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家 族 の 条 件 〜幸せをつなぐ道のり〜 「プロローグ」全文テキスト(PDFダウンロードもできます←本文最後)



私を世界一幸せな男にしてくれた妻
幸に捧ぐ…
 
家 族 の 条 件
〜幸せをつなぐ道のり〜
「プロローグ」

たかきーと「おぎゃ〜!」
 
あなたは、この世界に生まれ落ちたあの日のことを、覚えていますか? もしかしたら、マイペースな子はすぐには、おぎゃーと言わなくて、背中をペンペンってされたかもしれません。あなたが真っ赤な顔をクチャクチャにして、全身の力を絞り出すように「おぎゃ〜!」って、声を出したとき、あなたの家族はみんな息を飲んで、待ちに待ったあなたの誕生を心から喜びました。まだ胎脂まみれのあなたを、その腕に抱き寄せて、顔を覗き込み、目尻を思いっきり垂らして愛おしんだはずです。 
 
 
あなたがさっきまでいたお母さんのお腹の中は温かくて、守られていて、とっても居心地のよいところでした。それが、地球に顔をのぞかすとなったら、産道で頭をギュウギュウに押しつぶされそうになったりして、必死の思いで出てきたというのに、いきなりまぶしいし、寒いし、今までとは勝手が違いすぎます。いきなりの試練が、息を自分ですること。どうなってるの? わからないことだらけ。パニックで、思わず泣き叫んでいました。そうしたら「肺呼吸」ができちゃった。助かった! 地球で生きていくには、ここの『システム』を学んでいかないといけないらしい…。とりあえずこうして、わたしたちは地球初日の第一関門を突破しました。 
 
   
赤ちゃんのあなたがやってきてからというもの、あなたの家は毎日賑やかになったのではないでしょうか? おっぱいにしゃぶりつきたくなったら、とりあえずでっかい声で合図。お母さんの気持ちいい胸に抱かれて、いい気分です。眠気がきたら、また泣いとこって、ひと騒ぎ。お父さんが慣れない手つきで、なでなでしてくれました。声を枯らして泣き叫んだら、眠くなって、一休み。人肌寂しくなったら「抱っこして〜」って夜中でもお構いなく泣くし。わがままっぷりは、王様レベルだったと思います。それでもみんなが「可愛い」って目を細めて、手をかけ、愛情を注いでくれました。
 
 
でも、逆にお母さんが寝不足になっちゃうかなとか、今声かけたら悪いかなとか、いらぬ心配をしてオドオド挙動不審な赤ちゃんがいたら、どうでしょう? おっぱいが欲しくても、おしっこでおしめがびちょびちょで気持ち悪くても、ただひたすら両目をつぶって、口を真一文字に結んで、大便まみれになって、寡黙に空腹に耐えている赤ん坊…。
 
 
赤ちゃんが周りに気遣いして縮こまってしまうなんて、誰も望んでなんかいません。でも、これが大人になっても、本性丸出しで生きようとすると、やれ「ワガママ」だの「大人なんだから周りの迷惑も考えなさい」だの「自分勝手に振る舞うのはいい加減にしなさい!」だのと言われ、周りにとって「目障り」な態度を改めるよう、多少の圧力を感じるようになります。
 
 
いつの間にか、やかましかった口をつぐむようになり、好き放題していた態度を改め「こうしておいたほうが周りをイラつかせなくていいかな」という術を身につけ始めます。空気が読めることが大人かのように、信じ込まされていきます。そしてやがて本当の自分の姿を上手にオブラートに包むことを覚え、カメレオンになりすまします。それが恒常化してしまい、いつの間にか自分自身ですら「自分が何者なのか」「自分がどうしたいのか」よく分からなくなってしまうのです。動物園の狭い檻の中に連れてこられたライオンのように、すっかり大人しく気弱になって、生きる目的も闘志も湧いてこず、ガオーと大きなあくびをして昼寝をして毎日を過ごすのです。
 
 ⬜︎ 裸で母の胎を出た

私は裸で生まれてきました。あなたもそうだったはずです。それでも赤ちゃんは親の愛と加護を一身に受けているので、裸一貫で生きられます。ときどき、粗相もしました。だからといって咎められることはありませんでした。だって、それが赤ちゃんの本分ですから。にこっと笑っただけで、家中に笑顔と幸福が伝染し、言葉かどうかもよく分からない言語を絞り出したその日には「しゃべった、喋った〜!」とパチパチと賞賛されまくり、一人で歩けるようになった時には、これでもかというほどカメラのシャッターがカシャカシャと切られました。
 
 
家庭というのは安全な場でした。私が野垂れ死なないように、常に周りを警戒して、目を光らせて守ってくれる砦でした。最も母親に近い位置で乳房に吸い付いて、栄養と温もりをもらいました。父親にはよく遊んでもらいました。写真好きの父の被写体になっていた私は、アルバムを開くと小さな頃の思い出が何冊分も出てきます。近所の公園、海や山でお弁当を食べていたり、父のカブにまたがっていたり、木によじ登っていたり、たくさんの人に囲まれて、いろんな表情を見せる無邪気な私と出会います。愛されていたんだなと思います。
 
 
中でも特に思い出す2つの写真があります。
  
 
1枚目は、台所の床に座り込んで天を仰ぎ、慟哭する写真です。1kg分の砂糖が入るプラスチックのツボをひっくり返して、床に砂糖を撒き散らしてしまい、ビックリして大声で鳴き声を上げ、そこにいる父に助けを求めた瞬間を切り取ったものです。しゃくりあげる情けない幼子の声すら伝わってくる躍動感と迫力があります。父は助けることは後回し。まず、大きな一眼レフの写真機を持ち出してきて、パチリとやったのです。
 
 
片付けも手間ですけど、砂糖っていうのが…。今でもよく覚えていますが、その当時住んでいた教員住宅では、部屋の中でもよく小さなアリの行列を見かけました。それに私は、日本中から洗剤やトイレットペーパーが消えたオイルショックの1973年生まれ、親の節約観念はハンパありませんでした。ティッシュの箱には「1枚2円」と黒のマジックで書いてあり、無駄遣いをしないよう注意されていました。 
 
 
それでも砂糖をひっくり返して怒られた記憶はないのです。写真から伝わってくる雰囲気は、泣きじゃくる子どもの可愛さのあまり、つい思い出に残しておきたくなった父のおおらかさ。ちなみに、戦前生まれの父はシャイで厳格。しっかり言葉を交わしてきたという記憶はないのですが、こうして写真をたくさん残してくれたおかげで父の愛情を確認することができます。
 
 
2枚目は、どこかの写真コンクールにでも出したのでしょう。大きく引き伸ばして、額に入れた写真についたタイトルまで覚えていますから。バイク通勤する父が毎日履いていた綿入りの群青色のビニールパンツを持ち出し、教員住宅の広場で遊んでいる様子がいかにも楽しそうです。パンツの片足に妹、もう一方の足に私が潜り込んで、2人でお父さんの足になりきっています。ギッコンバッタンのけぞったりして、大笑い、キャッキャしている一枚です。
 
「子どもは遊びの天才だ!」
  
タイトルの通り、父はそう思ったのです。毎日ちょっとずつ大きくなっていく子どもの成長に温かい眼差しを向ける人でした。大人が思いつかない発想を遊びに取り入れる我が子を見て、可能性が無限大に広がっていることを疑っていない親バカ気味の人でした。おかげさまで、あまり固定観念に縛られることなく、自由にのびのび育ちました。
 
 ⬜︎ 家族の崩壊…
                  
最近のニュースは、耳を疑うことがあります。4歳男児が、母親の交際相手の高校生に力いっぱい蹴飛ばされ、壁で強打、死亡した虐待事件。義父と19歳母親が3歳の長女に十分な食事を与えず衰弱死させた育児放棄(ネグレクト)事件。交際相手にのめりこみ、ホスト通いに明け暮れる実母が3歳児と1歳児をマンションに放置して餓死させた事件。しつけの一環で、うさぎのゲージに3歳男児を監禁、食べ物を与えず、口をタオルで巻いて窒息死させた事件。義父が妻の連れ子の問題行動をお仕置きするため、居間の柱に小学二年生の男児を鎖でつなぎ、パチンコへ出かけた夫婦の逮捕・監禁容疑事件。
 
 
こんな現実があっていいのだろうかと目を背けたくなります。信じられません。家族って…。たとえ、世界のすべての人間が自分の敵になったとしても、最後まで自分の味方でいてくれる、そんな存在、拠り所であるはずの家族。家の中だったら、外では見せられない醜い姿をさらけ出しても絶対大丈夫という信念に基づいて、かくいう確信犯は、お風呂でうんこをもらしたり、嫌いな牡蠣をオルガンの下に隠してカビを生やしたり、食器も下げないまま、休日昼までダラダラ寝ていたり。仕事でうまくいかないことがあったら、ついついイラっと家族に当たって荒っぽい言葉を投げつけたり。ろくな親孝行もせず、わがままし放題、言いたい放題。もちろん注意はされますし、自分でもこれではいけないと自覚もしています。お互い気に入らないこともあるし、虫の居所が悪い日もあります。本音でぶつかり合って、意見が食い違ったり、喧嘩をしたり、口を聞かない日が何日か続くこともあります。それでもそんなことで家族の関係が終わるとは、これっぽっちも思っていません。何があってとしても、家族という「土台」は堅固で決してぐらつかないものなのです。だから安心して「素」をさらけ出せるのです。 
 
 
小さい頃から、それこそオシッコやよだれや青っぱなを垂れ流していた時代から、私の一部始終を見てきているので、性格やパターンを知り尽くしています。だから、別に格好つけなくてもいいし、嘘をついて去勢を張る必要すらありません。いいところも、悪いところも、全部分かってつきあってくれています。表裏無し、損得抜きで。それも永遠に、この絆が続きます。家こそが、誰しもありのままで居ていい安全な「場」です。外で、どんな辛いことがあっても、家に帰って来れば、元気を取り戻す。明日への活力をリチャージして、また外へ出ていく力と希望をもらえるパワースポットです。
 
  
家庭にその憩いの場を見出せない人は、どこにそんなパーフェクトな拠り所があるというのでしょう? 思うのです。この世界で、誰か1人が自分のことを理解してくれて、受け入れてくれたら、生きていける…。
 
 
一人一人、生き方も違って、考え方も違って、感じ方も違って、ぶつかったり、摩擦が起こって当然です。いろんな人がいます。所属するグループも、状況も違います。各人の人生が迎えているステージも課題も夢も人それぞれです。仕事のポジションも、生きがいも、その人の才能も、内に秘めた欲望も、はっきり言って誰一人同じものではありません、唯一無二です。
 
 
もしかしたら、あなたには今、身寄りがないかもしれません。家族や親族はいても、付きあいがなく孤独を感じているかもしれません。家族や兄弟が嫌いで、思い出すたび愛憎渦巻く人もいると思います。中には、家族を反面教師に、パートナーと理想の家族を作ることに徹しているケースもあるかと思います。結婚したくても、良縁に恵まれず、家でしくしく泣いている人もいれば、開き直ってシングルライフを謳歌している人、いろんな人がいることを知っています。子どもやパートナーに恵まれ、幸せな日々に感謝している家庭もあります。
 
 
私の人生は、私の人生。死ぬこと以外はかすり傷。なるようになる。受け入れて、使命を生ききる。そんなタフネスがあれば、どんなに気楽か。試練や困難さえ、喜びに変えて人生をエンジョイできそうです。が、現実は…。誰かと自分を比べる必要はないのですが、つい隣の芝生を覗いてしまいます。
 
 
「なんで、オレは結婚できないんだよぉ?」
 
 ⬜︎ 私が結婚できない本当の理由… 
 
ある日、子どもができました。突然、5歳児の父になったのです。慌てました。手こずりました。
 
「お前は父ちゃんなんかじゃない!」
「母ちゃんはもう父ちゃんと結婚しとんじゃ!」 
 
まだ就学前の息子は、両親がもう離婚していることを知らされていませんでした。私は2人目の父ちゃんということで紹介され、息子には「君は2人も父ちゃんがいて、ラッキーだね。」と話して聞かせました。まあ、正直なところ、混乱させてしまったかもしれません。
 
 
そこでついに、私が事実を告げることになりました。「もう前の父ちゃんとはお別れで、僕が君の人生の責任を持つ。母ちゃんと君を幸せにすると約束する。新しいチームで力を合わせていこう!」幼子は、憎しみとも悲しみとも分からないまっすぐな瞳で、こちらを凝視したかと思うや、涙をいっぱいにためて、鋭い爪を立てて、私の顔を引っ掻きました。ぎゅっと抱き寄せると、私の胸で声を上げて泣き続けていました。
 
 
こんなことがあって、彼なりに気持ちを整理しようとしてか「父ちゃんなんて、誰だってええんじゃ!」と言うようになりました。その割には、私のことは「父ちゃん」とは決して呼びませんでした。「なんで?」「だって、結婚してないもん…。」小学校の入学と同時に一緒に暮らし始めるようになりましたが、このスタンスは見事に貫いていました。数ヶ月後に、息子が私たち夫婦に仕掛けたあるサプライズの日まで…。
 
 
(youtube動画)
「父ちゃんとは呼ばんからな宣言」していた6歳児が仕掛けたサプライズ《決婚式》 
→https://youtu.be/8psTknm8oEw
 
 
しかし、気持ちの準備よりも何よりも、経済的にも私の人生の中で「結婚」を想定した準備をまったくしてきませんでした。私は中国山地の奥地に、昭和1桁台に建てられた古い百姓家を買い求め、一人気ままな田舎暮らしをしていました。
 
 
豪雪地帯なので、冬になると家の中に雪が降り積もっていたり、全自動ランドリーが凍りついて春まで洗濯できなかったことだって、今では笑い話です。一度だけですが、屋内でダイアモンドダストを見たこともあります。少しずつ、家の隙間を塞いでは、修繕を重ね、住みやすくしてきました。家の外に点在するうさぎの足跡を追いかけて巣を見つけてみたり、樹氷の美しさに息を飲んでカメラのシャッターを押す瞬間は時が止まったようでした。雪の下で春を待つ緑の草の生命力に感動したり、屋根の雪下ろしに丸々1日費やした年もありました。「室温が低すぎます」という表示のまま、プリンンターが動かなくなったり、ネズミらしきものに、パソコンのコードをかじられて壊されたり、初めての体験もたくさんしました。
 
 
春になると、毎朝小鳥の声が目覚まし時計で、山の木々が芽吹き、1日ごとに色が変化していくのが分かります。空気も水も新鮮で、下手なりにも畑で作る野菜は美味しくて気に入っていました。村人も面倒見がよくて、食べられる山菜の種類を指南してくれたり、作りすぎた野菜の苗を分けてくれたり、木の伐り倒し方や薪の割り方を教えてくれたり、炭を一緒に作ったり、楽しく刺激的な毎日を過ごしていました。
 
 
子育ての環境として、理想的。お金はないけど、生きる力を育む場所として最高です。きっと妻も息子も気に入ってくれるはず。自慢の田舎家に息子を連れてきた日、開口一番に「こんなボロ屋に住みたくない!」と吐き捨てられました。そのとき、私は、自分の不甲斐なさを呪いました。親になる覚悟が中途半端だったと気づいたのです。
 
 
自分はこの子の運命を託されたのか…。命を賭けて守るべき存在。自分の持てるベストを提供し、自分が経験してきて学んだ大事なことを次世代に伝える立場に。愛情も、時間も、知恵も、環境も、そしてそれに伴うコストを惜しみなく提供する覚悟。世界でいちばん幸せな家族になりたい…。
 
 
誰にも負けない強い気持ちはあるというのに、現状は目の前の「ボロ屋」に象徴されていました。小さな家に3人肩を寄せ合い、助け合って一緒に暮らしていくという現実は、嬉しいようで、一方で私の心臓をドキリと刺してきました。キリギリスのような私にとって、家族になるコストは天文学的な数字に映っていました。
 
 
なぜ結婚のための備えを怠っていたのだろうと、今までの自分の生き方を悔やみました。というのも、それまで自分は結婚できるとも、結婚する日がくるとも思ってなかったので、一人気楽にその日暮らしをしながら生きてきたのです。
 
 
ここだけの話、今までこっそりお付き合いをしてきた女性からはことごとくフラれてきました。実家に泊まりに行ったり一緒に食事に出かける機会はよくあったのですが、自分の本性は隠し通してきました。「娘さんと結婚させてください!」と挨拶しに行くような関係に進展したことは一度もありませんでした。だから、結婚を本気でイメージするに至らず、なめていたし、諦めていました。「あなたの人柄は好きなんだけど…。」「戸籍が女子じゃなければ、もうとっくに結婚してるわ。」「家族の理解が得られない。」「法律的に結婚できないし…。」「子どもができないのはイヤ。」トドメの言葉はいつも同じで、私の胸を容赦なく突き刺しました。そして、体と戸籍が女性であるという事実を突き付けられました。
 
 
結婚って何だろう? 
家族になるって、いったいどういうこと? 
私は一生一人寂しく孤独で生きればいいのか?
 
