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大学で学ぶ意義とは?

今から25年以上も昔の話です。当時、ドイツに留学していた私は学期間の休みを利用してヨーロッパを旅行していました。そんなあるとき、スイスのホテルで、日本から観光できていたとある女性と話す機会を持ちました。


そこで旅の外国語の話になり、彼女はドイツ語についてこう言いました。「じつは大学の第二学国語で学んだことがあるんです。でも、あまり覚えていなくって」と言った後につづけてこう聞いたのです。


「英語で言うところのpleaseって、ドイツ語ではどう言うんですか?」


私はかなり驚きました。「プリーズに相当する言葉なんて、いちばん最初に学ぶところなのに!」とはもちろん思ったわけですが、それ以上に意外だったのは質問の言葉そのもの「どう言うんでしたっけ?」という聞き方でなかったことです。


これ以降、この方以外にも第二学国語で学んだという方に何人かお会いしましたが、みなさん、初歩的な単語すらまるっきり・・・でした。「いやあ、二外って身につかないんだなぁ」と実感させられました。



前回、書いたように私は今、生まれて初めて大学に通っています。この学習の現場を目の当たりにして、それはやはり今でも変わっていないと思わされました。


たとえば、私が取っているある講義では、初回に先生が参考文献になる本を挙げたのです。私は他の学生に先を越されないように、すぐにそのうちの一冊を大学図書館で借りました。


ところが、予約がまったく入らないのです。2ヶ月経っても私に続いて借りようとする人は現れませんでした。これは他の授業でも同様です。「100人以上もいるのに、誰も借りようとしないないんだな」と。


しかしその理由はすぐにわかりました。なぜなら正規学生は、ひとつひとつの授業をそんなに丁寧に勉強していられないからです。


彼らが大学を卒業するためには128単位を取らなければなりません。さらに3〜4年生にかけては就活に入るため、最初の2年間の間になるべく授業に出て単位を取らなければならないときています。


ちなみに私が出ている授業は2単位です。正規学生はたったそれだけの数字を取るために、深く学ぶことをしていられません。もしそれをやったら、遊んでいる暇などなくなります。


しかし単位を取るためだけの講義を受けていたら、学んだこと自体はなかなか身につきません。じゃあ、これはいったいなんの意味があるのか? 単純に大卒という学歴を得るためだけのやっつけ勉強になってしまっていやしないか? そう思うわけです。


私は聴講生として通っていて比較的余裕があるから、授業でやった範囲外のことも自主的に学んだりしています。が、もし正規学生になったら、他の皆さんと同じように単位を取るためだけに必死になるでしょう。


正直、身につかないなら大学に通う意味はあるのか? もしかして、高卒の段階で十分社会に通用する人間になっているのでは? 大学は純粋に学問を追求したいインテリだけが学ぶ機関として存在していてもいいのではないでしょうか?——というより、本来はそうだったのかもしれません。


もっとも、この件が反省されて実際にそうなってしまったら、多くの大学が廃校に追い込まれる事態になってしまうでしょうが・・・


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