![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39850793/rectangle_large_type_2_b8b9695ad4d371232fa7e644603cd3b2.jpg?width=800)
プチ官能小説 『 愛 の 磨 耗 』
《暮らしと愛にまみれた男と女のある夜の出来事》
夕刻の駅、自動改札機を定期券が通過すると、私はようやく一日の労働から解放された気分になる。
待ち望んだ給料日、ATMが突きつける現実。
「家族のためだ」と、ボロ雑巾のように働いて、絞って出てきたのは溜め息だけ。
コンビニ前、グラビア雑誌の表紙をガラス越しに見つめながら缶ビールを飲み干すと、私はトボトボと歩き出した。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39852915/picture_pc_0cd09c534f529f9ec68d5ea53d1a028b.jpg?width=800)
ありきたりの幸せが軒をつらねる新興住宅地の一角に私のアパートがあり、そこで帰りを待つのは、献身的な妻と、生後間もない天使。
待つ人がいる幸せと、待つ人を幸せにできない苛立ちが交差点で渋滞し、帰宅時間はすっかり日付をまたいでいた。
深夜にも関わらず、酔っ払ってインターホンを連打する私を、妻はいつも通りの笑顔で迎えてくれた。
寝かしつけを終えたばかりの妻は、物言わぬ重い空気を察し、家事を後に回し、私の晩酌を優先させた。
張りつめた心に、妻の優しさとアルコールが染みわたると、労働によって鍛えぬかれた私の肉体は、恥ずかしいピンク色をしていた。
テーブルの前で微笑む妻、ダイニングチェアでうなだれる私。
予告なく始まる妻の尋問に、何の抵抗もできずに答えてしまう私。
妻の母性に完全に包囲され、溜まっていたストレスをすべて自白した時、私の肉体は射精に似た快感を覚えた。
気づけば、私は女々しい声で嗚咽していた。
すこし困った妻の顔は、私の魂を浴び、恍惚としているようにも見えた。
やがて妻は私にそっと近づき、心配そうに顔を覗き込んだかと思うと、突如、不適な笑みを浮かべ背後から私をロックオンした。
背筋を滑り落ちるシルクのネグリジェ。その下にある美しい湾曲が、私を夜の入り口へといざなっていく。
さっきまでの同情の余地は、欲情の月へと姿を変え、不確かなものをまさぐりあう私たちの闇を煌々と照らしていた。
月の下、息を吹き返した私は、今日一番の雄叫びをあげ、愛のコロシアムへと入場する。
私は、育児でやつれた妻を思いやることも忘れ、自分の存在を誇示しようと全体重で妻に覆いかぶさる。身動きのできない妻は、利き手だけで大の男を意のままに操り、ついに私はマウントポジションを奪われてしまう。
妻はプライドに歯を立てないよう注意しながら、滑らかに私の男を立ち上がらせた。
やかんの水が沸点に達しても、もう私たちの沸騰は止まらない。
外に響くサイレンが興奮を助長し、限られた間取りのなかで、私たちは邪魔者の入らない場所を血眼で探した。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39853160/picture_pc_7b0ff6c1cd2d5395f44cd3173982a450.jpg?width=800)
「パン!パン!」
午前3時、バスルームに響く銃声。
出しっぱなしのシャワー音に紛れて漏れてくるSOSにも似た吐息。
仕切られた防水カーテンに映る影は人でなく、もはやケモノのそれ。
ベッドルームで無邪気な天使が寝息をたてているころ、バスルームでは、爪をたてる女と、男の本能が生き生きとしていた。
ユニットバスの壁に何度も体を打ちつけ、生存確認を繰り返すケモノたちは、湯気とともにベッドルームへと解き放たれる。
寝静まる天使をおこさぬように、私は鈍いモーションで夜をかきまわすと、妻は見たこともない形に曲がりくねっていった。
ベッドのうえで、ぶつかりあう血と骨。
寂しいほど綺麗に散る火花こそ私たちの生き様。
喘ぎ苦しむ音、その生活音を、きっと誰もかき消すことなどできないだろう。
夜泣きの天使が降臨するまでのあいだ、私と妻は出来る限りの罪悪感と背徳感を出し入れした。
愛の磨耗でシーツが泣きながらやぶれていく。
帯びた熱が、ここではないどこかへ行こうとしている。
膨らんでいくエネルギーが「生きたいのか」「死にたいのか」もわからないまま、カウント10に差し掛かる。
二人はまぶたを閉じ、祈った。
「さあ、夜があけるよ。」
私たちの脈は青白い血管を一気に駆け抜け、夜明けに到達する。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39986036/picture_pc_870ccfcf87e3d7a5f13530345278733a.jpg?width=800)
光の毛布、眠りのなか、何年ぶりかの安堵を感じ、私たちは今はっきりと幸せだった。
冷えた乳房を手のひらで温めながら、夕べ見た夢を交互に語る私たち。
その横で微笑んでいる天使に気づき、私はまた少しだけ泣いた。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/39986059/picture_pc_6e24f5e164113cee2b469f5d04eb7f9c.jpg?width=800)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?