     
何度も何度もトライしては惨敗。中には7年おつきあいした人を、略奪愛されたこともあります。たった1日で、手のひらを返したようにコロっと変わってしまう女心。理解できませんでした。口もきいてくれませんでした。最後に窓越しに言われたのは
 
「親が気持ち悪いと言ってるから、もう一緒にはいられない…」 
  
という言葉でした。
 
 
誰のために、結婚するんだよ?
いや、君は何と結婚する気なんだよ?
 
 
その子はこんな発言もして、私を当惑させました。
  
「首から上、顔や人間性はあなたで、
 首から下は(二股していた)彼の体だったらいいのに。」
 
惨めな恋愛が続き、希望も元気もなくしていました。とはいえ、自分のこの体を呪っても、切り刻んでも、戸籍をビリビリ破いても、現実は変わりません。夜な夜な車を走らせ、真っ暗な山道で喉が枯れるまで、発狂したように叫んでいました。 
 
「なんで自分だけ、こんな目に…
 こんな体で生まれてきた意味は何なんじゃー!」
 
 ⬜︎ 苦しみからの解放
 
40歳も過ぎてしまい、無理しても手に入れられない夢や幻想を追いかけるのはバカらしくなりました。やがて、ノンモノガミーの考え方に憧れるようになりました。同時にたくさんの人を愛してもいいし、好きになった人が同じようにいろんな人を好きになる自由も認める。おお、そんな考え方もあるのか! パートナーが自分の所有物だと思うから、自分に振り向いてもらえないとき「辛く」感じるんだと説明され、それもそうだと納得しました。でも、自分にできるかな? 相手が自由気ままに振る舞った時に、それでもお前は愛することができるのか? すごく本質を問われた気がしました。
 
 
お互いを束縛せず、本能のままに生きて成り立つ世界があるなんて! 今までパートナーの考え方を自分の世界観・価値観と一体化させることに熱心になるあまり、相手の人格をリスペクトしていなかった自分の小ささに気付かされました。そう考えてみると、意外とノンモノガミーの世界は、ハードルが高い。本能と本能がぶつかりあう血みどろの世界、それとも崇高で穏やかな涅槃の世界が広がっているのか? 
 
 
私なりに、こう考えました。1人のパートナーに全てを求めるから、重いんだ。付き合う人に求めることを、ピザのように、1片ごとに分割すればいいんだ! 一緒に遊びに出かける人、相談相手、夢を追う仲間、食事に誘う人、たわいもない話を交わす気さくな友情、尽くす人、尽くしてもらう人、体だけの関係。パーツに分けれれば、自分のニーズは満たされるし、各人の負担は減るから「結婚」のときのように「お荷物」扱いされることはないだろう。されたら、されたでそこのパーツを交換すればいいだけのこと。
 
 
それまで「一途」を信条としてきた私としては、ずいぶんと方針転換したものです。でもこれが当時の私が探し当てた、1つの「生きる」道でした。そのころ、私は気付き始めました。
 
 
私が闘っているのは「固定観念」だ! 家族はかくあるべき、こんな恋愛がしたい、幸せになりたい…。イメージの捉え方は個人レベル、社会レベルで、いろいろで、それゆえズレが生じます。
 
  
実は、私は和尚さんから、すでに答えはもらっていました。和尚さんと言っても、行きつけのカフェの常連で顔なじみでした。愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりする私に、人生の先輩として的を射た言葉をかけてくれ、元気づけてくれました。三角関係真っ只中で苦しんでいた私は、なんとかして、自分に振り向いてもらおうと、あの手この手で彼女を説得しようと試みていました。
 
「あなたは得られないものを得ようとして、苦しんでいる。あなたをあなたのままで受け入れてくれる人は必ずいますよ。」
 
「和尚さん、おっしゃることは分かります。でも、お言葉ですが、そんな人が現れるとは思えないんですよ。だからこんなにも、プライドも恥もかなぐり捨てて、しがみついて、追いかけ続けてるんです。
 
馬鹿にされようが、無視されようが、待って、待って、待ち続けてるんじゃないですか。いつかきっと分かってくれて、戻ってくる日が来るはずです。」
 
 
2012年でした。地方では、まだカミングアウトもためらわれる時代でした。私は誰にもバレないようこっそりと、息を潜めて生きていました。この行きつけの喫茶店で、80歳のママが淹れてくれるコーヒーを何杯もお代わりする時間だけ、自分の本音を隠すことなくオープンに話せました。私のことを外見で「女」と決めつけてくる世間の見方を、少しずつ修正してもらう試みを、小さくテストし始めていました。
 
 
あれからLGBTに対する理解は、驚くほど進みました。「自分らしく生きよう、それが受け入れられる社会は必ず来る。」私が信じたビジョンは、ドンピシャリと実現しました。一方、私を捨てた昔の彼女は「トランスジェンダーが市民権を得て、家族を持って幸せに生きられる日など、決して来るはずがない。」そう言い切り、目の前にいるマイノリティの存在を拒絶するかのように目を塞ぎ、違う道へ一歩踏み出して行きました。あの人の目には、今頃いったいどんな世界が映っているのでしょうか?
 
 ⬜︎ とらわれの信念
 
こうあってほしい、こうあるべきだ、こんなものだ。
 
 
どれも、想念です。そのイメージが事実と違うようなとき、しっくりこずに、事実に「認識」を寄せていくのではなく、自分の想念、思い込み、信念、解釈、イメージの方に「認識」を近づけようとして、力くらべになり、きしみます。つまり私のことです。
 
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私は女の箱に入っているけど、そうじゃない。体に自分のアイデンティティは置いてない。中身を見てくれ、そう男だ。でも、世の中の人は自分を女扱いしてくるし、体と戸籍がそうなんだから、自分もそれと折り合いをつけながら甘んじて生きる覚悟はしている。自分が心を開いて全てをさらけ出している、全幅の信頼を寄せるたった1人のパートナーさえ理解してくれれば、他の誰から何と思われようが平気だ。あなたは、自分の本質と本音を知っている唯一の存在。あなた「だけ」は、男としての自分を受け入れる「べき」で、そこに何も問題はない「はず。」だって、これは一般的な男女の関係なんだから。たとえ世間が理解できなかったとしても、二人だけでもお互いを支え合えたら幸せではないか!
 
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これこそ、私がかつて持っていた世界観です。今は少し違います。が、当時の私の固定観念が、自分自身を縛っていることに気がつくまで随分苦しみました。少し抽象的な話になるので、うまくお伝えする自信がないのですが、トライします。 
 
 
人はそれぞれコアに持っている信念を軸に生きています。このコア信念(固定観念)が行動、感情、思考を決定します。コア信念は言ってみれば、自分のアイデンティティを象徴します。それで大事なコア信念をサポートしてくれる現実のかけらを集めてきては、自分の考えが正しいと自己弁護に努めます。他人のコア信念との衝突を緩衝するためバッファー信念が形成されます。このバッファー信念は、コア信念のボディガードみたいなもので、コア信念を傷つけられないためのバリア層です。生き残るための知恵です。コア信念(アイデンティティ)に攻撃を受けるということは、自己崩壊を意味しますから、絶対に何がなんでもコア信念(固定観念)だけは死守するという闘争本能が顔を出します。 
 
 
具体的にしたほうが、通じるかもしれません。
 
 
私のコア信念は「男女二元論では今の社会は機能しない」というものでした。
 
 
世の中を男女だけの枠組みで捉えようとしていることに、問題の根源がある。その枠組みは物事を理解し、整理するのに、端的で優れた面ももちろんある。ただし、そのシステムには例外が存在する。例外として生まれた者を無視ししているので、機能としては不完全だ。マイノリティとして、納得いかない。私は断固、声を上げて、平等な権利を主張して、社会システムの改善を求める。 
 
 
こういう気持ちが、私を突き動かしていました。
 
 
バッファー信念は、いくつかありますが「男女の枠組みを超えた存在を否定することはできない」ということを1つ挙げたいと思います。トランスジェンダーが身体的特徴と異なる性自認を主張するのは、本人の身勝手さから来ていると言われたら、証拠の示しようがないのでいつも困ります。が、インターセックスの人がいることはどうでしょうか? 私も今から20年ほど前に初めて両性具有の中学生と知り合い、その言動に触れた時、多少ならずとも動揺がありました。周囲も同様でした。しかし、少なくともそういう人たちが「実在」することは絶対に否定できないとすぐに了解できました。目の前にいて、私と同じように息をして、悩み苦しみながらも精一杯命を全うしてるんですから。
 
 
教会では「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記)」と教えられました。そのどちらかに、属さない私は罪人かのように見られました。頑なで心の曲がった私を矯正して、女に戻そうという「スカート着用、口紅、化粧の美女化プロジェクト」もさせられたんです。マジです。毎日鏡を見て「私は美しい、感謝します。」と言わされていました。悪霊や過去の先祖の代の罪まで言及されて、この「姉妹」が、正しい道に立ち返るよう祈ってくれた人もたくさんいました。誰も分かってくれませんでした。友達は多い方でしたが、孤軍でした。 
 
 
どうやって自分の「性」感覚を証明したらいいんだ? そもそも自分が頭がおかしかったら、自分が主張する論理が全部崩壊する、意味をなさないじゃないか? まずそこから証明しないといけない、しかし、それは可能なのだろうか? 私がまともかどうか、自分で分かるものだろうか? だいたい、体が女型なのに、自分がとうてい「女」だとは思えない、女性性を受け入れられないということが、クレイジーそのものじゃないか? エゴなのか? どう理解したらいいんだ?
 
 
実費で7万円くらい出して、染色体検査と血液のホルモン検査も受けて、私の体はまったく正常な女性型だということも判明しました。お金をかけて検査をしないと自分が男か女か言えないものなのかという疑問は横に置いておくとして。本当は、男性ホルモンの数値が暴れているとか、子宮が欠けているとか卵巣が機能していないとかいう「特例」を望んでいました。データでばっちりと、私は完璧な女性だと突きつけられ、がっくりと気を落としました。しかし、この体こそ私が生まれた姿です。この体とこの心、この両者を持ち合わせているということに使命があるのかもしれません。
 
 
牧師に結果を報告に行くと「だからこそ、本当に性同一性障害といえるんだね。」と言われ「そうか、自分の主張は理解されている。」と安堵したものです。私は自分の体が「女」であることは、間違いなく正しくそうだと認識して、受け入れていたのですから。それだのに、器と中身の不一致感が否めない。少なくとも、私の感覚は信じてよいのかもしれないと思えた第一日目でした。いや、自分だけは自分のことを信じてあげないとね。私以外の一体誰が、私のことをちゃんと分かってくれるというのでしょう? 
 
 
しかし、コア信念とかバッファー信念というものは、各人によって違います。また人生のステージによっても変わってきます。もしそれぞれが自己主張をし始め、固定観念をぶつけ合い始めたら、お互い理解のしようがなくなるという困難が発生します。それで、空気を読む日本人としては、思っていることをはっきり言わなくなったり、相手の気持ちを察したりする文化が発達したのだと思います。でもそんなまどろっこしいことをしなくても、分かりあう方法が実はあります。
 
 
どこでその信念が形成されたかということに、立ち戻ることです。私の場合なら「男女二元論では今の社会は機能しない」とどこで信じてしまったのか? おそらくですけど、私は今までの人生の中で、ありのままの自分を隠さないといけない体験、ありのままの自分を受け止められていない経験をしすぎて、傷ついたんです。 
 
 
たとえば、友達に好きな人はいるかと聞かれて、社会的には「女扱い」されていたトランスジェンダーが「女性」が好きと告白したら、引かれるとか。どうもこの世界は、男が女を好きになるという異性愛が一般的で、それだけが「普通」でそれ以外は「変」な目で見られる。そんな体験を繰り返すうちに、自分の本音をごまかすように「自分が好きなのは、笑顔が自然な人かな。」という具合に好きな人の性別が分からないような返答の仕方を身につけていきました。
 
 
男友達に自分の意見を言ったら「お前は女のくせに、生意気だ、黙っとけ。」と言われたりしたこともよくありました。「スカート」を正装とする懇親会に参加したくないので、ハッキリとそう断ったら先輩から呼び出され説教をくらい、気が乗らないまま無理やり行かされて、全然会話を楽しめず隅の方で始終ふてていたこともあります。ジャンボ尾崎も来ていたゴルフイベントがあったときに、バイト要員で出かけたら、女の子はミニスカートに履き替えてとピンクのユニフォームを与えられて、そのまま熱を出しぶっ倒れ、結局控え室でずっと休ませてもらったこともありました。
 
 
自分が本音を言うと、自分のアイデンティティが拒絶されました。言葉の暴力もありましたし、無言の圧力もありました。悪気はないけれども、社会が完全に無意識や無知でやっていることもありました。保険証の性別表示や、トイレや銭湯の男女別などというのはその類かもしれません。男女という2つの性別しかない世界で、大勢の人は男女二分の考えに疑問を持ちません。ただ、自分は「女」枠に押し込められて、自分らしくあることを許されてこなかった、息苦しかった、だからこの世界は自分には不都合。ずっとそういう思いを抱いてきました。 
 
