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おもしろ偏屈おじさんの一人語り フロイト『精神分析入門講義』

長年のフロイトエアプを解消しようと、とりあえず岩波から出ている「精神分析入門講義」を読んだ。


まさかの冒頭

フロイトといえば、夢判断とエディプスコンプレックスがイメージされる。

この本の帯に、「精神分析の創始者が自らその概要を語る」と書かれていたので、当然たっぷりとその話がされるのだと思って読み始めた。

だが、最初は「失錯行為」という、なんとも地味なテーマから始まる。

失錯行為というのは、「議会の開会を宣言します」と言うべきところを、「議会の”閉会”を宣言します」と言ってしまったり、「乾杯(アンシュトーセン)」と言うべきところを、「げっぷ(アウフシュトーセン)」と言ってしまったりするという、いわゆる言い間違いである。

フロイトは、これは単なる言い間違えではなく、「その人は本当は議会を早く終わらせたかったのだ」「彼はこの宴会に不満があったのだ」といったように、その人の隠された本心が出てしまったのだ、と捉える。

正直、かなり無理のある論証である。

単なる言い間違えに、そこまでの複雑なメカニズムがあるとは思えない(いわゆるオッカムの剃刀)。

さらに、取り上げられている例も、「アンシュトーセン(乾杯)」と「アウフシュトーセン(げっぷ)」だの、「ベグライテン(お供する)」と「ベライディゲン(不躾になる)」だの、「ブリュートカステン(孵化器)」と「ブリーフカステン(郵便箱)」だの、ほとんどオヤジギャグである。

フロイトの詭弁

だが、意外だったのは、フロイトがこうした反論が来ることを、しっかりと想定していたことである。

さすがに、ダジャレについての反論はないものの、単なる言い間違えなのではないか、といった反論にはしっかりと答えている。もっとも、「その意見はごもっともだが、私が観察したところでは間違いなくこうなのだ」という、詭弁に近いやり方ではあるが。

フロイトのすごいところは、ある出来事や事象に対して、とてつもないほどの想像力を働かせ、あっという間に自分の理論に引き込んでしまうところである。

基本的にフロイトは、人間の表層部分である「意識」は抑圧されたものであり、その裏には「無意識」が存在していると考えている。そして、その無意識は失錯行為などの、特定の場面において表出することがある、というわけだ。

トンデモすぎる夢分析

この考え方は、失錯行為の次に語られる夢の話でも使われている。

こうした考え方と、フロイトの妄想力がよく表れている例を紹介しよう。

それは、ある女性の夢に対してフロイトが行った分析である。

その夢はこうだ。

彼女は劇場で夫と共にいます。一階席の半分は完全に空席です。彼女の夫が彼女に言います。エリーゼ・Lも自分の許婚と共に来るはずのところだったが、悪い席、三席分で1フローリン50クロイツァーしか取れなかった。そして当然この席を、彼らは取らなかった、と。彼女は、もしその席を取っておいても、それほど都合が悪いわけでもなかったろうに、と思います。

p. 210, 211より 一部改変

そして、女性がおそらくこの夢に関連することとして挙げたのは、

「劇場のチケットを先行販売で手に入れたため、余分に手数料を取られてしまったが、実際に劇場に行くと一階席の半分は空席だらけだった」

「彼女の義理の妹が、夫からもらった150フローリンを、その日のうちに宝石と取り替えてしまった」

といった出来事である。

フロイトは、これ以外に「彼女より三ヶ月若い友人が、有能な夫を手に入れた」「彼女は義理の妹を馬鹿にしている」という情報を使って、

「こんなに結婚を急いだ私は、馬鹿だった!たとえばエリーゼ(友人)みたいに、私ももっとゆっくりと夫を手に入れれば、そのお金(持参金)で100倍も良い夫を手に入れていたかもしれないのに!」

