on chidaism


総まとめです。

これを書くか書かないか、公開するかしないかはそれなりに迷いました。

ちだいさんが認識しているかどうかは別にして、ダメージは食らってきているだろうと思われるし、相手がひっこみがつかないでいるというだけかもしれないのに、さらにダメージを食らいかねないことをするのはどうかだとか、でもちだいさんが逆の立場だったら一切容赦しないだろうしなとか、まあ色々思ったわけですが。

最終的には、書いて残すことにしました。


今回の一件は、わたしが主に以下に説明する二点を主張する文を書き、主張にあたって取り上げたちだいさん(@chidaisan)という方に「ご一読いただけると幸いです」とメンションを送ったことではじまりました。

わたしの主張した二点とは以下のようなものです。
 ・宗教の教団や教義に問題があり、そちらを批判する必要があるにせよ、一般信者やその信仰を不要に侮辱するのはよくない。
 ・人をどれだけ「バカ」だと思ったとしても、だからといって不要に嘲笑するなど相手の人権を否定していいわけではないし、特に社会の改革を目指すにあたっては、個人をバカだからと不当に意志や希望をネグレクトしたり排除したりするのはとてもよくない。

(わたしがここで主張する内容に関しては、わたしのTLちだいさんのTLちだいさんのノート記事およびわたしのノート記事にてご確認いただけます)

それに対する答え方はいくつか在りえます。

1. 主張と真っ向から対立する 
例「いや、一般信者やその信仰を侮辱することに問題はないし、バカのくせに政治や社会の話に口つっこむんだから嘲笑されるのは当たり前」

2. 主張に賛成を示し、批判が自分に該当する事を否定する
例「確かに信仰を侮辱するのは問題だけれど、自分は一般信者の信仰までは一切侮辱していない。バカな人をバカだからと嘲笑したこともないし、彼らの人権を否定したことも軽んじたこともない」

3. 曖昧にぼかす。あるいは無視する。
例「まあ、宗教なんか考え方は色々あるんだから、好きに思ってれば」とエアリプで済ます。
など。


ちだいさんはこのどれでもなく、わたしの主張を歪曲することで応じました。


わたしには「貴重なご意見ありがとうございます」で始まる慇懃無礼なメンションが送られはしたのですが、その内容も、わたしが全くしてもない誤解を勝手にしたことにして、「誤解をさせたなら申し訳ないんだけどそれは誤解だと理解してほしい」というものでした。
だから「わたしがそんな誤解をしてない事はあなたもわかってるでしょう」という内容の返信をしておきました。

返信したちょっと後で、ちだいさんのTLを見に行って初めて、わたしへのリプに続きがあったことを知りました。
わたしがしてもいない誤解との派手な格闘がこのとき既に始まっていました。


その時点で、まともな反論のネタがないことは大体察しました。
反論ができない、でもその事を認めたくもない、だから人格を攻撃して、「こんな奴の言った事は間違ってるに決まってる」という構図を作ろうとしてるんだろうなと。

ところがわたしは、わかりやすい悪役にできるようなネタをほとんど提供してないキャラなわけですね。現政権もミサンドリーも差別も批判してきててネトウヨともレイシストとも言えないし、罵倒もほとんどしないし嫌味すらあまり言わない。

そこで、わたしの主張を別の、明らかに間違った主張とすりかえて、それと格闘することで、自分が正しいように見せかけるという、典型的藁人形論法の採用に至ったのだろうと考えています。


当然、わたしはすり替えである旨を指摘反論します。
その反論をかわすにあたって持ち出されたのが「文句があるならばツイキャスに来い」というネタでした。

まず、ちだいさんはツイキャスの話をしはじめて少なくとも最初のたしか10時間かそこらは、わたしにコラボキャスではなくチャットストリームでコメントすることを求めていました。

そして同時に、ツイキャスに来いというのは相互理解のためだ、とも言っていました。何の誤解もなくスムーズに対話ができるからだ、と。

まあ、そうとでも言わなければ、来ない人間を責められないわけですね。
ツイキャスが相互理解で誤解なく話しあえる手段であってこそ、それを拒否する人間を「分かり合おうとする気のない奴」と呼ぶことができて、「その人の反論に答えようとしない自分」を正当化できるわけです。

でもこっちからすれば、既にこっちの言ってることを歪曲してる人に、わざわざツイッター以上に文字数の制限されるチャットストリームに出向いて、他のユーザーにコメントが流される状態で同じ事を繰り返し言えといわれる意味がわからない。

わたしの言いたいことを理解する気があるならちょっとぐらいまともに読めよって話しで。それをデタラメに読んでおきながら、相手にとって不便で喋りにくい状況に招くっていうのは相手の「言ってることを理解しようと」してる行為じゃ全然ないですからね。

