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家族の条件 プロローグ

私を世界一幸せな男にしてくれた妻
幸に捧ぐ…
 
家 族 の 条 件
〜幸せをつなぐ道のり〜
「プロローグ」

たかきーと

https://youtu.be/qMW1j84EoXE 

「おぎゃ〜!」
 
あなたは、この世界に生まれ落ちたあの日のことを、覚えていますか? もしかしたら、マイペースな子はすぐには、おぎゃーと言わなくて、背中をペンペンってされたかもしれません。あなたが真っ赤な顔をクチャクチャにして、全身の力を絞り出すように「おぎゃ〜!」って、声を出したとき、あなたの家族はみんな息を飲んで、待ちに待ったあなたの誕生を心から喜びました。まだ胎脂まみれのあなたを、その腕に抱き寄せて、顔を覗き込み、目尻を思いっきり垂らして愛おしんだはずです。 
 
 
あなたがさっきまでいたお母さんのお腹の中は温かくて、守られていて、とっても居心地のよいところでした。それが、地球に顔をのぞかすとなったら、産道で頭をギュウギュウに押しつぶされそうになったりして、必死の思いで出てきたというのに、いきなりまぶしいし、寒いし、今までとは勝手が違いすぎます。いきなりの試練が、息を自分ですること。どうなってるの? わからないことだらけ。パニックで、思わず泣き叫んでいました。そうしたら「肺呼吸」ができちゃった。助かった! 地球で生きていくには、ここの『システム』を学んでいかないといけないらしい…。とりあえずこうして、わたしたちは地球初日の第一関門を突破しました。 
 
   
赤ちゃんのあなたがやってきてからというもの、あなたの家は毎日賑やかになったのではないでしょうか? おっぱいにしゃぶりつきたくなったら、とりあえずでっかい声で合図。お母さんの気持ちいい胸に抱かれて、いい気分です。眠気がきたら、また泣いとこって、ひと騒ぎ。お父さんが慣れない手つきで、なでなでしてくれました。声を枯らして泣き叫んだら、眠くなって、一休み。人肌寂しくなったら「抱っこして〜」って夜中でもお構いなく泣くし。わがままっぷりは、王様レベルだったと思います。それでもみんなが「可愛い」って目を細めて、手をかけ、愛情を注いでくれました。
 
 
でも、逆にお母さんが寝不足になっちゃうかなとか、今声かけたら悪いかなとか、いらぬ心配をしてオドオド挙動不審な赤ちゃんがいたら、どうでしょう? おっぱいが欲しくても、おしっこでおしめがびちょびちょで気持ち悪くても、ただひたすら両目をつぶって、口を真一文字に結んで、大便まみれになって、寡黙に空腹に耐えている赤ん坊…。
 
 
赤ちゃんが周りに気遣いして縮こまってしまうなんて、誰も望んでなんかいません。でも、これが大人になっても、本性丸出しで生きようとすると、やれ「ワガママ」だの「大人なんだから周りの迷惑も考えなさい」だの「自分勝手に振る舞うのはいい加減にしなさい!」だのと言われ、周りにとって「目障り」な態度を改めるよう、多少の圧力を感じるようになります。
 
 
いつの間にか、やかましかった口をつぐむようになり、好き放題していた態度を改め「こうしておいたほうが周りをイラつかせなくていいかな」という術を身につけ始めます。空気が読めることが大人かのように、信じ込まされていきます。そしてやがて本当の自分の姿を上手にオブラートに包むことを覚え、カメレオンになりすまします。それが恒常化してしまい、いつの間にか自分自身ですら「自分が何者なのか」「自分がどうしたいのか」よく分からなくなってしまうのです。動物園の狭い檻の中に連れてこられたライオンのように、すっかり大人しく気弱になって、生きる目的も闘志も湧いてこず、ガオーと大きなあくびをして昼寝をして毎日を過ごすのです。
 

 