 
そして男女二元論という枠組みと、「女と思われて」発生する拒絶感という本来は別々であるものをごっちゃにして、男女二元論という考えのせいで自分が理解されないのだ、拒絶されるのだというような少し歪んだ1つの「信念」に融合してしまったのです。だからそれを分解してやると、何が問題なのか見えてきますし、何をどう解決したらいいのかも見えてきます。
 
 
生理があるのは女、生理がある限り私は男として認められないというのも融合された固定観念です。胸があるから女、胸オペしていない自分は女みたいで到底受け入れられないというのも観念を合成して自分の首を絞めています。男だったら声が低い、声が高いと女に見られるというのも、融合させられた固定観念です。体が女型だから、女扱いされるのだというのも、別々のものが引っつきあってできた信念です。子宮・卵巣が残っている人は女で、手術で切除しない限りその人は意気地なしの女性であるとするのも究極的には固定観念として作り上げられているイメージから出られていないだけなんです。
 
 
私のセクシャル・アイデンティティを構成しているすべての信念を丁寧に分離して、切り離して、そぎ落としたときに、それでも最後に残るもの、そこが本質です。私の場合は、それは性別の特徴を顕す「体」というものにはなくて、魂というか、生まれる前からあって、そして死んだ後も残るスピリット、エネルギーの発生する源、そんな「形」のないものなんですよ。見えないので、捉えようがありませんし、理解してもらうのが難しい所以です。
 
 ⬜︎ 男女二元論のエアポケット
 
「君は男だ。間違えようがない。」
 
 
初めて会った人にそう言われたので、驚きました。大学でソフトボールをしていたのですが、その時以来20年以上患っている股関節の痛みを「気」で治してくれる先生がいるというので、知人に紹介してもらったのでした。患部に触れることを一切せずに「気」で電気信号の淀みを調整しただけで、一発でよくなりました。
 
「しかし、先生どうして『男』だと? 実は私も自分を女だとは思っていないんですけど、染色体検査をしても体もこのとおり女型で、男だと証明のしようがなくて困っていたんです。」
 
「人の頭からは電気みたいなのが出ていて、男と女では間違えようがないほど違う性質を帯びている。君からは男の電気が出ている。君は男だ。」
   
少し信じがたい話ですが、私からしてみれば藁をもすがる気持ちでした。性差による電気的な差異があると知った私は、これでやっと第三者に自分の性自認を科学的に証明できる根拠ができたと思ったのです。仮にその微弱な電気信号を増幅してやれば、オシロスコープ装置に波形を捉えることができるはずです。
 
 
先生にそう言うと、そんな研究に時間とお金をかけるのはバカバカしいですよ。あなたはあなたが生きたいように生きたらいいじゃないですか。私はあなたを応援しますよ。そう言ってくださいました。
 
 
それまでは、周りに当事者の知り合いは一人もいませんでしたし、やっぱり自分でもどこか、自分の頭や感覚がおかしいのかなと思うことでこの問題を片付けようとしていたところもありました。自分のことを信じていいのかどうなのか、それが分からなかったのです。でも、やっと、第三者的に見ても私を男だと決定づける証拠を示せるかもしれない。ちょっと強気になれました。カミングアウトへ、背中を押してくれた一件になりました。
 
 
念のために、もしかしたら、まだ「男」と「女」しか知られていない世界を生きている人がいるかもしれないので、少しだけ、私がカミングアウトをした背景をかいつまんで話します。もしかすると、世の中は男と女だけにはきれいに分かれていないのかもしれません。それを身体的特徴だけを見て、男と女に割り切って考えようとするから、不具合が起こるのかもしれません。コロンブスの卵を思い出しながら、少し思考のトリップにお付き合いください。
 
 
私はよくこんな質問をされます。
 
「いつ、女から男になろうと思ったのですか?」 
 
質問が曖昧すぎて困ります。戸籍の性別を変えたいと願った時期はいつかと聞かれると「結婚を意識した時期です。」と答えられます。が、私の中では、一貫して「性自認」はひとつも変わっておらず、女から男へ変わるという発想がないのです。
 
 
正直、FTMとかMTFという言葉が嫌いなんです。語弊を生んでいると思います。私は私なのです。身体的には女性。内なるアイデンティティは男性。社会的には女性扱いをされてきた中性(気持ち的には完全な男性扱いを望んでいます。しかし、社会が私をどう見るか、それは私だけが努力して解決する問題ではないのです。ここ、とても難しいテーマです。)そんなところです。
 
 
FTMというのは、Femalte To Maleの頭文字をとったもので、生まれた時の身体的特徴が女性型で、男性性を生きている人のことを指します。いかにもある時まで女性であった人が、ある時を境に男性に「転換」表明してまったく違う性を生き始めるというように理解されています。 
 
 
FTMは、そもそも物心ついた時から「女性」だと思って生きてきていません。社会から「女」扱いされてきただけです。それで、自分はその役割を引き受けないといけないと、思い込まされてきたわけです。体だとか、親の期待だとかに合わせて。本来だったら、男とか女とかそういう枠組みなどにハメられる必要はありません。自分らしく自由に振る舞えたらトラウマにはならなかったのですが、現実の世界では、無情にも男か女のどちらかしかないという「男女二元論」が、誰も異を唱えることのない安全な「システム」として浸透していました。 
 
 
本当は男女二元論では片付けられない、そんな性のエアポケットに収まっているグループがいます。ボーイッシュな女の子、男の子になりたがっている女の子というポジションで、しのいできた人も多いと思います。
 
 
私が子どもだった時代は、自分の感じている「性別」で生きられる世界など、想像もできませんでした。そんなことが許されるなど、考えたこともありませんでした。周りにそんな情報もありません。ネットやSNSのない時代に、生身の仲間と出会う機会は一度もありませんでした。
 
 
「自分の感覚がおかしいエゴの塊人間なのかな?」「悪魔にとりつかれているのかな?」「一体誰に相談すればこの問題は解決するのか?」そういう思いを抱きながら、身体的女性性と自分の中のアイデンティティを擦り合わせながら、周りに理解されない、時に自分でも自分を理解できない苦しみにもがいてきたんです。
 
 
ある日、性同一性障害を自覚して、望む性で生きる覚悟をする人がいます。性別適合手術をして、気持ちが楽になる人もいます。いいと思います。だけど、私たちこそ、男性性・女性性の枠に収まりきらない、ワイルド種。女の体で生まれた者が、無理をして、男と同じように生きようとするのは、不自然です。たとえ、ペニスを形成しても、遺伝子まで作れません。あくまでも、フェイク。 
 
 
それでも男の体を手に入れたい。その気持ちは、痛いほど分かります。私もそうです。私は手術に慎重派として知られているので、よく誤解されて「意気地なしのわがままな女」扱いされ悔しいのですが、私だって男同様の体格、遺伝子、色気が欲しいんです。 
 
 
じゃあ、なぜ男の体を手に入れないのか? 単刀直入に言うと、世間が持っている男女のイメージ、そこに当事者こそが囚われていやしないかという「抵抗感」からです。自身に問いかけているのです。男とは何か? 女とは何か? 人間の尊厳とは何か?  私のあり方とは? その答えがそう簡単に出ないのです。
 
 
男は女のような胸がない。だから胸オペで乳房を切除する。男は声が低く、髭があり、毛深く、筋肉質。だから、男性ホルモン注射で、男らしさを演出する。男は子宮も生理もなく、出産もしない。だから、生理を嫌悪し、卵巣を除去する。男はペニスがあって、女性を官能に導く。だから陰茎形成をして、立ちションをし、女性と裸で合体する。
 
 
これを言うから嫌われるんですけど、はっきり言って「似せているだけ」で本物とは似て非なるものです。そしてすべてが表面的な事象です。もちろん、みんなそんなこと分かっていると思います。それでもいいと言います。性別を変えるために、望まない手術を決行したという人もいます。その決断でハッピーになれたなら、それもアリだと思います。でも、みんながみんな、そこにお金とリスクをかける必要はありません。
 
 
人間というものは欲深い生き物ですから、何かを手にしたら、際限なくもっと手に入れたくなります。結局キリがないのです。それでもどうですか、私が最高感度のペニスを備え、性別も変えて男として生きていて、ある日旅行先でテロ事件に巻き込まれてしまったとしましょう。泊まっていたホテルが爆破され、私は焼死体で発見されます。鑑識が来て、私の真っ黒焦げの骨格から判断し「推定身長約150cmの『女性』遺体発見! 身元確認中」と日本中のお茶の間にニュース速報が流れるんです。そういう死に際のことまで考えると、私は本当にやりきれません。
 
 
ごまかすのではなく、私のありのままの姿を受け入れるほうが摩擦が少ないのではないかとメタ(俯瞰)しています。もちろん平気ではありませんよ、言っときますけど。でもその苦しみの中で、女性の体で葛藤しながら生きた「男」と紹介されて潔く死にたいと考えています。私は性別を越境(トランス)して生きるトランスジェンダーです。 
 
 
自らを既存の男女のイメージに当てはめることで、自分の性自認を理解してもらおうするのはもうやめませんか?  あなたという「性別」を生きていいと、気が付いてください。もしかしたら、あなたを描写するようなぴったりの「性別」カテゴリーは今までなかったかもしれません。だからこそ、あなたがあなたの性別を表現しながら生きるのを諦めたら、男女二元論の不幸スパイラルはこれからもずっと続くのです。そこをもっともっと俯瞰して、また1つ1つの問題を深くズームインして考えてみたら、見えてくるものがあるんです。 
 
 
世間の男女観、世間があなたをどう見るか。ここに踊らされたらいけません。あなたが信じるように、生きていいんです。既存の固定観念に、合わせないでいいんです。本当はあなたを縛り付ける力なんてこれっぽっちも持ってない「妄想」怪獣を過大評価してビビる必要ありません。あなたがするべきことは、恐れたり、迎合したりせず、あなたの道を一生懸命探すことです。そこに苦難や障害があることは、少なからず事実です。しかし、そうだと前もって心得ていたら対策を立てて心の準備をしておくこともできます。
 
 
私は近頃の当事者の若年化傾向を懸念しています。なぜか? それは、人生経験の少ない青少年が、自分だけの世界観で、これが正しい、これをしたいと勇み足気味で、焦っていることがよく見えているからです。登山には、いろいろ登頂ルートがあります。登り方は、自由です。持って行く装具も自分なりに工夫したらいいんです。
 
 
特に冬山は、雪が積もると全てが道になります。あなたがあなたの道を作っていく、誰かが作ったのではない真っ白な道なき道を。しかし、いきなり初めての冬山に準備や知識なく飛び込んで行くと、命さえ落としかねません。だからよく研究して欲しいんです。 
 
 
それなのに、インターネットやニュースで取り上げられたよくある典型的なアプローチこそが自分の解決策だと思い込んでしまいがちです。他に見つけられるかもしれないあなたらしい、ユニークで唯一無二な生き方を十分に模索することなしに、みんながやっている簡単な方向へ生き急ぎ気味に走っていく姿を見かけます。
 
 
私は答えを出すのに、40年かかりました。長すぎたし、辛かったです。けれど、ゆっくり考えることができたので、納得がいくるんです。例外でもいいじゃないか、自分らしく思い切り生きられたら。そう思えるようになりました。誰になんと言われても、ぐらつかない土台ができました。あなたも、じっくりと自分の魂と向き合って話し合いをしてください。 
 
 
※男女二元論について…男女を区別する際、身体的特徴、戸籍、ホルモン、性自認、心、言葉遣い、服装、社会的役割など多種の要素が加味されます。本書で取り上げた「男女二元論」という言葉は、いろんな視点を含み、複層的な意味合いを帯びた性質を持っています。よって、使用場面において、どの切り口から男女の線引き(あるいは線引きをしないこと)を話すのかによって、いろんな定義が生まれます。本「プロローグ」内では、その多角的で深淵なそのテーマを生き生きと浮かび上がらせるには、スペースが不十分と判断しました。別の機会にこのテーマをじっくりと捉えてみたいと考えています。
 
 ⬜︎ 死に損、生き得
 
私は「死ねば終わる」と何度も思いました。自分も楽になるし、私を苦しめた人が少しでも後悔するかな? そう思いました。でも、最後の最後にギリギリで悪魔が仕掛けている巧妙なトリックに気がつきました。そしてその罠からかろうじてもがき出た私は自分に向かって大声で「生きろ!」と叫んでいました。
 
 
死んだら終わるのは、私の命だけではありません。私が「夢描いた未来」が実現することなく黄泉に葬られてしまうことを意味します。私は「性別に束縛されず、その人の信じるところを自由に生きられる社会」の実現を信じています。その日が来ることに希望を寄せているから、忍耐強く待っているんです。でも、私が命を断てば、私はそんな未来を見ることはありません。私が死のうが、時代はそれでも「多様性を受け入れる社会の醸成」という方向へ進化を遂げていくと思いますが、その時死んでしまっていたら私は未来社会で自分が得られたであろう市民権と喜びを享受できません。 
 
 
私が問題を問題と認識しながら、それの改善・向上に加担しないならば、私は問題悪化の側に加担しているんです。私自身が、自分たちが住みにくい社会を作ってしまうということです。なんという皮肉。こんなチキンでは、笑い者にされてしまいます。私は、当事者として、男女二元論の窮屈さに甘んじることなく、性意識の認識改革に取り組むことから、決して逃げてはいけないと気がついたんです。
 
 
命を賭けるべきは、人生を強制終了することではなく、「信じているビジョン」への道を1つ1つ積み上げていくことだということです。遠く長い道のりが、想像されました。今でも「生きろ!」と叫んだ夜のことを思い出すと、食べ物が喉を通らなくなります。涙がこみ上げてきます。死の淵に追いやられているマイノリティが安心して存在できる場所を作ることは、私が人生をかけて取り組みたいことなのです。
 
 
今もたくさんの仲間が、自己否定の言葉を吐きながら、今の日本に生まれた不幸を呪いながら、遺書を書き終え、手に刃物を当ててみたり、飛び降りるビルを探して、あてもなく夜の街を彷徨っているのでしょうか。
 
 
一人孤独と戦っている人たちは少なくないと思います。この声が届くのが間に合って欲しいと願っています。私もかつて「なんで自分だけが?」そう思っていました。他に同じ道を通っている仲間がいることを知りませんでした。だから今、彼らが、同じような苦しみを背負って、青色吐息で這いつくばって人生を送っているかと思うと、心臓がギュッとしめ上げられます。
 
 
あなたは自由だ。自由に生きていい。制度も社会も、誰一人あなたの人生を制限なんてできないんです。あなたの人生なんですよ。あなたが許可したら、あなたはあなたの人生をコントロールする自由を手にするんですよ。誰かに拒否されたとしても、いいじゃないですか? 自分は死んだんだという気になれば、もう何も怖いものなんてありません。そもそも、誰かに苦しめられていて、今自分が不幸だというのは幻想です。他人のせいにして、自己責任を果たしていません。自分が納得いかない現実を、そのままで放置していながら、現実に甘んじている。それは自分自身がそう選んでいるだけです。
 