そんな感じで「相互理解」による強要が成功しないと、今度は「自分の時間を無駄に使わされる」と言い始めます。

そのために、わたしがひどい誤読をしている、読解力がないバカであることにし、「そのバカに毀損された名誉を回復するためだから、自分には自分にとって一番簡単で時間をとらないツイキャスという方法を選択する権利がある」という論立てを試みますが、それも、「ツイキャスで反論したいならご自由に」とわたしに言われてしまい、それ以上強要するのが非常に苦しくなってきます。

そうして、「今コラボキャスをした人とわかりあえた」という理由でもう一度「相互理解のためにコラボキャスを」ともちかけ、わたしが断ると、「まあいい、時間を使えばわかりあえる事がわかった。だから勿体ないけど時間を使う」と言い残して、「反論文」を書きに行きました。


そうして書かれた反論文が、アレです。

反論文はまず、わたしがそもそもちだいさんに話しかける以前、この話題を取り上げる発端となったツイートを取り上げます。

そもそもこの話は、前のノート記事でも説明したとおり、流れていた「バカをバカと言うのは差別じゃない」というツイートにわたしが「偏差値が低いから嘲笑してよいというなら差別である」と返信したのがはじまりでした。

わたしがそういう表現をしたのは、「バカをバカと言うのは差別じゃない」という言葉が、別の誰かの「偏差値が低いと決め付けるのは差別ではないのか?」というツイートに対して向けられたものだったからでした。

そしてその別の誰かのツイートは、ちだいさんが「偏差値の低いネトウヨ」という表現を使ったツイートに向けられたものでした。だからこそ、「バカをバカと言うのは…」へのリプから話が始まってちだいさんを批判するに至ったわけです。

なのにちだいさんはなぜかそれを「この"バカ"を"偏差値"につなげるようなバカな思い込みをよくしたな!」と激しく嘲笑うところから話をはじめます。

つまり、人々の発言を都合よく部分的に切り貼りして、無理矢理わたしが「すげーバカ」だったという事にした、ということです。

ツイッターでやったら一瞬で切り貼りがバレますから、ツイッター上でやりたくなかった理由がよくわかります。Note上ではわざわざツイートのスクショをとってそれが貼られているので、ワンクリックでネタが割れるような事態は回避されていますが、それにしてもまあ。
「力技」ってこういうのを言うんじゃないんでしょうかね。


バカだ思い込みだ学歴コンプレックスをこじらせてるんじゃないかと言いたい放題おもしろおかしくけなしたり。「バカという言葉が偏差値・知性・勉強ができるできない・頭の良さ以外の意味で使われる例」を出してきては、「それを差別だと言うことのおかしさ」と格闘してみせる藁人形主演の小芝居が続いたり。それだけで相当の字数が消費されます。

ここでもう一度言っておきますが、わたしはちだいさんに、「あなたの言っていることはこういう理由で差別にあたるのでよくないですよ」という話をしただけです。

それだけの相手をちだいさんは、してもない勘違いをしたバカに無理矢理仕立て上げて、バカだという罪で晒し、嘲笑したわけです。


そうしておきながらちだいさんは突然、自分が「偏差値の低いネトウヨ」と発言したツイートに関して思い出し、それを貼り付けます。

その際に僕が「偏差値の低いネトウヨ」と表現したばっかりに、学歴差別だと感じ取られてしまったようです。

えーと…。
わたしが「バカをバカと言うのは差別でもなんでもない」というツイートを「バカな思い込みだけで"偏差値"に繋げた」という、ちだいさんが今までさんざん騒いでいた主張はどこへ消えたんでしょうかね?

先ほどの「偏差値の低いネトウヨ」という言葉を、まるで勉強のできない人に対する差別かのように受け止め、「そんな言い方は酷い!」と言うところまでは誤解を与える言い回しをしてしまった僕に非があるとしましょう。

わたしが何を言いたかったかもしっかりわかってらっしゃるようです。

ということはやはり、さっきまでの騒ぎも、本気で何か勘違いしてやってたわけじゃないんですよね。

自分の読者になんとかして、「こいつはバカで敵です、こいつの言ってる事なんておかしいことです、僕は変な奴に絡まれているだけです、僕は何も間違ってません」って信じさせるために捏造した中傷だと。

そういうことになるんだと思います。

この人、自分の書く文章売ってるんですよね?しかもノンフィクションで?