 ⬜︎ 裸で母の胎を出た

私は裸で生まれてきました。あなたもそうだったはずです。それでも赤ちゃんは親の愛と加護を一身に受けているので、裸一貫で生きられます。ときどき、粗相もしました。だからといって咎められることはありませんでした。だって、それが赤ちゃんの本分ですから。にこっと笑っただけで、家中に笑顔と幸福が伝染し、言葉かどうかもよく分からない言語を絞り出したその日には「しゃべった、喋った〜!」とパチパチと賞賛されまくり、一人で歩けるようになった時には、これでもかというほどカメラのシャッターがカシャカシャと切られました。
 
 
家庭というのは安全な場でした。私が野垂れ死なないように、常に周りを警戒して、目を光らせて守ってくれる砦でした。最も母親に近い位置で乳房に吸い付いて、栄養と温もりをもらいました。父親にはよく遊んでもらいました。写真好きの父の被写体になっていた私は、アルバムを開くと小さな頃の思い出が何冊分も出てきます。近所の公園、海や山でお弁当を食べていたり、父のカブにまたがっていたり、木によじ登っていたり、たくさんの人に囲まれて、いろんな表情を見せる無邪気な私と出会います。愛されていたんだなと思います。
 
 
中でも特に思い出す2つの写真があります。
  
 
1枚目は、台所の床に座り込んで天を仰ぎ、慟哭する写真です。1kg分の砂糖が入るプラスチックのツボをひっくり返して、床に砂糖を撒き散らしてしまい、ビックリして大声で鳴き声を上げ、そこにいる父に助けを求めた瞬間を切り取ったものです。しゃくりあげる情けない幼子の声すら伝わってくる躍動感と迫力があります。父は助けることは後回し。まず、大きな一眼レフの写真機を持ち出してきて、パチリとやったのです。
 
 
片付けも手間ですけど、砂糖っていうのが…。今でもよく覚えていますが、その当時住んでいた教員住宅では、部屋の中でもよく小さなアリの行列を見かけました。それに私は、日本中から洗剤やトイレットペーパーが消えたオイルショックの1973年生まれ、親の節約観念はハンパありませんでした。ティッシュの箱には「1枚2円」と黒のマジックで書いてあり、無駄遣いをしないよう注意されていました。 
 
 
それでも砂糖をひっくり返して怒られた記憶はないのです。写真から伝わってくる雰囲気は、泣きじゃくる子どもの可愛さのあまり、つい思い出に残しておきたくなった父のおおらかさ。ちなみに、戦前生まれの父はシャイで厳格。しっかり言葉を交わしてきたという記憶はないのですが、こうして写真をたくさん残してくれたおかげで父の愛情を確認することができます。
 
 
2枚目は、どこかの写真コンクールにでも出したのでしょう。大きく引き伸ばして、額に入れた写真についたタイトルまで覚えていますから。バイク通勤する父が毎日履いていた綿入りの群青色のビニールパンツを持ち出し、教員住宅の広場で遊んでいる様子がいかにも楽しそうです。パンツの片足に妹、もう一方の足に私が潜り込んで、2人でお父さんの足になりきっています。ギッコンバッタンのけぞったりして、大笑い、キャッキャしている一枚です。
 
「子どもは遊びの天才だ!」
  
タイトルの通り、父はそう思ったのです。毎日ちょっとずつ大きくなっていく子どもの成長に温かい眼差しを向ける人でした。大人が思いつかない発想を遊びに取り入れる我が子を見て、可能性が無限大に広がっていることを疑っていない親バカ気味の人でした。おかげさまで、あまり固定観念に縛られることなく、自由にのびのび育ちました。
 
 

 