 
今、あなたの過去をこれからのあなたと切り離してください。「今までの私ありがとう、さらば!」ってお別れしてください。あなたは過去の自分の責任を取る必要もありません。今まで不幸だったから、これからも不幸である必要はありません。今まで苦しんだから、これからも苦しむ人生とは限りません。今日から、変わっていいんです。過去の自分に死んでください。この日を境に、あなたは新しいビジョン、世界観に生きるんです。昨日までの自分のあり方を捨てて、まったく違う生き方を選んでいいということを伝えたいのです。生きていると得します。生きるということは、あなたの希望の社会に近づくということです。だから、生き得(とく)んです。 
 
 
私は人生の折り返し地点の40歳の誕生日、カミングアウトをしました。今まで周りの目を気にして、他人の評価のために自分の気持ちをごまかしながら捧げてきた人生を終わらせました。これからは自分の軸に沿って、自分が自分に正直か、そこに価値を置いて生きようと決めました。いうなれば、紆余曲折の末、人生半ばにしてようやく「自分らしさ」を取り戻したのです。
 
 ⬜︎ カミングアウト、逆差別の呪縛 
 
カミングアウトをして、1つ反省しています。謝りたいです。世間に、そして自分自身に。私は「逆差別」をしていました。「トランスジェンダーの私の気持ちなんて理解されるもんか、社会が私を受け入れてくれるはずがない」という切羽詰まった気持ちで命すら絶とうとしていたのは、私のちっぽけで限定的で卑屈な発想がもたらした悪夢にすぎませんでした。
 
 
カミングアウトをして夢から醒めた時の、現実を取り巻く周りの反応は、意外にも「あなたがどうあろうとも、それがあなた」「もうあなたはそう生きているし、そんなあなたを受け止めているよ」というものでした。世間は私が勝手に決め付けていたほど、物分かりの悪い連中ばかりではありませんでした。泣けました。受け止めてくれる人がこんなにもいて、やっと仮面を外すことができました。気持ちいいお日様の陽を浴びて、息を吹き返して新鮮な空気を吸えた幸せ、ありがたい気持ち、そして同時に「なんて自分はバカだったのだろう?」という情けない、哀れな思いが交錯していました。なぜもっと早く、決断できなかったんだろう…。 
 
 
こんな指摘もありました。「あなたがどう扱って欲しいのか、はっきりした態度をしてなかったので、どうしてあげていいのか分からなかった。」その通りです。私はこれからは、自分の人生に自分が信じたことをやっていいんだよと、ちゃんと許可を出そう。そして周りの人に、もっと自分のことをわかってもらえるように申し開きをしていこう。私は何者で、私はどう扱って欲しいのか、丁寧に表現しよう。見た目と中身が違うなんていうパラドックスは、本人以上に周りの人こそどうしていいのか分からなくて当然です。 
 
 
だから、ちゃんと心を開こう。でももう恐れなくても大丈夫! 私の周りにいる人たちは、ちゃんと私を受け止めてくれている。人生はそんなに悪くない。現実から目を背け、拒絶してきたのは、私のほうだったんだ。逆差別の呪縛から解けた私の目には、ありのままの現実が見えるようになりました。私が自分に正直になって自分のことをカミングアウトしたこと以外は、この世界は何も変わっていないというのに、目の前には私をありのままで受け止めてくれる人たちの温かいウェルカミングアウトな世界が広がっていたのです。 
 
 
もちろん、いろんな人がいて、いろんなステージにいて、考え方もバックグラウンドも全然違う。多層な人間の集まりですから、みんながみんな同じ意見ではないことなど、一目瞭然です。ただ、今までとはまったく違いました。私の前に立ちはだかる壁の1つ1つが、乗り越えられない壁なのではなく、私自身が成長するための、そして社会の絡まった糸を紐解くための、装置のように感じられました。もう、怖くない。目の前の荒れ野に道無き道を見出す。転がっている小石や大岩を丁寧に取り除きながら前へ進んでいると、いつのまにか後ろに人が歩ける道ができているのだ、そう気がついたのです。どうやらこの世界は、私が見たいように見えるらしい…。どんな心構えで世界を見るかで、あなたの目の前に現れる現実が変わるのです。
 
 
こうであらなければならない。それはあなたの恐怖と想像力が創り上げる「あなただけが見ている」幻です。
 
  
一体、私たちはいつの間に、誰かの価値観、基準のために自らを虐げて無理して生きるよう教え込まれ、それをまんまと信じ、自分が授かった人生を早々にギブアップしてしまったのでしょうか? あなたが赤ちゃんのころ、わがままし放題で、世間に何も貢献するようなことはしていないのに、誰しもが無条件にあなたを受け入れて、愛してくれた。あれは遠い日の夢なのでしょうか? 
 
 ⬜︎ 無条件の愛と軌跡 
  
生まれたての頃は、親の慈しみの眼差しを一身に受けて、愛情いっぱいのゆりかごでスクスクと育てられました。
 
 
しかし、これはいつまでも続きませんでした。
 
 
次第に、親の価値観、理想、希望、ルールを押しつけられるようになります。「早くご飯を食べなさい。」「そんなところで遊んではいけません。」「赤い傘を持っていきなさい。」「ピアノの練習が終わるまでは夕ご飯はおあずけです。」「宿題をしなさい。」「友達とケンカしたらいけません。」「手伝いをしなさい。」「出かけるときは、いつまで誰とどこで何をしているか伝えて行きなさい。」「親の言うことを聞いていれば、間違いがないから。」「なんでずっと黙っているのか、口があるならちゃんと説明しなさい。」
 
 
それぞれの家庭で、それぞれのルールや慣習があって、子どもながらに「なんで?」と、反発心や葛藤があったのではと思います。 
 
 
大人になったら、親の気持ちも分かるのですが、子ども心に親の怒りを買うことは恐ろしく、知らずしらずのうちに間違った信念を育ててしまいました。
 
「親の期待に応えなければ、愛されない。」
 
無条件の愛で結ばれていたはずの絆が、条件付きの愛に変わって行きました。家庭でのこの「条件付き」の関係性が、私が社会を見る目にもそのまま適用されていきました。
 
「人に嫌われるようなことをしたら、居場所はない。」
 
周りから受け入れられるためには、自分が彼らをハッピーにする何かを提供しなければならない。でなければ、嫌われる…。居場所を失う…。ルールはシンプル。
 
 
自分の中の意地悪いところ、ずるいところ、臆病なところ、正直でないところ、気ままなところ、わがままなところ、これだけは譲れないという希望、そういうものに蓋をしてしまいました。自分の思いとは少々ズレたところで、条件つきの現実に合わせて舵をとる生き方を学んでいきました。
 
 
自分をなくしたとまでは言いませんが、自分を主張することを恐れてしまったと思います。多感な時期に、自分とは何かを見つめることに力を注ぐ代わりに、他人が自分をどう見るか、他人がどう私を評価するか、そこに意識を持って行ってしまいました。
 
 
自分が本当にしたいこと、自分が本当に願うこと、自分がこうだと信じること、自分の内なる声がささやくこと、本来自我のコアとなる部分、自信や生きがいの根幹となる部分、そこへのアクセスに自分自身で制限をかけてしまい、自分らしさの発芽を止めていました。
 
 
22歳の時、私は留学のため渡米します。まるでちんぷんかんぷんの英語、学校の仕組み、教会で聞くキリスト教の教え。私はまた何もできない、何も知らない赤ん坊に戻った気分でした。
 
 
毎日泣いていました。語学の壁で、自分が思うこと、感じることを伝えられないもどかしさ。今までできていた勉強も、さっぱりついていけない悔しさ。学校から帰って速攻で取り組んでも、一晩中ずっと辞書を片手に教科書を読んでも、一向に追いつかない宿題の量。それもフル英語のテキスト。夜明けが近づくと、終わらないタスクに押しつぶされそうで、おまけにまた新しい1日がスタートすることに怖気づき、不安でいっぱいになりました。
 
  
作文が一番苦手で、いつもD。卒業点に0.2ポイント足りずに英語のクラスを1人落第したこともあります。自分がやる代わりにネイティブスピーカーに宿題をしてもらって、タイピングだけは自分が打って提出したところ「あなたが書けるレベルとは到底思えない」とすぐバレて、やり直し。情けない日々でした。
 
 
寮生活をしていたので、幸いにも友達に多く恵まれていました。宿題が分からないと言っては、部屋に押しかけ、夕ご飯までご馳走になって、何十ページもある宿題テキストを代わりに読んでもらって、ポイントを要約をしてもらったり。作文の校正を頼んで、明け方まで付き合わせたりしました。私がパソコンを借りて占領するので、そのせいで彼らは自分の宿題ができませんでした。それでも、いつもニコニコしていて、困った時には必ず助けてくれました。
 
 
アメリカの友達は、何にもできない自分を相手に本当によくしてくれました。自分が彼らの好意に返せたものは何1つありませんでした。それでも一方的に友達でいてくれて、一緒に泣いたり、笑ったりしてくれました。自分の小さな成長を自分ごとのように喜んでくれました。
 
「なんでそんなでっかいハートを持ってるんだ?」
 
実は、内心すごくビックリしていました。そんな人種がいるなんて、信じられませんでした。裏があるのかな? そう疑いました。日本にいたときにはギブアンドテイクでしたし、何か人に認められるものがあるから評価される、そう思っていました。でも、今まるで赤ちゃんのように、喋れない、何もできない、何も与えるもののない無価値の状態の自分が、なぜか無条件に一方的に愛を受けている…。自分が逆の立場だったら、するかな? いや、できないよな。
 
 
ある日、ルームメイトと取っ組み合いの大げんかになりました。見るに見かねて、遊びに来ていた友達が二人を引き離してくれたので、とりあえず私たちはベッドの上に座って息をぜえぜえさせながら話し合うことになりました。さんざん言われましたが、最後の一言にガツンと脳天を割られました。
 
I know you are ugly, but I love you.
 
英語だとちょっと映画にでも出てきそうなセリフです。日本語にすると、ちょっと意味が伝わらない恐れがありますがこんな風でした。「あなたは腹汚い。それでも自分はあなたを愛する。」まっすぐな青い瞳で見つめられ、凛とした姿勢でそう言われてしまった私は次の言葉が出ませんでした。
 
「降参!」
 
私の敗けです。醜いものまで包み込んでしまう愛! それが愛なのか。日本に住んでいたこともあるという懇意にしていた宣教師夫人からよく聞かされていたセリフが頭の中でこだましていました。
 
No excuse to love. 
愛することに(愛せないという)言い訳は存在しない。
  
アメリカ文化と日本の文化の大きな違いを肌で感じました。彼らと話していて、見えてきたのは、彼らは「自分は愛されている」と確信していることです。そしてまた「一人一人ありのままで高価で尊い、愛されている存在」だと疑っていません。だから、人が自分と違う考えでも、生き方でも、干渉しすぎることもありませんし、卑屈になって攻撃することもありません。多様性のなかに、神のクリエイティブなアートを鑑賞しているかのような姿勢でした。
 
 
ホームステイをしていた時期もありました。そこの夫婦に、また教えられました。
  
「あなたの手をご覧なさい。指と指の隙間があるわよね。相手の隙間(弱点・欠け)を、あなたの指(強み)で支えてあげれば、二人でほら1つの固いスクラムができるの。相手から自分に足りない何かを取ってやろうってことじゃなくって…。支え合うってこと。お互い完璧なんかじゃない、でも2人の力を合わせれば補完できる、お互いの欠点を見る必要なんてないのよ。これが夫婦の秘訣よ。」
  
デモンストレーションして見せてくれたガッチリと握り合わせた両手の拳を見て、私は「無条件の愛」の片鱗に触れました。この秘密を発見して、私の人間関係が変わり始めました。今まで自分も一人で自立してパーフェクトでないと認められないと思っていましたし、他人にも同じように完璧を求めていました。
 
 
こうでないと、受け入れない。
 
  
どこかそういう「型」「枠」「基準」を当てはめようとしていましたから。しかしもう私は違います。相手の出来不出来に関わらず、相手のカタチにただ寄り添って、自分の指を這わせていけばいいだけのことなんだと知りました。そうしたらお互い軋みあうこともなく、すーっと馴染める…。 
 
 
アメリカの教会で掃除当番をしていた日、結婚を控えた先輩が体育館で一緒にモップがけをしながら、こんなことを話してくれました。
 
「一人のときにはシングルライフを、結婚したら結婚生活をエンジョイしろ! 自分が幸せになりたいから、パートナーに幸せを求めて結婚するのは間違い。お前が1人でも自分の人生に満足する生き方を身につけているからこそ、2人になっても今度は家族として満たされる生き方を一緒にエンジョイできるんだから。」 
 
これから夫婦としての幸せをつむいでいくのだろうなと微笑ましく思いながら、その先輩の純情な瞳がまっすぐ見つめるその先を私も見たいと思いました。テイクではなく、寄り添う。そんなパートナーをいつか私も得たい、その日が来るまで、私はシングルライフを思いっきり全うするぞと心に誓いました。誰かに幸せにしてもらおうというマインドではなく、自分の内に幸せを見つける力を身につけるということです。そして、パートナーを授かる日には、お互いの欠けをけなしあうのではなく、支え合う関係に。あの日ホストファミリーが教えてくれた愛のスクラムの奥義を実践するほのぼのとした家庭を築きたいと夢見たのでした。
 
 
1999年、私は帰国しました。アメリカで無条件の愛を知った私には、日本は少し居心地が悪く感じられました。一生懸命、誰かの基準のために頑張らないと、認められない、評価してもらえない、そんな気がしたものです。
 
 
アメリカで見てきた仲睦まじいファミリーと比べると、私は家族とがっつり話をするほうでもなく、べたべたもしていません。気が向いて、友達とちょっと気晴らしに出かけようと思っても、みんな朝から晩まで仕事、仕事で忙しく、たまの休日となると家でぐったりして外に出てきません。話し相手も、遊び相手もいなくてがっくりしました。
 
 
日本の窮屈な毎日にストレスを感じていた私は、息抜きに友人のアメリカ人宣教師と定期的にカフェで話す時間を取っていました。心境を吐露する私に、彼はこう話しました。 
 
「日本人は確かに君が求める愛とか自由とか知らないかもしれないね。彼らもまたお父さん・お母さんから受け継いできた生き方しか体験してきてないからね。受けたことがないものを、与えることはできない。聞いたことがないものを、理解することもできない。そりゃあ仕方がないよ。君はその目で『無条件の愛』や『自由』そして『人生をエンジョイする』生き方を見てきたんだ。体験してきたんだ。だから、今度は君が伝える人になるんだよ。」 
 
 
私には夢があります。時間もリソースも限られていますから、私の両手が届くところ、せめて私の家族だけにでも「生きる」面白さを伝えたいと思っています。私が描く理想の家族の姿、それはありのままを受け入れて、そしてお互いの不足を見るのではなく、自分の持てるもので相手をサポートし、お互いを高めること。家族がチームとして一緒にいる意味を共に探り、その目的のために成長をやめないこと。人生をエンジョイし尽くすこと!
 
