言っておきますが・・・。

かーなーり重い話が連続するので見たくない人はスルーしてくださいね。

・そもそもどんな障害者なの?

私の障害は大きく3つ、身体障害精神障害、そして大人の発達障害グレーゾーンの3つです。ひとつずつ話をしていきます。

・身体障害

私の身体障害は「先天性の脳性麻痺による体幹機能障害」と言います。
長い名称でしょ?私自身、役所や病院の問診票に「既往歴」を書くときに
「長っげぇなぁ、まったく」と自分でも思います。

まず先天性とはいわゆる「出生した時からもともと抱えているもの」という意味です。対義語として健常な方が何かしらの理由で疾患や障害を患ったものを後天性と言います。私の場合障害を抱えてしまったのは早産と出生時に仮死状態だったから。通常人間の子供は母体のお腹の中に10か月いるものですが私は7か月目の時、母子ともども危険な状態になり帝王切開で生を受けました。今となっては「生まれる時からすでにせっかちな性格だったんだろうな」と笑い話にしていますが生死を彷徨ったんだなと思うと言葉にできないものがあります。さて医師や看護師さんの処置のもと何とかこの世に生を受けた私ですが私の呼吸は止まっていました。ここでも医師や看護師さんの懸命な蘇生術と、仕事に出ていた父親が急遽病院に駆け付け血液を提供してくれたことで私は生き返ることができました。しかし心拍が戻るまで脳に酸素が送られなかったことが原因で左半身に麻痺が残ってしまい現在に至ります。バランス(体幹)をとることに難があるため体幹機能障害という障害名がつきました。身長は35cm、体重980g出生時の私の身長体重です。学校で配られる竹の30cmものさしに少し勝り、スーパーに並んでる1ℓの牛乳に負けるそんな赤ちゃんでした。すぐに保育器に突っ込まれ健常な新生児と同じくらいの身長体重になったところでやっと退院です。しかし試練はここから。「あれ?なんかおかしい?」母親の直感で検査を1歳半の時に受けて障害があることが正式にわかりました。今でこそ一人でフラーッとどこにでも行く私ですが、その時には「この子は歩くことは無理でしょう」そう告げられたと聞きます。しかし「少しでも状態は良くなれば」と家族があれこれ手を尽くし5歳の時に手術を受け、リハビリを重ね歩けるようになれました。

私ね、初めて何も掴まず一人で歩けたときのこと25年近くたちますが今でも鮮明に覚えてます。祖母と母が喧嘩かなんかをしてた時だったんですが「二人ともやめなよ。」確かそう言いながら母たちのところに向かった気がします。距離的には1mもなかったんじゃないかな?視界に何も持たずに歩いてくる息子(孫)を見た瞬間二人は争いをすっかりやめてしまい「タクディが歩いてる!!」と。ハイジの「クララが立った!」あんな感じです。

一番びっくりしたのが母親が号泣してるんです。母は私なんかとは違い
若い時からどんな荒波にも耐え一本木で曲がったことが大嫌い。泣いたところなんか見たことないくらい。そんな母が泣きながら私を抱き寄せたんです。そこからだいぶ月日が経ちますがあんなに泣いている母を未だに見たことがありません。たった一人の子供が重い障害を持ち歩けないと言われたのに歩いた。その時の母の心境どうだったんだろう?私にはわかりません。

そんなこんなで今どこにでもフラーッと出かけるタクディが出来上がったわけでございます。

ふだんは外出時には歩行杖を使っています。杖にもT字型、ノルディックスキーに使うようなタイプ、4点支柱タイプなどありますが私が使うのはわっかに腕を通し支えるタイプ(ロフストランドクラッチ)を使っています。
私なりの拘りですが「色を派手目なものにすること」私は青色を選択しています。幼少期の時に使った杖が青かピンクしか色がなく、男の子だからと青にしたのです。今のものはだいぶカラーバリエーションはあるんですが、色が目立つと人と待ち合わせる時、特にタクシーを手配するときに「何色のシャツ」「眼鏡」と書くより「両腕に青色の杖を持っています」と書いておくとすぐ拾ってもらえます。「あんちゃんみたいに特徴書いてくれたらありがたいな」とよく言われます。

もうじき30歳になります。足は上がりづらくなり走れませんが動けるうちは色んな場所に行きたい。そう思っています。


次回は精神と発達について書いていきたいと思います。

では、またお会いしましょう。






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