 ⬜︎ 家族の崩壊…
                  
最近のニュースは、耳を疑うことがあります。4歳男児が、母親の交際相手の高校生に力いっぱい蹴飛ばされ、壁で強打、死亡した虐待事件。義父と19歳母親が3歳の長女に十分な食事を与えず衰弱死させた育児放棄(ネグレクト)事件。交際相手にのめりこみ、ホスト通いに明け暮れる実母が3歳児と1歳児をマンションに放置して餓死させた事件。しつけの一環で、うさぎのゲージに3歳男児を監禁、食べ物を与えず、口をタオルで巻いて窒息死させた事件。義父が妻の連れ子の問題行動をお仕置きするため、居間の柱に小学二年生の男児を鎖でつなぎ、パチンコへ出かけた夫婦の逮捕・監禁容疑事件。
 
 
こんな現実があっていいのだろうかと目を背けたくなります。信じられません。家族って…。たとえ、世界のすべての人間が自分の敵になったとしても、最後まで自分の味方でいてくれる、そんな存在、拠り所であるはずの家族。家の中だったら、外では見せられない醜い姿をさらけ出しても絶対大丈夫という信念に基づいて、かくいう確信犯は、お風呂でうんこをもらしたり、嫌いな牡蠣をオルガンの下に隠してカビを生やしたり、食器も下げないまま、休日昼までダラダラ寝ていたり。仕事でうまくいかないことがあったら、ついついイラっと家族に当たって荒っぽい言葉を投げつけたり。ろくな親孝行もせず、わがままし放題、言いたい放題。もちろん注意はされますし、自分でもこれではいけないと自覚もしています。お互い気に入らないこともあるし、虫の居所が悪い日もあります。本音でぶつかり合って、意見が食い違ったり、喧嘩をしたり、口を聞かない日が何日か続くこともあります。それでもそんなことで家族の関係が終わるとは、これっぽっちも思っていません。何があってとしても、家族という「土台」は堅固で決してぐらつかないものなのです。だから安心して「素」をさらけ出せるのです。 
 
 
小さい頃から、それこそオシッコやよだれや青っぱなを垂れ流していた時代から、私の一部始終を見てきているので、性格やパターンを知り尽くしています。だから、別に格好つけなくてもいいし、嘘をついて去勢を張る必要すらありません。いいところも、悪いところも、全部分かってつきあってくれています。表裏無し、損得抜きで。それも永遠に、この絆が続きます。家こそが、誰しもありのままで居ていい安全な「場」です。外で、どんな辛いことがあっても、家に帰って来れば、元気を取り戻す。明日への活力をリチャージして、また外へ出ていく力と希望をもらえるパワースポットです。
 
  
家庭にその憩いの場を見出せない人は、どこにそんなパーフェクトな拠り所があるというのでしょう? 思うのです。この世界で、誰か1人が自分のことを理解してくれて、受け入れてくれたら、生きていける…。
 
 
一人一人、生き方も違って、考え方も違って、感じ方も違って、ぶつかったり、摩擦が起こって当然です。いろんな人がいます。所属するグループも、状況も違います。各人の人生が迎えているステージも課題も夢も人それぞれです。仕事のポジションも、生きがいも、その人の才能も、内に秘めた欲望も、はっきり言って誰一人同じものではありません、唯一無二です。
 
 
もしかしたら、あなたには今、身寄りがないかもしれません。家族や親族はいても、付きあいがなく孤独を感じているかもしれません。家族や兄弟が嫌いで、思い出すたび愛憎渦巻く人もいると思います。中には、家族を反面教師に、パートナーと理想の家族を作ることに徹しているケースもあるかと思います。結婚したくても、良縁に恵まれず、家でしくしく泣いている人もいれば、開き直ってシングルライフを謳歌している人、いろんな人がいることを知っています。子どもやパートナーに恵まれ、幸せな日々に感謝している家庭もあります。
 
 
私の人生は、私の人生。死ぬこと以外はかすり傷。なるようになる。受け入れて、使命を生ききる。そんなタフネスがあれば、どんなに気楽か。試練や困難さえ、喜びに変えて人生をエンジョイできそうです。が、現実は…。誰かと自分を比べる必要はないのですが、つい隣の芝生を覗いてしまいます。
 
 
「なんで、オレは結婚できないんだよぉ?」

 

 

つ・づ・く…

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