 ⬜︎ 結婚していても不幸
 
妻は、結婚生活に納得していませんでした。
  
 
帰る家があって、空手の黒帯のたくましい夫がいて、可愛い子どもに恵まれ、自然食品関係の仕事にやりがいを感じていて、ボランティアで自然保護活動にも力を入れていて、yosakoで山に入って、毎週何かしらのイベントに出かけていました。
 
  
はたから見れば、充実した人生を送っているように映っていたと思います。本人もそう自覚していて、一度スタートした結婚生活を、自分が満足する形にしたいと努力していました。
 
 
しかし、結婚生活は7年で破綻。妻と子を放っておいて、帰りの遅い旦那。旦那不在の食卓の上に、離婚届を置いて、妻は夜遅く子どもと布団に潜り込みました。そして次の日の朝、起きてみると、夫は離婚届にハンコをついて、署名をしていました。
 
「引き止められることもない。こんなもんなの? 7年の絆って、いったい何だったんだろう?」 
 
愛されたいのに、振り向いてもらえない。たくさん時間を過ごしたいけど、一緒に子育てしたいけど、時計の針が12時を過ぎても帰ってこない。肌を重ねあって心を満たしたいのに、満たされない。心は悲鳴を上げていました。
 
 
妻は自信のない人です。自分が悪いのかな。自分がダメだから愛されないんだろうな。そうやって自分を責め続けてきました。結婚生活にピリオドを打った後も、子どもにとってこの決断はよかったのかどうか、とても悩みました。自分の生き方は、わがままなのではないか? 自分の苦労を子どもにまで背負わせることは、罪深いことなのではないか? もっとあの状況に我慢していれば、いつか関係が好転する日もきていたかもしれない。どう生きたら、みんなが幸せになれるのだろう? 私は幸せになれるのだろうか? 
 
 
私は妻を迎えようと決意した時、この人が自分のそばで「愛されている」ということをいつも確信していて欲しいと、ただそのことを望みました。愛されているので、何があろうとこの信頼関係は崩れないということを、毎日知って欲しい、日々証明していきたいと思いました。
 
 
出会った頃、妻は「愛情は最初が最高潮で、あとは日が経つにつれてどんどん褪めていくもの」と言っていました。私は彼女に真実は逆であると主張し続けました。 
 
「愛は変わらずいつもある。そして、愛情はお互いを知れば知るほどどんどん増していくものだ。」
  
少しキザかもしれませんが、夜布団の中で、腕枕をして彼女を抱き寄せる時「昨日よりも、今日のあなたのほうが愛しい。今日よりも、明日はもっとあなたを愛している。」と言います。本当にそう断言できます。小動物が大木のウロに身を寄せるように、すっぽりと私の胸に安らぐ場所を見つけて入り込み、安心して眠る愛しい女性を毎晩眺めながらつくづくそう思うのです。
 
 
確かに私は妻に、ありのままの自分を受け入れてもらって、心を許しました。妻は自分の生き方、アイデンティティ、そして紡ぐ未来それらを信じてくれました。同じ方向を見つめ、力を合わせ人生を伴走する覚悟を決めてくれました。少々風変わりなこの自分に、彼女と息子の人生をかけてくれたのです。ずっと一人だった私の人生の伴侶となってくれた妻の存在は、もうそれだけで私に「存在」価値を与えてくれました。
 
 
生涯を貫いて愛する人ができたということです。
 
 
問題もチャレンジも一緒に乗り越えていく人。幸せを紡いでいく相棒。人生という長いタイムスパンでじっくり醸成する麗しい関係性。もう裏切られることはない。私は、ほっと安堵しました。
 
 
神が人を創った理由を聞いてすごく腑に落ちたことがあります。神は愛する存在。そして愛するには、その愛を受ける人がいります。愛は一人っきりでは成り立ちません。私がどれだけ愛したくても、妻がどれだけ愛されたくても、二人がセットにならない限り、愛の交流は実現しないんです。
 
 
ノンモノガミーを実践していた頃、私は完全受容されることに一旦見切りをつけ、愛を複数の人から分割授与されることに活路を見出しました。まあ、それで折り合いをつけるしかなかったのですが、そんな私を見て妻が「かわいそうだ」と言いました。
 
「あなたの本心は、一人の人と深いつながりを求めているのに、そんな悲しい部分的な関係では、満たされないんじゃないの?」 
 
完全にバレてました。私も薄々は自分のそういう性質に気づいていました。ただ、和尚さんの予言するような「私をありのままで受け止めてくれる人」がいるということを、どこかで期待しつつも、信じられていなかったんです。 
 
 
妻も自分の「生き方」を忘れていた人でした。他人が設定した価値、基準、ルール、ゴールといったものに自分の人生を沿わせようとして、いたずらに苦しんでいました。本当の自分の心、自分の人生のいちばん大切なこと、それを脇に押しやり「自分のあり方」を置き去りにしていました。本人は器用に人生を渡っていたつもりでしたが、それはまるで燃料を積み込み忘れた車のようです。 
 
 
あなたの本当の人生の道を走り抜けようと思ったら、あなたの心が生み出す真の燃料にアクセスする必要があります。生ける命の泉。湧き出てくるパッション。思考、感情、行動力の源泉。どんなことがあっても、自分はこれを死守するために、命をかけられる。あなたが生まれた意味。あなたの魂が本当にしたいこと、やり遂げたいと願っていること。わがままとは違います。誰かに遠慮する必要ありません。「我がまま」であること、これこそ、あなたがあなたの命に沿って素直に生きているということです。命を使って、使命を全うしている瞬間です。
 
 
あなたの魂があなたに小さな声でささやくその声を丁寧に拾い、耳を傾けさえすれば、視界がクリアになって、進むべき道を全力で突き進むことができます。そのエネルギーは自然と生まれます。あの日、あなたがこの世に生を受けて初めてこの世界と対面したあの瞬間のように…。 
 
 ⬜︎ あなたの存在価値
  
「おぎゃ〜!」
 
 
右も左も、何も分からないなりに、一生懸命無我夢中で自分の存在を訴えました。たくさん下手もこきました。この世界の仕組みを理解するのには時間もかかりました。みんな、大きくなるまで手がかかってきたのです。でもそれが「あるべき姿」なんです。格好つけたり、クールに体裁を整えなくても、力一杯生きているあなたはステキです。
 
 
とある外国の街で見かけた落書きです。
 
「声を上げ続けよう、われわれは大声で泣き『叫び』ながら生まれてきたじゃないか!」
  
バスに乗っていた車窓から一瞬ちらりと目に飛び込んできたフレーズです。うまい! と膝を打ちました。写真に残すことができなかったので、すごく後悔しています。けれど、通りすがりにたまたま見かけたこのメッセージは、私の心にすごく突き刺さり、今でも鮮明にその一瞬の光景が蘇るのです。
 
 
私たちは人生をこんなものだと諦めて、我慢していないでしょうか? 本来自由で、人生を楽しむために生まれたはずなのに、気がつくと社会や他人の目にがんじがらめにされてしまっていて、ちょっと息苦しい…。枠から出たらいけない、変なことをしちゃあいけないという空気を読みながら、周りに合わせて生きていませんか?
 
 
もう、あなたがあなたであろうとすることを、怖がる必要はありません。もし誰かに迷惑をかけようが、それで誰かがあなたを嫌おうが、それはあなたの問題じゃなくて、相手の課題です。誰かの人生の宿題まであなたが背負う義務も暇もありません。
 
 
あなたには、何よりもいちばんにあなたの人生にエネルギーを注いで欲しいんです。あなたのやりたいことにフォーカスしていいんです。だって、あなたがきちんと「機能」してくれないと、この世界はマジで成り立たないんですから。あなたがあなたであることを遠慮したら、この世界はたちまちにバランスを崩します。だから、どうか「あなた」の本質を突き詰めてください。
 
 ⬜︎ 運命の女神
 
妻と知り合う少し前から、私は一生懸命「自分は何者で、何がしたいのか?」と問いかけるようになっていました。自分を殺して、抑え込むことをやめました。あまりにも長い間、自分をごまかしながら生きてきたので、正直、自分が何者かよくわかりませんでした。自分の人生に自分自身が許可を出すという至極簡単なことが、とてももどかしい操作に感じられ、慣れるまで戸惑いました。
 
 
そんな中で、私は自分と対話を重ね、自分のコアになっているものを炙り出しました。特にパートナーに求めるガイドライン(スタンダード)は、明確にしておく必要を感じました。
 
 
というのも、やっぱり相手に合わせて自分を変えて寄せていったらブレるからです。自分の生き方、価値観と合う人と出会い、ありのままで受け止めあえたら最高です。お互い。そうすれば、追いかける必要もありません。ただ着飾らず、凛として隣にいればいいんです。お互いをそのままで受け止め合っている関係はしっくり安定したものになると和尚さんに教えられていました。私は「得られないものを得ようとして苦しんで」いました。逆をいうと「得るべきものを得たときには、苦しみから解放されて、生きる目的に出会い、真の喜びが心から湧き上がってくる」ということです。
 
 
まさに、妻との出会いがそれです。
 
 
妻にありのままの姿をさらけ出せる私はラッキーです。そして、妻も私の隣を伴走しながら、エキサイティングでユニークな人生を走っていますが、ラッキーな人です。苦労は負わせていますが、彼女のありのままを全部受け止めています。私に愛されるために何かしないといけないなんて変な強迫観念は不要です。お互いにとって、これだけは譲れないという夫婦関係のコンセプトがマッチしているので、まったくもって無理しなくていいからです。
 
 
妻は結婚生活の失敗で、自分にとって結婚相手に望む大事な価値感に気づきました。「自分を愛し続けてくれる人。」私がパートナーに望んでいるのは「きちんと向き合い続けてくれる人。」そう、私が妻から「あなたは1人の人と深いつながりを求めている」と指摘されたとき、私も同時に「この人は同じ匂いがする。裏切らない人だ。今度こそ3度目の正直、本気で自分をさらけ出しても大丈夫だ。」と直感が教えてくれていたのです。恋愛にすっかり希望を失っていた私の心に再び火がつきました。
 
 
おかげさまで私たちは今、幸せです。
 
 
もし、まだあなたが一人なら、運がいいです。空を掴むようで、孤独でしんどい作業ですけど、自分自身に問いかけることを億劫がらないでください。あなたにとって「家族」とは何か? そして何を差し置いても、パートナーに求める一番優先順位の高い譲れない「価値」は何か? 
 
 
あなたがあなたの物差しをしっかり持っておくことで、直感が働きやすくなります。あなたが探していた運命の人と出会ったら、すぐにあなたの内なる声が「運命の女神が来ているぞ! 何があっても手離すな!」と知らせてくれます。実は、後から価値観を整理して、人生をやり直そうと思っても、現実社会では調整が効きにくいことが多いので、最初っから心づもりをしておくのがベストです。
 
 ⬜︎ 男の条件  
  
ときどき私は心苦しくなります。それはなぜか? 私を愛して、信用してくれている人を欺いているかのような気分になるのです。体のせいです。
 
 
朝、トイレで用を足していると、目が覚めた息子が「ダダダ」っと階段を駆け下りてきた音がしました。トイレのドアがガバッと開けられるや、息子が不思議そうな顔をしてこちらを見ています。 
 
「どしたん?」
「なんで、座っておしっこするん?」
「おチンチンがないとさぁ、立ちションしにくいんだよね…、最近は座ってトイレする男子も多いんで。」
「女みたいでイヤじゃ、僕はそれはやらん!」 
「そっかぁ。」
 
毎日お風呂に一緒に入り、私の体が母ちゃんと同じだということはよく分かっている息子です。両親の体つきが違わないことをじっと見て「父ちゃんと母ちゃんの違いが分かった! 男か女かだ!」と言ってのける感性の鋭い子です。その彼をしても、私のトイレの仕方には何か違和感を感じるのでしょう。
 
 
この世に生を受けてわずか7年ですでに、誰も普段覗かない「個室」の中のことについてまで、性別によってこうであるべきという「イメージ」を持っているのです。不思議だなと思います。誰がいつの段階で、男女とはこうあって然るべきものだよと教え込むのでしょうか? 少なくとも我が家では、性差で誰かのアイデンティティを限定するような枠組みは作らないよう意識しているのですが…。 
 
 
下の話になったので、ぶっちゃけて色々話します。私は18ヶ月ほど、男性ホルモン注射を打っていた時期があります。副作用で、やめたのですが、低くなった声と「クリチン」は、治療を中止して約2年経った今でもなんとか維持しています。クリチンというのは俗称で、男性ホルモンを打つことでクリトリスがペニス様に肥大化したものです。よっぽど7歳児の息子のほうが立派なものをぶら下げていて、正直うらやましいです。クリチンからは精液も出てきませんし、そもそもクリチン程度のサイズでは、挿入には無理があります。パンツがこすれて、その部分の生地がすぐ薄くなってしまうので、買い替えのサイクルが早くなってしまうぐらいなものです。
 
 
陰茎形成手術をした友人がいますが、彼はせっかくのペニスがあるのに、トイレは個室を使うそうです。手術ミスもあり、術後は尿漏れトラブルもあったとか。今でも、毎年何らかの整形工事を行っているそうで、痛々しいです。当の本人はあっけらかんとしているのが救いです。精神的、金銭的な負担もあろうかと思いますが、それでも手術を後悔していません。自分が納得いく道を、じっくり考えて選択するのであれば、人それぞれでいいのだと考えます。個人の人生について、他人がとやかく言う権利などないことは、私は十分承知しています。
 
 
私は、手術をしたくない臆病女だと言われることがあるのですが、誤解です。手術には慎重派ですが、今の医療技術においてという条件付きです。優先順位を、まず「健康第一」に置いているのです。健康こそがすべての土台となる守るべき「資産」だと考えているからです。
 
 
たとえば、健康リスクと医療事故の可能性がゼロで、自分のDNAを製造する精巣を作り出せて、勃起して射精が可能なペニスが形成できますよ。それも腕や腹、太ももからの皮膚移植は必要ありませんから、海辺や温泉で服を脱いで肉体をはだけても、移植手術を怪しまれないこと請け合い。ペニスや睾丸を取り付けた手術の跡は全く残りません。その上、加齢とともにペニスも一緒に萎えていくというところまでリアルです。これから一生、後遺症や合併症、そして服薬不要で、副作用の心配も完全に無用です。ということであれば、もちろん検討したいです。
 
 
私が求めたいのは、本質であって、フェイクな体なんかではないんです。お金と命のリスクをかけて一大決心の覚悟で臨む手術で、手に入れるものが「本物とは似て非なるもの」では辛いです。それよりは、女の体であっても、自分が運命とともに与えられた作り物ではない生まれつきの体で生きる方に真善美を感じ取るのです。
 
