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オードリー世界ver5

 オードリー・ヘップバーン妖精の秘密 ベルトラン・メイエ=スタビレ 著 
藤野邦夫 訳を読みながらオードリー世界を描く。

1.オードリー誕生
 オードリー•ヘップバーンは幼少時代の話をめったにしたことがなかった。まるで家族の重苦しい秘密といくつかの傷痕がいつまでもとりついているみたいだった。母方から見たオードリーはオランダ人だった。彼女は政治家を輩出した教養ある貴族階級の大地主で古くからオランダの王家につかえた領主の子孫だった。

 彼女の幼少時代はベビーシッターや家政婦のいきとどいた視線のもとで戸外で遊ぶという調和のとれた雰囲気にあった。オードリーはもちまえの魅力と好かれようとする意欲のせいでたちまち彼女たちのお気に入りになった。オードリーはふたりの異父兄とも気があった。ふたりの異父兄につれ歩かれたオードリーは生来の気の弱さを忘れおてんば娘ぶりを発揮した。オードリーはぜったいに退屈することはなかったのだ。

 彼女がバイタリティを発揮したのは庭園でのことだった。子馬に乗って走ったり小川で水浴びをしたり自転車に乗ったりすることができた。彼女は木のぼりと木の上で丸くなっていることが好みだった。なんとか高いところまでたどりつくとだれも彼女に手がとどかなかった。小さな夢見る少女は気ままに世界を見おろした。動物たちは彼女の情熱の対象となった。犬と猫は子供のころの写真にいつもうつっているし彼女の歩みに影のようにつきまとっている。彼女は自分でえさをやったりかわいがったり小声で話しかけたりした。オードリーは大自然の生活と木々と鳥たちと花々に情熱を持ってたのよと認めている。

 たえず愛と愛情を求めたオードリーは障害物にぶつかった。母は本当に素晴らしい人だったわ。でもわたしが母という言葉で理解する意味では全然愛情深くなかったのよ。私は愛情を求めて何年もすごしたわ。彼女は並の母親ではなかったしたくさんの愛があったけどそれをおもてにだす最小の能力ももちあわせていなかったのよ。わたしのほうは優しくしてくれる人を求めて時間を過ごしたしときどき叔母や家政婦がそんな人たちになってくれたのねと驚くほど率直に理解していた。

 オードリーはイギリスの学校とオランダのあいだを行き来して過ごした。学校のきびしい規則のせいで内気さとからだの弱さと心配性の性分がひどくなった。こうしたきびしい情勢のなかでただひとつの安らぎは教習所で受けたバレエのレッスンに熱中したことだった。舞台を踏むとともにバレエはたちまち彼女の思春期の情熱の対象になった。   

 午前中は勉強をして午後はほかの子たちと遊んだり演奏会やお芝居をしたりしています。ときどき町にでかけることもできるのでそんなに閉じこもっている感じではありません。そのころのオードリーは母親にこのような手紙を書いている。つまりバレエのレッスンは1週間の大切な中心的な課題となったのだ。

 オードリーはバレエに夢中にになりましたね。わたしが住んでいたケント州の村には週に一度ロンドンから若いバレリーナが来てバレエのレッスンをしていたんです。わたしはこの世界が本当に大好きになって熱中してすごしましたとバレエにたいする早熟な愛着を口にした。

 オランダが解放された直後にオードリーはオランダ兵の療養所でボランティアの看護師として働いた。そしてこの仕事から大きな満足感を味わった。彼女はナチズムの支配に対抗して戦った全ての人たちにこれで恩返しができると考えた。それは人々が支払った異常な犠牲から見ればわずかな犠牲にすぎなかった。彼女がボランティアで働いたのは戦争の時代のことが頭にとりついていたからだ。わたしは戦争のせいで人間の苦悩を深く思い知らされましたから数多くの若い人たちにあんな苦悩を味あわせたくないと願っています。占領期間中に目にしたものごとのおかげでわたしは人生に対してすごく現実的になりました。あの時からずっと現実的でありつづけていますと語った。

 オードリーは手に入ったわずかなお金で毎週アムステルダムのバレエのレッスンを続けることができた。彼女はつづく3年間のレッスンでヨーロッパスタイルを身につけた。それは身体の動かし方と訓練方法のことだった。わたしは通しで2から3時間のレッスンを受けました。すると顔が真っ赤になって汗びっしょりになるんですが先生は大きな声でしっかりと立ちなさいっていうんですよ。それで力が出ましたねと語っている。

