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テキストと音声の反復横跳び


こんにちはPodcast「tacast」放送主のTacigawaです。

今回はnoteを始めてみて数日。

少ない日数ですが、

すでにPodcastの方への影響を感じられたので

それについて書こうと思います。

まず、一つ目として、

ありがたいことに、ここ数日で私のPodcast「tacast」のダウンロード数

が非常に伸びております。

厳密には違いますが視聴数と考えてください。

もちろん「誰が」「どのように」聞いていただいたのかというのは我々配信者にはわかりません。

なので、

以下 はただの身勝手な信用になります。

noteの方から聞きに行ってくださった皆様、

本当にありがとうございました。

そして、初めましてが便所Podcastだったことには本当に申し訳ない。

しかもネタが便所飯て…

あぁ、私のPodcastが嫌いになってもPodcastのことは嫌いにならないでくださいッッ

以上

ともかく「リスナー数が増えた」というのが一つでしょうか。

と、いっても一過性のものであると思われます。

一度聞いてくれた人を引き続き引き込むのは

その人の技量次第ということで、

まだまだ私は経験・技術ともにまだまだのようです。


二つ目としてやはり「話しやすくなった」というのがあげられます。

もともと、1日2回各40分間学校への通学中に録音をしたものを配信する

「MY朝tacast」というものをしていました。

バイクの運転中に録音していたのもあり、

すべてアドリブで録音をしています。

その為、少しはアドリブに強くなった気がしていたのですが、

やはりそれはそれ、これはこれ。

「noteに書いたことをもとに話す」

「noteに書いたということを話す」

「noteに書こうと思っていることを話す」

一つ一つ全然違うのですが、

やはり言いよどみやつなぎ言葉の量などが減ったように感じます。

一度、前のアドリブ録音とnote経由録音で

どれほどつなぎ言葉が減ったのかを計測してみるのも面白そうですね。


三つ目として、「違った方法で考え続けることが出来る」ようになった

ということがあります。

タイトルにもあるとおり、

テキストと音声を行ったり来たりすることによって、

より物事に対して深く考えを掘り下げることが出来ているように感じます。

あえて名づけるならば、

「ライティング思考法」と「Podcast思考法」

をそれぞれ行ったり来たりしているということでしょうか。

「考えるために書く」「考えるために話す」

「考える」という部分は同じなのに「書くのか」「話すのか」

によって同じ事柄でも最後の結末が変わるような気がするのです。

使う道具が違うような感覚です。

そのため、そのどちらか一方ではたどり着けなかった領域まで

思考を巡らせるとこが出来ているのではないかと。

例えで言うなら思考するのを土を掘るのに見立てると、

書くことはドリルで土を少しづつ削りながら掘る。

話すことはパイルバンカーで土を割りながら掘る。

というのが現在の私のイメージです。

ドリルでは開けられない部分を

パイルバンカーで無理やりにでも突破できるし、

制御が難しくどこへ行くのかわからないパイルバンカーで掘った穴を

ドリルで修正することもできます。

…少々無理やりな例えだったでしょうか?



他にもあるのですが、

長くなりそうなため今回はこの辺で


ちなみにほぼすべてのPodcastアプリケーションには

気に入った配信があれば登録をして

その人が配信したもののみを表示することが出来る機能があります。

YouTubeにおける登録チャンネルと同じ機能ですね。

もちろんお金はかかりませんのでよければそちらも是非。


Podcastをやっております。

良ければ是非

以下、私がお世話になったa4w准教授とのインタビューです。

以上


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