  
胸オペにしても然りです。男性には女性のような胸の膨らみがないから、短絡的に胸を落として気持ちをすっきりさせたい。たしかに、胸触りも気分も違うと思います。伸縮しない素材でできたナベシャツで胸を固く締め上げ、家の中で歩くのも息苦しい思いをするのはごめんです。肺が締め付けられているので、胸いっぱい十分な呼吸ができません。体中の細胞に酸素不足の負担を長年かけたりするよりは、手術をして思いっきり呼吸をしたほうがいいです。  
 
 
ただ、私みたいなサイコから言わせてもらうと、それでも、乳首の位置や乳頭の大きさが男と女で違うとか、手術の跡があるのが不自然とか、筋肉が突っ張る感じが嫌だとか、乳首部の神経が戻らない確率とか、細かすぎるところまで気に入らないんです。それならば、まだメスを入れていない体のほうが健康的で美しいと思うんです。 
 
  
なにせ、同じ男と言っても、女性化乳房症の人だっています。いろいろあるんです。私は胸よりも、太もものシルエットとか、骨盤の形とかが気になります。それを筋トレなどのアプローチで、健康リスクを損なわずに自分の「理想のスタイル」に近づけないかな、その努力をまずやりきったかなと自問します。
 
 
こうでないと男として認めてもらえないという「イメージ」なんて一人一人が作り出している幻想なんです。その声が大きくなって社会の共通認識になったとき、個人の感じ方が社会の常識・通念に格上げされます。だから、私たち当事者が、男女とはこうあるべきだというイメージを自ら「再強化」してしまうのは本末転倒です。 
 
 ⬜︎ 世界一の執刀医
 
男と女からちょっと離れてみると分かりやすいかもしれません。たとえばあなたのよく知っている「桃」を想像してみてください。桃農家さんだったら、桃畑にずらーっと実をつけている収穫間近な桃の絵がパッと脳裏をよぎったかもしれません。夏におばあちゃんの家でよばれた冷たくてみずみずしい桃が浮かぶ人もいると思います。入院していたときにお見舞いでもらった1箱に2つきりで3000円もする高級な桃の味が蘇ってきた人もいるかもしれませんね。桃缶や、ケーキの上に乗っている薄くスライスされた白桃の味を思い出す人もいます。
 
 
私は岡山育ち、それも清水白桃の産地一宮ですから、桃といってまず思い浮かぶのは、近所の直売店で箱買いしてくる白桃です。この時期、もらいものの白桃の箱も玄関に山積みになります。冷蔵庫の中にはいつも食べごろの白桃がずらりと鎮座しています。それを水道でそうっと慎重に洗って表面のチクチクする毛を落として、薄皮を指でつまんでツルっと剥きます。皮も実もとっても柔らかいので、手でつまむ加減を間違えて力を入れすぎるとすぐ茶色く変色してしまいます。気品のある白い桃を丸ごとガブリ、ジューシーな桃汁が垂れてきて、手がベトベトになります。1つ食べただけで、満腹。そして冷蔵庫にまた次の桃を補充しておいて夕食後の楽しみにします。
 
 
しかし、桃を想像しろと言われて、山形の人だったら黄桃がまず一番に頭に浮かんだと思いますし、福島にゆかりがあれば赤い桃が馴染み深かろうと思います。そして桃と一緒に思い出す記憶、これもまた一人一人見事に違います。
 
  
言いたいのは「桃」というのはあくまでシンボルであって、桃の全てを包括する完全な「言葉」ではないということです。それなのに、多くの人は、桃という1つの言葉を聞いたら、自分が持っている桃のイメージを引っ張り出してきて、自分の体験を元に桃とは「こういうもの」と決めつけます。桃という言葉を聞くことで、他人も自分と同じように考えているという錯覚をしてしまい、共通言語を話しているような気になってしまうのです。あなたは岡山の我が家の実家の玄関先には、毎年白桃の箱が山積みになっていて、桃を腐らせるほど、食べ飽きるほど、そして近所に配って歩くのが大変なほど桃に恵まれていることなど、言われるまでちっとも想像できなかったと思います。 
 
  
言葉にはリミットがあります。言葉は全てを表していません。一人一人がイメージする言葉の定義も違いますし、言葉のその向こうにこそその言葉が捉えようとしている「本質」があります。それこそ全てを包み込んでしまういろんな定義の根幹であり集合体なるものが存在しています。言葉はその本質にアクセスし、本質の一部を切り取って伝える「シンボル」だということです。だから言葉で何かを伝えようとするのも、実際には無理があります。たくさんのものを伝え損なっているんです。正直、私は伝えることを恐れています。伝えきれないことを知っているから。それでできるだけ、丁寧にいろんな角度から拾い起こそうと意識しています。一生懸命、精一杯。真心を込めて。言葉の後ろ側にある「言葉にしきらない心」これを受け取って欲しいと願って筆を取っています。
 
 
私は「体」というのは、人間の本質を表象化したシンボルの1つに過ぎないと考えています。シンボルというと、とても抽象的な言葉ですから、伝えたい意味を削ぎ落としてしまう恐れがあるので、もっと見えるもので例えるなら、体とは「器」みたいなものだといえます。いろんな桃があるように、いろんな器(体)があります。私がイメージする岡山の白桃だけを切り取って、桃とは白桃である、と断定してしまえば山形の人が黙っていないはずです。 
 
 
それと同じで、私の体だけを見て、女の体をしたものは皆すべて等しく女を生きている物体である、ともいえないのです。実際に、私は女の体を身にまといながらも「自分は女ではない」という確信を強く持っているのです。かといって、では男なのかと問われると、正直なところ体つきも違うので「男」という定義をどこに置くかという「土俵」を同じにして話を進めないと、議論が空回りしてしまうことになります。その話はまた別の機会に譲るとして、わたしたち人間が捉えている以上に、人間とは、あるいは性別とは、案外一刀両断には割り切れない奥深さをもっているのだと受け入れることで、まずスタート地点に立てるのではないでしょうか。
 
 
今まで信じてきた信念を、一旦脇に置いて、ニュートラルな目でもう一度、現実を見てみる。そうすると、もしかしたら見える人には「見え」てくるかもしれません。新しい道が。  
 
  
私はあえて体をいじって、容易に「男」の立場を手に入れたいと考えません。臆病と言われても仕方ありませんが、たしかに健康リスクを取ることに恐怖を持っているというのも事実です。でも、自分の人生をもって証明したいことがあります。声を大にして言いたいことがあります。
 
 
人間の性質を決めるのは体(器)ではないんです。
 
 
身長150cmのチビの男性に向かって、お前は女性の平均身長よりも背が低いから「女」だ! とからかえば「何を〜!」と喧嘩になります。遺伝子の発現に過ぎないのに、人格まで否定された気がして、親が一緒になったことを恨みたくなります。
 
 
女性化乳房症を気にしている男性をつかまえて、お前は女みたいな胸をしているから「男じゃない! 女風呂へ行け」と言われても、馬鹿にされたと感じて嫌な気がすると思います。男風呂に入れなくなるトラウマが残るかもしれません。
 
 
桃という言葉だけでは、すべての桃のイメージを含みきれていないように、器だけをとってみてもその人の本質を表しきっていないことは十分分かると思います。器の良し悪しを議論しても、個体差のバラエティが分かるくらいなもので、本質には迫っていません。
 
 
そんな表面的な枝葉の議論よりも、もっと大事なものは内面からにじみ出てくる「本質」そのものを認識して掴まえることです。形がないので、捉えがたいのですが、そこにこそメスを入れて、私はもっと成熟した男に進化し続けたいと思います。父として、夫として。あなたの本質にアクセスできる、この世界で一番腕のいい執刀医は、実はあなた自身なんですよ。だから私は自分の人生をどうデザインし、執刀するのか、この権威を自分以外の誰の手にも渡しません。自己責任で、自分の人生を引き受ける覚悟をしています。
 
 
仮に体に、セクシャル・アイデンティティが現れるとする考えを取るならば、そもそも性同一性障害者に性別適合手術は不要です。性同一性障害の人のアイデンティティは体で決定されるのだから「生まれた体の性別で我慢して生きなさい」という話で丸め込まれて終わりです。私はそれは違うと訴えています。自分の体の違和感に我慢できないから、体を心に合わせるという治療法が取られてきました。性同一性障害を巡る医療史の流れの中で、そういう取り組みがされてきたことは革命的進歩でした。体の性別が示す身体的特徴と、セクシャル・アイデンティティは必ずしも、一致しないのです。別物なんです。当事者のこの気持ちを汲んで作られたのが「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(「特例法」2003年成立)でした。
 
 
いくつか満たすべき要件があります。社会の秩序のためだと言うのですが、こちらもそれは十分承知しています。別に社会秩序を混乱させたいわけではないのです。枠組みに入りきらない私たちのような人間への対応を考えてもらいたいんです。性別は社会に帰属するものなので、あなたの自分勝手な主張で性別を簡単に変えられては困りますという考え方にも同意します。男女二元論の枠組みには収まらない人たちが相当数存在していることが明らかになってきました。そういう状況の下で、今まで捉えられていた性別のあり方を考え直し、再定義し、新しいルールを作り、社会秩序を再構築する時期が来ているのではないかということを主張したいのです。
 
 
性同一性障害者に寄り添うはずの特例法に、あなたが「体」を切り刻んで社会が定義する「身体的特徴」を備えた性別に改造する気があるなら、あなたを「男」と認めましょうとか言われる筋合いはないと思うんです。それまではあなたは「女」として生きるべきだ、あなたがどう思おうがあなたは所詮女なんだから、あなたの好きなようには生きさせない、手術しない限り。そう言われているんです。私は裁判で2度もそのような内容の審判をくらいました。もういい加減にして欲しいです。体の特徴云々の前に、アイデンティティと社会的な性別が一致しておらず、困っているんです。日本の法律に、特例法以外、手術を強要する他の法律は存在しません。
 
 
俗にストレートと呼ばれる一般の男性、女性にしても、多様なグラデーションがあって当たり前です。なんとトランスジェンダーのなかにも、性のあり方には個人差が認められるんです。プロトタイプなどという原型的な考え方の枠内で囚われていると、また「男女二元論」とまったく同じ過ちを繰り返します。
 
 
だから、当事者にこそ「あなた」であることに誇りを持って欲しいと言いたいです。あなたがあなたであることをやめたら、やっぱりグラデーションは「存在しない」ことになってしまいます。こうだったらあなたをあなただと「認めてあげるのに…」といって、いかにも既存の枠組みだけが「正しい」とするかのような甘い誘惑に負けないで欲しいんです。あなたはもうすでにあなたです。制度と理解が追いついていないだけなのです。どうして、自分の信念をねじ曲げて当事者でない人間が作った「概念の枠組み」に閉じ籠もらないと、あなたであり得ないのですか? 論理がおかしいことに、どうか世間が1日も早く気づいて欲しいものです。 
 
 ⬜︎ 箱の中のトランスジェンダー
 
2015年、私は、顔も名前も住所も公表して、地元テレビ局のドキュメンタリーに出ました。性同一性障害をテーマにしたものでした。姪っ子が悲しみました。
  
「どうしてたかきーとはテレビに出たん? 恥ずかしかったわぁ。」
 
実家で一緒に夕食を食べていた時に、当時小学3年生だった姪が唐突に絡んできました。
 
「じゃあ聞くけど、あなたはたかきーとがこれからもずっと小さな『箱』のなかで閉じ込められたままでいてほしい…。外でどんな楽しいことがあっても、顔なんか覗かせたりせずに、ずっと静かに黙って引っ込んでいて欲しいって、そう言ってるのかい?」
  
小学3年生の子には少し酷な返答だったかもしれません。が、彼女は「ハッ」としたような表情を見せ、何も言いませんでした。それから少しして、妻と子を紹介したときに「たかきーとはお父さんになるってことか!」とさらりと言ってのけ、私を嬉しい気持ちにさせました。この件について、姪っ子とじっくり語り合ったことはありませんが、私には彼女の思いやりの気持ちが十分すぎるほど伝わりました。
 
 
姪っ子とのやり取りの中で学んだことです。思ったことを言えず、お互い想像や詮索でものを言ったりすると、誤解も生じます。嫌悪感が生まれることもあります。でも、はっきりと感じていること、考えていること、やろうとしていることをちゃんと丁寧にコミュニケートすることで、人は分かり合えるのではないでしょうか? マイノリティだからといって「触らぬ神」扱いする必要は全くありません。分からないことを、分からないと言うことが始まりです。
 
 
私自身を振り返っても、3歳で字が書けるようになり、自分のパンツに自分で名前を書いた日が、混乱の始まりでした。「たかお」黒いマジックペンで「お」を逆さに書いたことまではっきり覚えています。その歳ですでに、この世には男と女があるらしいという傾向をつかみ始めました。男の子友達と自分の体が違うということも気付き始めていました。児童館の卒園発表会で「将来の夢」という演目があり、自分で手を挙げた記憶はまったくありませんが、いつの間にか私は先生から看護婦の役を割り当てられ、白いタイツを履かされ、手作りの大きな注射器を持って前に出ていました。子どもの将来は児童館で決定されるシステムなんだと勘違いして、いつかわたしは「看護婦さん」にならないといけないのかと思ってしまいました。
 
 
今となっては笑い話なんですけど、子どもの頃は、この世界の仕組みを学ぶことに一生懸命。何がなんだか分からず、無我夢中です。やがて、少しずつこの世の中の仕組みを理解し始め、自分がやりたいことを探し始めます。夢を追いかける一方、自分の能力の限界にも気づかされてきて、現実をつきつけられます。しかし大人になってみて思うのは、世の中の道理を心得たつもりでも、歳を重ねてもまだまだ道半ば、まったくもって暗中模索というのが本当のところです。
 
 
性のテーマにしても、自分で名前を入れた新品のパンツを下ろしたあの夜からもう40年も経っていますが、じゃあ答えが出ているのかというと、そうでもありません。姪っ子も、物心ついたころから私に質問してきていました。「男なん? 女なん?」一緒にデパートに行くと、私がどちらのトイレを使うのか見届けようと、後をつけてきたりしました。気になってしょうがなかったみたいです。「たかきーとは男だよ。」そう説明されても、一緒にお風呂に入ると、お父さんのカタチとどうも違う。「どういうこと?」「どう理解したら?」不審な目で私の体をじろじろながめていました。姪っ子は、たまたま身近に私がいて、彼女なりに疑問が発生し、問題意識が生まれました。
 
 
このように私の家族にも「性別違和」のテーマに向き合う「初日」が来たように、あなたにもその「第1日目」がいつか訪れたかと思います。そして、性とは何か、性別を決定している要因とは何か、社会で共に生きるとは何か考え始める。あなたの置かれた場所で、環境で。面白いもので、意識しているとそのテーマが新聞やニュースで取り上げられるのが目につくようになります。 
 