ちだいさんはここからまだエスカレートします。

上で、「までは僕に非があるとしましょう。」と言った後のちだいさんです。

しかし、「脳内変換によって間違った解釈をされてしまったもの」に関しては、僕はもうどうしたらいいのか分かりません

この、「脳内変換によって間違った解釈をされてしまったもの」とわざわざ太字にしてちだいさんが表現したものは、なかなかすごいです。

続きです。

僕のツイートを見た「In Need of a Break」さんの解釈は以下のとおりです。

 ① 「幸福の科学」が、様々な問題性や劣悪な側面を持っている
 ② 劣悪さが明らかであるにも関わらず信者になる者は知性が低いに決まっている
 ③ 知性が低いものは侮辱・嘲笑されて然るべきである
 ④ 幸福の科学の劣悪性は積極的に表立って批判されるべきである
 ⑤ 信者の知性の低さを嘲笑するのは「批判」のためである

あのツイートから、このように解釈をして、批判していらっしゃるのです。

ここで実際のわたしのnote記事の記述を引用してみましょう。(原文では太字強調なし)

ちだいさんet al.(この一連のツイートにおいてちだいさんに賛同しているらしい人々) の考え方としてはだいたい、

 ① 「幸福の科学」が、様々な問題性や劣悪な側面を持っている
 ② 劣悪さが明らかであるにも関わらず信者になる者は知性が低いに決まっている
 ③ 知性が低いものは侮辱・嘲笑されて然るべきである
 ④ 幸福の科学の劣悪性は積極的に表立って批判されるべきである
 ⑤ 信者の知性の低さを嘲笑するのは「批判」のためである

というようなものだと見受けられる。

このリストをコピーしたんですから、「ちだいさんet al.(この一連のツイートにおいてちだいさんに賛同しているらしい人々) の考え方としてはだいたい……というようなものだと見受けられる」と書いてあるのはちだいさんも見ているわけですね。

これを「あのツイートから、このように解釈をして、批判していらっしゃるのです」と言って提示するのは、単純に「嘘」です。


なお、嘘をつくことに関する、同じ記事の中でのちだいさんの記述です。

もはや批判とも言わないような人間が生きる上での基本中の基本であり、幼児教育の最初に教えることが「嘘をつかない」です。小学校に上がる前の子供に教えることを、いい歳こいたオジサンやオバサンに教えなければならないのですから、はっきり言って、国語・算数・理科・社会以前の問題です。


嘘をついてまでわたしが辻褄のあわない主張をしている事にしたちだいさんは、「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない=偏差値が低いから嘲笑してよい」をここでもう一度出してきてまで全力の中傷を続けます。

しかし、ちょっと待ってください。冒頭でも「バカにバカというのはレイシズムでもなんでもない=偏差値が低いから嘲笑してよい」と解釈していらっしゃいましたが、どんな力技を使えば、こんな解釈ができるのでしょうか。自分で付け足して、その付け足したものに怒っているなんて、「あんた、頭、大丈夫ですか?」と言わずにはいられません。


さっき、「僕が偏差値の低いネトウヨと表現したばっかりに、学歴差別だと感じ取られてしまった」とか言ってたのもまた忘れてしまったようです。
その事実を表明しながら「あんた、頭、大丈夫ですか?」とわたしに投げかけられたりすると、もはや錯乱してるとしか思えなくなってきます。



この純デタラメの反論、ここからさらに詭弁を重ねて、最終的になんとまた「ツイキャス」に回帰します。

ツイキャスに来ればこれを伝えるのに時間をかけずに済んだのにそれがわからないお前は知性が低い、といってまた嘲笑に出るのです。

(こうして「知性が低いものは侮辱・嘲笑されて然るべきである」という考え方を何度も実演しているのだが、この「反論文」において本人はあくまで「そんなものは誰も賛同していない」わたしの「脳内変換で」生み出したただの妄想だと言い張っています)

こんな錯乱した内容を書き散らすのにかかった時間や労働力をわたしに請求できるとまだ思える、この錯乱ぶりです。

その後のツイッター上の悲壮なやりとりに関してはコメントを割愛しますので各自ご確認ください。



しつこいようですが、彼がやったのは、「差別にあたるからよくない」と主張しただけの相手を、嘘をついてまでバカの悪者に仕立て上げて、自分の言葉を信じる人たちに嘲笑させるという行為です。

政治的な主張や情報を発信する媒体をそのまま使って、自分の身を守るためのそんな中傷行為に及んでるけど、いいんですか?それで?

それが外からどう見えるか考えてますか?

外の人間に対してどういう拒絶のメッセージになっているか、見えてますか?


今回の一件に対するわたしの感想は「こりゃダメかもわからんな」です。
色んな意味で。

毒の吐きすぎから来る自家中毒にはじゅうぶん注意しましょう。大義なんて失うのは一瞬です。


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