という、驚きの分析を行う。

劇場と結婚を重ね合わせ、1フローリン50クロイツァーと、それの100倍の金額である150フローリンを、持参金として捉えている。

つまり、彼女は自身の夫を低く評価しており、結婚を急ぎすぎたことを後悔している、ということだ。

フロイトは、夢ではこうした奇妙な組み合わせが行われている、と主張しているが、それをいいことに、行き過ぎとしか言いようのない分析を行っている。

あれも性器、これも性器

また、これは有名かもしれないが、フロイトは夢に出てくるあらゆるものを、性器の象徴として捉える。

その範囲は驚くほど広く、何らかの空洞を有している物体、何かの材料、カタツムリや貝類、口、教会やチャペルがすべて女性器の象徴となる。

さらに、果物は乳房の象徴、森や茂みは陰毛、あらゆる種類の機械は男性器の象徴といったように、あらゆるものが性的な意味を持つことになっている。

こうした夢に登場するものと性器との関連性は、なんと5ページにわたって続けられる。

非常にぶっ飛んでいて面白い部分ではあるが、こうした話をすると、本当にキリが無いのでここまでにしておく。

感想:詐欺師の手口の予習になる

ここからは、私がこの本を読んで感じたことを話そう。

まず思ったのは、新興宗教や詐欺師が話していることは、おそらくこんな感じのことなんだろうな、ということである。

言っていることはめちゃくちゃなのだが、想定される反論を取り上げ、それを丹念につぶして自分の議論に引き込んでいく様子や、自身のある話し方など(この本は講義録である)で、思わず信用してしまいそうになる。

彼が偉大な(?)学者ということもあり、そこら辺の詐欺師よりは数段立派で面白い文章が書かれているので、手口をあらかじめ予習しておくために、ぴったりの教材ではないだろうか。

もう一つ感じたのは、理論としては破綻しているが、内容としては非常に面白い、ということだ。

精神分析というのは、本人ですらも気づいていないような感情を導き出すという、マジックのような特徴を持っているが、この本を読むとそのメカニズムが少し解き明かせるような気がする。

科学や厳密な実験によって解き明かされる事実も、それはそれで魅力的だが、どうしても専門的なことを勉強しなければいけなかったり、明らかになっていないことが多かったりする。

そうした科学のじっくりとした進歩を待つ間に、少しだけ信ぴょう性のあるトンデモ説を覗いてみるというのも、アリなのではないだろうか。

確かな学びを得たい、という人には向かないかもしれないが、エンタメや教養としてフロイトを知っておきたいという人は、ぜひ読んでみてほしい。

タイトルや装丁は堅苦しいが、中身は偏屈なおじいちゃんが楽しく話す空想話なので、意外と気楽に読むことができる。

余談:本編より印象的な小咄

最後に、個人的に本編より印象に残った、とんでもない小咄を2つ紹介しよう。

なんとなくウミガメのスープっぽい感じだったので、クイズ形式にしてみた。

問題1:ある部族の長は、捉えた男に対して、次のようなゲームを提案する。それは、袋の中にある100個の球から、1つだけある白い球(他は全て黒)
を取り出すことができれば解放するが、黒だった場合はその場で殺す、というものだった。
その部族長は、こっそり袋に100個の黒い球を詰めた。しかし、その様子をたまたま目撃した男は、生還できることを確信した。それはなぜか。


答え:男は袋から球を取り出すとすぐに、それを口に含んで飲み込んだ。そして、「誤って球を飲み込んでしまいました。取り出した球の色が何色だったのか、残りの球を取り出して確認してください。」と言った。当然、袋には黒い球しか入っていないので、男が飲み込んだのは白い球ということになる。

問題2:ある村に、鍛冶屋がいた。その鍛冶屋は、死に値する犯罪をおかし、裁判で罪を償うべきという判決が下ったが、処刑されたのは仕立て屋の男だった。それはなぜか。


答え:村には鍛冶屋が一人しかいなかった。そのため、居なくなるとみんなが困ってしまうが、仕立て屋は三人いた。そのため、そのうちの一人が処刑された。

一問目のまさかの生還方法と、二問目のとんでもない理不尽さは、個人的に強烈に印象に残った。

さらに、この話の面白いところは、わざわざ挿入されているこれらの小咄が、本編とあまり関係がないことである。何度読んでも、前後の話との関連性が見出せなかった。

良かったら、友人などにこの問題を出してほしい。

確実に、正解することはできないだろう。

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