 
性同一性障害なんていう言葉を知らなかったおばあちゃんが「そんな人、見たことも聞いたことなかったけど、あんた以外にもたくさんおるんじゃなぁ。この前もテレビで特集しとるのを見たわぁ。」と報告してきてくれたり。「今まであなたがそういう苦労をしてきたこと、全然知らんかったけど、テレビを見て悩みがよく分かった。手術するという生き方もあっていいし、あなたのように手術をしないという生き方があってもいいし。そういって友達とも話したんよ。応援しとるよ。頑張ってな。」と手を握りしめながら、目を見て話しかけてくれたり。電話をかけてきて「あなたは可愛いんだから、あなたらしく女として生きたほうがいい」と諭してくれる人もありました。「自分らしく生きようと思ってこういう決断をしたんです。」とお伝えしましたが、こちらはまだ同意に至っていません。
 
 
とにかく一人一人しっかり考えることが始まりです。私だって何ゆえ自分をここまで自己開示しないといけないのか、以前は公にしようなどとはこれっぽっちも思っていませんでした。ただ、自分を申し開きしない方が生きづらいという「壁」にぶつかったからカミングアウトという選択に至りました。それはそれは熟考しました。そして人の考えは、時間と経験の経過でステージが変わっていくごとに、変化していきます。私自身、筋を通す生き方が好きですが、固定された考え方にしがみついていると、自分自身の成長を固定すると気がつきました。
 
 
その都度、自分の価値観や信念とすり合わせて、自分の考えを整理したらいいんです。それはあなたがいい加減なのではなく、進化しているということです。変化していく現実と向き合い、自分の考えを整理する時間を私もあなたもお互いしっかり取ることです。あなたは一部正しいし、あなたは一部間違っているんです。みんなそう。相手の立場や気持ちを無視して、それぞれの主張をしているだけでは、どうしても摩擦や誤解、傷つけ合いが起こってしまいます。次の時代に必要なのは、この多様性の社会の中で(それもめまぐるしく変化していくスピードに乗り遅れずに)いかに相手の人生を自分ごとのように捉え、一緒に考えられるか、その共感スキルではないでしょうか。
 
 
誰も理解してくれない世界は孤独です。もう嫌だ、辛い、分かりあえない、解決できないといって、現実と向き合うことを拒否し、閉じこもる方向へベクトルが向くんです。負の連鎖です。
 
 
この世界、一人一人違っていいじゃないですか。その分、理解しあうのは、たいへんかもしれないけど、それはそれで、避けたらいけない課題だと割り切って取り組んでいきましょう。違いは違い。異分子を単純排除してしまう冷酷さと恐れに根ざした偏った知性のなかに、答えは見つけられません。全部を包みこんでしまえる解決策はないのかな? そう考えると突破口が見つかります。網様体賦活系をオンにするんです。
 
 
自然を見ているとヒントをもらいます。動物だって植物だって多様性があるほうが賑やかだし華があって面白いじゃないですか。単一作物を大規模モノカルチャーするプランテーションの方が、効率もいいし管理もしやすいです。が、一旦バナナ畑が、病害虫に襲われると一気に全滅に向かいます。それを予防するために、大量の農薬が使われて、労働者の健康を害したり、下流の生態系を壊していきます。結果、近隣住民の生活資源&ライフスタイルにインパクトを与えます。
 
 
一方で、無秩序のようでいて、いろんな動植物が混在しているジャングルでは、毎年新薬が発見されたりしています。大木が苔むし、空気中の水分を含み、小さな生命体が命をつなぎ、エアプランツが腰を下ろす。葉っぱの間に溜まった水たまりに、カエルが卵を産み付けています。木の実をねらって鳥がやってきて、またどこかへ種を運んでいきます。大木が倒れてできた間隙に、光が射し込みそこに新しい生命が育ち始めます。こうして1つ1つの命がつながって森は維持されています。けっして誰かを排斥しなくても、エコサイクルは回っています。そこには必ず自分の居場所があります。バイオダイバーシティの森、私が好きなコンセプトです。「多様性」こそどんな環境の変化がやってきても立ち向かえる「自然界」に備わっている知恵、そしてしなやかな強さだと思うのです。 
 
 
私たち人間の社会も「多様性」によって支えられています。もしかしたら、性の多様性の中で、トランスジェンダーというカテゴリーの人種は、自然が備えたなんらかの調整装置だとも考えられます。それを人間の浅はかな知恵で、排除したり、既存の固定観念に当てはめようとして「戻そう」としたりするのは、アプローチとして軽薄かもしれないと、私は少しだけ勇気を出して警鐘の声を上げておきたいと思います。
 
 ⬜︎ 盲点に隠された出口
 
今私たち家族は注目されています。2016年3月に婚姻届不受理。不服申し立て裁判。5月却下。6月に息子がサプライズ結婚式を挙げてくれました。11月に岡山県家庭裁判所津山支部に手術要件を満たさないまま「性別変更」の申し立て。2017年2月に却下。広島高等裁判所岡山支部に即日抗告。2018年2月に棄却。
 
 
なぜ、私たちは世間に嘲笑されながらも、家族になろうとあの手、この手を繰り出しているのか? 裁判をするたびに、わざわざ「あなたは女であり、女として生きるべきですね〜」という司法の判断を仰ぐことになり、はらわたが煮えくり返る思いをして心労も重なります。
 
 
「ありのままの姿で生きることを認めろという主張であれば、君たちはそのままでいいじゃないか、世間の風紀を乱してわがままだ。」というご意見もあれば「制度なんて気にしなくていい、あなたたちは素敵な『家族』だ、応援している。」という声もよくかけてもらいます。大仰な騒ぎなんかにしなくても、自分たちが家族だと思ってこっそり生きていれば、波風も立たず、平和じゃないか。現実的には家族として地域にも受け入れてもらっていて不都合はほとんどないし、誰にも迷惑をかけずに幸せに暮らす道はあるんじゃないか。もちろんそんな気持ちもあります。私たちはすでに幸せです。不幸な私たち家族を幸せにしてもらうために、制度を捻じ曲げようと動いているわけではありません。
 
 
・思い込んでいることで、道を自ら見えなくしている。
・慌てて結論を出そうとして、十分選択肢を検討できていない。
 
 
そのことを痛感しています。だから、丁寧に対話を始めることが必要なんじゃないか、そう思うのです。思い込みというものは、人を盲目にします。男は背が高いとかいう決めつけもそうなのですが、逆に特例法という制度を前にして、性同一性障害者が男になるためには手術をしないといけないという論理しか見えなくなっていたりします。そのため、要件を満たさないと性別変更できないので、本人が望んでいない手術をしたという話もよく聞きます。後悔しているという声も寄せられます。法律のほうが偉いのか、人間の尊厳のほうが価値があるのか、いったいどっちなのということを考える典型的な事例です。
 
 
私は前から戸籍の性別を変えたい希望はあったのですが、特例法の手術要件を満たしていないことを知っていたので、性別取り扱いに関する変更の申し立てを家庭裁判所に申し立てること自体をはなから諦めていたのです。ところがある日、ふと「なんで今まで誰も手術をしないままで、申し立てを出してこなかったんだろう?」そんな疑問が顔をもたげました。「手術をしたら、それからようやく申し立てを出して男になるぞ。」そんな順番の頭でいると決して出てこない発想です。ちょっと待った! 手術の前に、あなたのセクシャル・アイデンティティはもう決定しているはずではありませんか? 制度があなたの自尊心を保証してくれないからといって、早まらないでほしいんです。
 
 
手術をしない当事者は、手術に至る当事者と比べて、80:20という多数派でありながら、その中には可能であれば性別変更を望んでいる人も少なからず存在しているはずであろうのに、なぜ性別変更の申し立てをせず黙っているのか?(ちなみにそういう人たちは、声を上げずにひっそりと暮らしているので、なかなか表に現れてきません。)その理由を考えてみたのですが「性別変更をするためには、手術要件がある」ということが「申し立て」そのものにも適用されると勘違いしているからだと気がつきました。まさに、私もその1人でした。過去を遡ると2014年に松山市の家庭裁判所へ、手術なしで男性から女性への「性別の取扱いの変更」を求めた事例が確認できます。
 
 
申し立てをすることと、申し立てが許可されることは別の話です。たとえ却下されることが99.9%想定されていたとしても、自分にそのチャンスがあるなら、やるだけのことをやって、それでボロクソに言われるほうがよっぽどましです。今はまだ存在が認識されてないだけです。戸籍上の性別の取扱いを変更してもらわないと、たとえば結婚できないとか、就職先で戸籍上の性別の更衣室をあてがわれたり、トイレの使用を強要されたりという問題が起こります。体の性別と心の性別が不一致のトランスジェンダーは、性別適合手術をしていなくても、実生活上不具合がたくさん起こっています。(だから手術へという単一的なルートしか見ないのではなくて)当事者は今の状態で、現実社会でどんな生きにくい現状があるのかを丁寧に伝えていく責務があると思います。
 
 
ただ口をつぐんでおきながら、社会に変化や対応を求めるというのは無茶です。誰も知らない事態、存在していない存在のために、ルールを作る必要なんて発生しません。当事者が泣き寝入りして、社会を逆差別したまま「どうせ分かってもらえないんだから、アクション取るだけ疲れる、悪者にされる、波風立てたくない。黙っとく。ガマンする。でも、社会にムカつく。私なんて否定された存在なんだ。生きてる意味なんてないんだ、死のうかな…。」寄り添いたいと願ってくれている理解者、支援者、そして社会があったとしても、当事者がそんな傲慢な態度で壁を作っていたら、あなたのために一体何をしてあげたらいいのか、到底見当もつきません。当事者の苦悩や望みをいちばん知っているのは、本人です。その当人が何も言わずに黙っていたら、私たちの存在も希望もずっと「可視化」されないままです。ないことにされ続けるのです。手術を望まず、でも性別は変更してほしいと望んでいる性同一性障害の人たちは、いないかチキンかにされてしまうのです。
 
 
そんなの、いやだ〜!
少なくとも私は自分の存在を否定できない! 
ここに私は生きている! 
 
 
申し立てが通るかどうかは別として、申し立てそのものはしてもいいんだから、やってみよう。声を上げてみよう。盲点に突破口を見つけました。そこがスタートでした。同じような悩みを抱える当事者だけでなく、問題意識を持っていた専門家、関係者が「よく声を上げてくれた」と賛同の声を上げてくれるようになりました。 
 
 ⬜︎ パートナーと考える話
 
それから、もう一つの盲点。焦らないでほしい大事な理由。それは、あなたが家族を持つ日が来るとき、あなたの体はあなたのパートナーのものでもあるということを忘れないでということです。あなたは自分の体を自分の所有物かのように考えて、自分のものなんだからどうしようが勝手だろう、好きにさせろと思っているかもしれません。 
 
 
まあ、そういう側面もあります。あなたの自由です。権利です。ただ、同じようにあなたのパートナーにも、あなたに健康でいてほしいと願う権利があります。よく聞く話なのですが、当の本人は一生懸命「男らしい体」を手にしようとしているけれど、パートナーは「体」は二の次、体よりも何よりも健康で、そして安心で安全である保証、それを求めています。本人ほど見た目も気にしていませんし、セックスのときにシャツやパンツを履いたまま抱かれるよりも裸で触れ合いたいと思っているのです。でも、本人が気にしているので、言えない。本当の願いを言うと声を荒げて、逆ギレした挙句に落ち込んで自傷行為へ走ったりするので、仕方なく本人がしたいようにさせてくれています。
 
 
手術でフェイクの体を手にして、外では普通の「男」のごとく振舞っていて、実は継続的なホルモン治療の副作用で老化が早く来てしまって、50代ですでに体力的にヨボヨボなお爺さんのようになって仕事に行く元気をなくしてしまうかもしれません。医療の進歩と高齢化社会の到来で、60歳でも若者のようにバックパックで世界を旅したり、80歳で自給自足の農業をするために原野を開墾して鶏や豚を飼ったり馬に乗ったり、100歳で孫の孫と一緒に、スイミングスクールに通って大会に出ているかもしれません。120歳になっても本当に死ぬ寸前までオンラインでバリバリ仕事ができたりする時代が来るんじゃないかと思います。でも、体を不自然にいじってしまったために、気が遠くなるほどいたずらに長い老後をずっと不健康で病院通いに明け暮れて、資金ショートしてしまう悲しい孤独な寝たきり老人にならないとも限りません。クスリをやっていても、全然副作用がないという人もいます。あなたがどうか、それは誰にもわかりませんし、どう生きるかはあなたの選択にかかっています。
 
 
私が言わずもがなですけど、健康はすべての土台です。健康な体は資産です。若い頃は、何をやっても健康だし、体がいうことを聞いてくれるので、健康の大切さを意識しにくいので、突っ走ってしまうのも分かります。私はもう44歳になりました。おそらくそう遠くない将来に閉経も来て、ついに生殖機能もなくなり、手術をしなくても性別変更が認められることに喜びを感じつつも、鮮度をなくしたショボい肉体を自分の現実として受け入れていく過程を迎えます。しっかり睡眠をとったつもりでも、前の週の疲れが取れなくなったり、だんだん目がかすんできてピントが合いにくくなってきたり、長時間同じ姿勢をしていると腰や背骨がきしみ、階段を降りるときには足を滑らてこけたりしないか、少しドキドキします。食べるものには気をつけていますが、いつ体のどの器官がずる休みを始めるか分からず気が気ではありません。 
 
 
42歳でやっと遅い春がきて、ようやく念願の家族を持てたというのに、加齢で成人病のカウントダウンも一発触発、かろうじてなんとか健康でいられている体を自ら傷める必要がありますか?  自分の血液に、人工合成した不自然な濃度のホルモン剤を入れたり、メスを入れたりして、わざわざ不健康で不幸な生活を強いられるかもしれないというリスクを自ら取りたくありません。妻と子のためにも。ワガママだと罵詈雑言を浴びせられても、甘んじて受けます。満足はいかなくとも、この体で、自分の足で元気に大地を踏みしめ、意欲的に働き、心身ともに気力を充実させて、家族に最高に楽しい時間を提供したいんです。体に問題があるのではなく、制度に問題があるから苦しんでいるだけなのに、どうして体を制度に寄せて、私たち家族が犠牲を取らないといけないのかということを、家族を守る父ならば冷静に判断し、全体のために我欲を犠牲にするという優先順位の再調整が迫られます。
 
 
もしかすると、私のパートナーが未オペのMTFだったかもしれない可能性なんて、分からなかったのです。社会的なジェンダー役割は逆転してしますが、戸籍上結婚もできますし、自称お父さんが民法上の母として子どもを授かることもできます。自分たちの遺伝子を残したいと願う「逆転」カップルのこの決断を誰が止められるでしょうか? 自分が母として子どもを産むことなんて想像したくないというFTMは少なくありませんが、自分たちの子どもが欲しいという当事者はたくさんいます。知り合いから精子提供を受けて、パートナーに産んでもらって子どもを育てようと考えていたら、頼みの綱のパートナーが子どもを産めない体質という可能性もあるでしょう。FTMが卵子提供をして、パートナーに産んでもらうという事例もあります。違法ではありませんが日本では倫理的に認められていない風潮があるので、外国で代理母出産に踏み切るゲイカップルの事例もあります。
 
 
実はニュースに取り上げられないだけで、現実にはいろいろんな可能性が広がっています。だから、これから一緒に生きようと心を決めたパートナーが現れるときまで、自分の体をどうするかという問題は保留にしていた方が都合がいいこともあります。自分たちがどんな未来を作りたいか、一緒に決められるという道を残しておくことで、二人の幸せの選択肢が1つ増えるのではないでしょうか? 
 
 
そもそもあなたがどんな使命を持って生命を宿したのか。誰がどんな目的であなたというユニークな存在をこの地球に送ったのかというテーマも、考えると奥が深く、飽きません。あなたの人生を早まって、剪定しまくらない方があなたの可能性の芽を摘んでしまうというミスを防げます。とにかくあなたはあなたなりの人生をあなたのユニークさで彩っていいんだし、たった一回の人生なんですからゆっくりじっくり腰を据えて考えたっていいんです。周りに急き立てらなんかしたら、至高のアイデアも唯一無二の最高傑作も生まれないような気がするんですよね。あなたをあなたのままで最高だと言ってくれる、受け止めてくれているあなたのパートナーと一緒に考えれば、一人で思い詰めていたときよりもぐんとリラックスしていい案が浮かんできて当然です。パートナーの無条件の愛は偉大です! あなたもまた、その愛すべきパートナーとのベストな未来を引き出す義務があります。完全な愛は恐れを締め出します。 
 
 ⬜︎ 裸で生まれ、裸でそこに帰る 
 
人は死ぬために生きていると言う人がいます。死んでどこに行くのかもどうなるのかも分かりませんが、命の火が燃え尽きた日、物質社会との執着が完全に消えて、魂が体と切り離されます。多分、その日は私がホッとできる日です。もう体で私を「評価」されなくてすむ。
 
 
しかし、ささやかな疑問があります。この地上で使命を全うした命はその後も、姿を変えて(たとえば意識体のまま)生き続けるのでしょうか? 生まれてくる前は、母親のお腹の中で「生きていた」感があり、でも地上で初めて息をした日が「誕生日」とされています。それよりももっと前はどこに命の源泉をたどることができるのでしょうか? 精子と卵子は、それぞれ生きた細胞ですけど、卵子と出会わなかった精子は命をもちませんでした。2つの生きた細胞が、どこの時点で1つの「命」になるんだろう? 幼い頃から不思議に思っていました。
 
 
この世界は不思議なことだらけで、自分の頭で理解できることをはるかに超えていろんな現象があります。私たちはそれらを受け入れて日々生きています。いや、もっと正確には、その神秘的な大きな受け皿の中で私たちの命を生かしてもらっています。いろんな命との関わりの中で。もう最高です。理屈なんて分からなくても、生きています。もうサイコです。
 
 
私の人生は、ある一時、それは地球や宇宙のタイムスパンの中で見れば、本当に一瞬またたくかどうかくらいの短い期間です。そのつかの間に、家族に迎え入れられ生を受け、また自分の家族を作り、何かをつないで死んでいきます。こうしてたくさんの命が命をつないで、この世界を作ってきた、これからも作られて「連続」していくのだと思います。人間という「種」が、はるか昔から未来永劫、綿々と何をDNAに乗せて、時代を超えて何を運ぼうとしているのか、何をつなげていこうとしているのか? DNAが次元を超えて運んでいるメッセージは、個人が死んでもこの地球に永遠に刻まれる遺産です。肉体が滅びても滅ばないもの。そこにこそ人類が探している真理があるような気がしてなりません。肉体や物質に焦点を当てて見ていたら、決して出会うことはなく交差し得ないものです。
 
 
家族の絆。
 
 
これも同じく形がなく「見えない」ものです。捉えがたい。けど、確実にある。それでもさすがに戸籍という重要書類にすら、書き記すことは不可能です。でも、家族はその見えない絆を確かに持っているんです。その温もりに触れて、今日も1日生きる元気が出てくるんです。家族は命の発生源。何よりも尊いダイナミック・パワースポットです。
 
 ⬜︎ 「プロローグ」あとがき
 
プロローグなのに長すぎん? と妻からツッコミがありました。そうですね。私もこんな長いプロローグの本は読んだことがありません。なんでも人がやったことがないことをするのは、快感です。ただ自己満足にならないように、自戒しています。大学で卒論を書いていたとき担当教授が、研究室の学生を奮い立たせたセリフで印象的なものがあります。「誰かの役に立たんような自己満足の研究はマスターベーションと同じだよ。社会に役立つ研究をしないと科学を究める意味がないよ、君たち!」その後その教授は学長になられました。その先生の数々の名言は若き私の心に多くの道しるべを与えてくれたものです。
 
 
あなたは家やビルを建てる様子を見たことがありますか? 私は一度、鳶の職人さんが、まぁなんとも見事な速さで足場を作っていく現場を通りかかったことがあります。次の日もまた同じ場所を車で走っていたら、どうやら木造倉庫が建てられる様子でした。まず木材で建造物の骨組みができ、そして屋根、壁が設置されて、あれよという間に大きな倉庫が完成してびっくりでした。
 
 
最後にその足場は外されました。建物が残りました。これは人生にも当てはまると思います。あなたは建物です。人生はパーツの寄せ集めですが、そのパーツ、パーツを組み立てていくことであなたという「家」が完成していきます。建築には足場が欠かせません。でも、実は足場は脇役です。堅固な建物をそこに作ることが自体が本来の目的です。足場を頑丈に組めば、どこまでも高くて倒れない建造物を作れますが、何もないところに家は建ちません。
 
 
プロローグで私がイメージしたのは、建築現場の「足場」です。青春時代、担当教官が目標が定まらず何をしていいのか分からず研究に身が入らない学生の将来を憂いて思わずゲキを飛ばしたあの日、先生の心の奥から絞り出された「本音」のようなものです。私にはその声は指針となりました。研究だけではなく、人生においって何が大事なのか判断基準を持つことができました。今の時代で言うマインドセット、心構え、考え方のようなものです。
 
 
この本のストーリーは私の実話を元に進みますが、そこに織り込んだマインドセット、足場のようなものを頼りに、あなたがあなたという堅固な家を作って欲しいと願いながら心を注ぎ出して書きました。特にプロローグでは、私の人生の足場となっているものを紹介することで、私の生き方、価値観をまず知っていただきたいと考えました。これから始まる本編の骨組み、フレームワークです。その共通認識があれば、本を読み進めるときに、なぜ私がそう考え、そう行動したのかということをより深く理解していただけると思ったからです。
 
 
私は妻からよくあなたほど自由気ままに思い通りの人生を生きている人はいないと言われます。他人から見れば羨むほどだと。まあ、それなりに犠牲を払っているものもあります。先を読んで、考え抜いて、動いていることもあります。私が足場としている骨組みを見ていただければ、私が建てようとしている家(将来のビジョン)が見えてくると思います。今の時代の価値観でジャッジされると、もしかしたら「負け犬の遠吠え」に映るかもしれません。でも私は自分が自分に正直であるか。昨日の自分と比べて1mmでも進化しているか、そこを基準にしているので心穏やかです。
 
 
あなたもどこにでもあるような既製品の家を真似て居心地の悪い思いをする必要なんてありません。あなたが望む家を自由に、あなたの想像力と努力で、好きなように作ったらいいんです。それを可能にしてくれる足場(マインドセット)を慎重に見つけて自分のものにするといいと思います。あなた次第で、あなたの人生はどうとでもデザインできますから。
 
 
さて、かくいう私は、田舎暮らしから小さな家族生活をスタートして、これから世界へ目を向けていこうとしています。プロローグというからには、これから本編に移っていきます。言っても、取るに足らない小さな家族の物語です。つまらないかもしれません。「家族の条件」というタイトルをつけたのは、昔読んだ五味川純平さんの「人間の条件」(文春文庫)という6巻の本に影響されています。バックパックの旅先で最初の3巻に出会い、残りの3巻は帰国して仕入れて読みきりました。私たち家族は、この時代の日本に生まれ落ち、制度や固定観念の枠組みの中で、世論に翻弄されながら「生きるとは何だろう?」「どう生きたいのだろう?」と必死でもがく姿をさらけ出します。
 
 
人間の条件では、第二次世界大戦という潮流に巻き込まれた主人公梶の生き様と無念の最期を描写することで、作者は私たちへ「生きることの意味」を問いかけます。私は生きています。私の人生は小説ではありません。死にざまをさらして、何か伝えるのでは遅すぎます。この命を生ききりたい、その中で自分が大事なエッセンスを見つけたいという気持ちです。私は人が好きです。そしてたくさんの人に支えられて生かされてきました。この世の中の多様性を感じ入るとき、心の底から感動します。この世界は生きたアートです。だから、本を書きながらも、執筆過程でこれからもたくさんの人や世界観と出会って、自分の感性を磨いていく機会にしたいと考えています。読者のあなたと意見を交換しながら、共にこの本を成長させていくことにも挑戦したいと思っています。どうぞ、あなたの力を貸してください。
  



 ⬜︎ 「プロローグ」付録
 
失意にある時、緊張しているとき、愛を実感したいとき…。簡単にリカバリーできるとっておきの方法があります。
 
 
それは名言と出会うことです。名言には気持ち(エネルギー)を活性化させる力があります。そして人の波動を正す力があるんです。日本では昔から「言葉に宿ると信じられた霊的な力」を言霊と呼び、「言霊学」まであるくらいですから、あなどれない叡智です。
 
 
そしてその「名言」は、うんと身近にあるんです。自分の「名」を「言」うこと。実際に自分の名をゆっくり声に出し、音の余韻を味わってみてください。自分の名前の響きって、落ち着きませんか? 名前を声に出して唱えると、エネルギーが調整されて波動が強まるのだそうです。「名前セラピー」の著者ひすいこうたろう氏は「名前の響きは自分を最高に癒す周波数」だと説いています。
 
 
私は2014年、戸籍改名の許可が下り、公式に臼井崇来人(たかきーと)を名乗れるようになりました。改名するまで実は随分悩みました。親が付けてくれた名前は(名の意味が嫌いではないのですが)女性名でしたので、名乗ったその瞬間に、私は女のカテゴリーに自動的に振り分けられました。まずそこに抵抗感を覚え、名前を言わざるを得ない状況になるたびに、気持ちが沈み込み、声が小さくなりました。
 
 
改名を本気で考えるようになった頃、ちょうど「名前のことだま」セミナーがあり参加しました。改名よりも「解明」の大切を教えてもらいました。というのも名前には使命(命を誰かのために使う)が秘められているということでした。まさしく氏名。なるほど、言霊の妙。名前とは、自分が使うものではなく、人が使う(callする)もの。英語のcallingは使命。名前は使命を与えられた「ギフト」なんですよとのことでした。名前のことだまをひも解いてもらったところ…。
 
 
た…鷹や田に由来する音で、全体や自然を見通す力に優れている。たくさんの生きる糧や恵みを人に与える働きがある。陰で努力する。人と協力しながら、人の役に立つ働きをする。
 
か…感情の音。ゆとりがないとカァーとなりキレる。無償の愛情を与える。「香」「風」「神」のような働きで、見えないけれども、力を持っていて、見えないところ(上)から見守り、力を与える。
 
こ…形のないアイデアやビジョンを具体的に形にする働きを持つ。豊かにする。
 
 
改名した「たかきーと」もほとんど同じ意味になるそうです。気や木に由来する「き」という言葉が入るので、水源を深くに求めるほど成長し、大木の木陰に人を集める働きがある(人の役に立つ働き、安らぎと憩いを提供)とのことでした。そもそも「たかきーと」は「たかこ」をスペイン語読みしたもので、コスタリカで私は友達からそう呼ばれていたので、だからそれも使命を表しているそうです。ふだんは「たかきーと」で通し、「たかこ」ってもし呼ばれたとしても、「たかこ」はご本尊様みたいなもので「やや、自分の本殿の秘伝の間の御神体まで知ってるとは、こいつナニヤツ!!」くらいに解釈して上手に名前とつきあったらいいと教えてもらい、大分すっきりしました。
 
 
公的に名前が変わり、生まれ変わったような気分になりました。実際にこの世から「臼井隆子」という名の存在がなくなり「臼井崇来人」という今までになかった個人が突如社会に出現するわけですから、人間は同じなのにと思うと不思議な気がします。体を変える手術とは違って、お金もリスクもほとんどかかりませんから、社会での扱われ方に納得いかず苦しんでいる人はまず名前を変えるところから始めてみるのをオススメします。
 
 
ふざけたような名前に聞こえるかもしれませんが、私にはこの名前がすごくしっくりきていて、落ち着きますし、力が湧いてきます。名前に漢字をつけたときに、意識したのが左右対称性。少し遊びゴコロを入れてみたのです。性別もそうですけど、バランスの良さを身上としてきた性分です。人生の折り返し地点を過ぎて、改名したり、カミングアウトをしたりしましたから、残りの人生「楽しん」でやろうという決意の気持ちも入れたのです。
 
 
あなた自身、そしてあなたの周りの人の名前をちゃんと呼んであげることで、その人の使命が全うされる効果があるんだそうです。使命を力いっぱい発揮でき、生き生きと自分らしくなれるように、人のお役に立てるように、たかきーとという名前をたくさん呼んでやって下さい! そして私にもあなたの名前で呼ばせてください。 
 
 
あなたの生の声を聞かせてください。この本の感想や悩みなど。 
 
 
あなたがたった一度の人生を自由に、そして思いっきりエンジョイされることを心から応援しています! 面白いことがあったら、メールでシェアしてくださると、私も人生が楽しくなります。voice2tacaquito@gmail.com まで、気が向いたときにメールください。お待ちしています!
 
  
崇来人

 

 

目次

 
家 族 の 条 件 1
〜幸せをつなぐ道のり〜 1
「プロローグ」 1
⬜︎ 裸で母の胎を出た 8
⬜︎ 家族の崩壊… 14
⬜︎ 私が結婚できない本当の理由… 21
⬜︎ 苦しみからの解放 33
⬜︎ とらわれの信念 40
⬜︎ 男女二元論のエアポケット 57
⬜︎ 死に損、生き得 76
⬜︎ カミングアウト、逆差別の呪縛 83
⬜︎ 無条件の愛と軌跡 89
⬜︎ 結婚していても不幸 108
⬜︎ あなたの存在価値 119
⬜︎ 運命の女神 123
⬜︎ 男の条件 129
⬜︎ 世界一の執刀医 139
⬜︎ 箱の中のトランスジェンダー 154
⬜︎ 盲点に隠された出口 168
⬜︎ パートナーと考える話 178
⬜︎ 裸で生まれ、裸でそこに帰る 187
⬜︎ 「プロローグ」あとがき 192
⬜︎ 「プロローグ」付録 201 

 

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