 オードリーは舞台という世界と劇場の楽屋や雰囲気にひかれはじめた。バレエに全面的に没頭していたからほかの芸術活動にも興味を持つことができたのだろう。彼女は必要なものを買えるお金を稼ぐためにささやかなモデルの仕事をはじめた。経験したこともないような気まぐれな欲求をお金で満たそうとは思わなかったが戦争の為に経済的な強い不安感が残っていた。物質的な安定に対する欲求は生涯を通して重要な選択の指針となった。

 オードリーがプリマドンナになる夢を捨てたのは20才のときのことだった。お金がどうしてもひつようでしたから。ところが不思議なことにある地方劇団から出演しないかという誘いが来るのと同時にジュール・スタインのミュージカルコメディ「ボタンつきのハイブーツ」で3000人の応募者のなかから10人のコーラスラインの一員に選ばれたという通知がきたのだった。

2.映画の世界へ
 「ボタンつきのハイブーツ」、このミュージカルコメディの幕開けから数週間後にイギリスのプロデューサーがやってきた。ステージを横切る子にひかれたよ、舞台を横切る時の大きな黒い目となびく前髪にひかれたんだね。

 オードリーははじめてのせりふを忘れるようなことはなかった。
 わたしが駆け抜ける舞台の中央にルー・パーカーがいました。わたしはべつの子の手をとってみんなでかけちゃったの?って聞くんですよ。信じてほしいんですけど毎晩すごく神経がピリピリしてました。出番の前にたえまなしにこのせりふを繰り返していたんです。

 オードリーは次のように回想した。
 コーラスの生活は新しい発見でした。わたしたち10人は同じ楽屋を共同で使いましたしいろんな人たちのなまりをまねりのが大好きでした。時間のあいたときは石けんの広告用のモデルをつとめました。

 オードリーはきまったペースで生活をつづけた。ショーに出演したほかに写真撮影のモデルをつづけ俳優養成講座に通いバレエのバーを使う訓練もつづけた。オードリーの写真がイギリスのヴォーグに掲載されるとほかの雑誌が彼女の顔を表紙用に要求しはじめた。こうしてこの若い女優はイギリスの週刊誌や月刊誌の女性読者に身近になっていった。

 オードリーはテレビにでる機会とポーズをとる時間を多くした。町なかの情景のようなシーンでは彼女のスタイルと気どらない魅力が個性の反映となった。仕立てのいいスーツを着て小さな帽子をかぶり真っ白の手袋をはめたオードリーはすべての親が夢見るような完全な若い娘の化身となった。このような純真さはまた独特のセックスアピールを持っていた。

 オードリーは自分の心からの選択を大切にした。

 ホテルのロビーのシーンを撮っていたある午後オードリーはカメラテストの最中に車いすで通りすぎるかなり年輩の女性に気がついた。赤毛の小さな巻き毛の目立つこの女性はひどく人目につく口紅をぬっていた。監督が話しかけているあいだじゅうオードリーは年老いた女性を見ていました。彼女は車いすを押す少し年下の男性に指図していたんです。そしてオードリーはその女性が笑うととてもきれいな人なのにきっと楽しいときをすごしているのを見せつけないようにしてそんなに笑わない人なのだと思いました。

 オードリーがフランスの小説家のコレットだと分かった時オードリーは硬くなりました。オードリーにとって作家や芸術家はいつだって俳優よりずっと威信がありましたから。オードリーはコレットの書物をかなり読んでいましたしたくさんの感情を表現するコレットの無駄のない文体を前から好きだったんです。そしてコレットがそこにいたんです!そのシーンの撮影中ホテルのロビーは閉めっきりでした。だからコレットがオードリーを見にきていると思うとすごく神経質になりました。

 オードリーがマダム・コレットを訪問するとコレットは笑いかけた。
 オードリー、ジジの役を捜すのはやめてちょうだいという電報をニューヨークに打ったばかりなのよ。コレットが見つけましたからってね。
 ここのロビーで演じているオードリーを見たときコレットはすぐに夫にいったのよ。あそこにアメリカ向きのコレットのジジがいるわって。オードリー、コレットがオードリーから目を放せなくなったことをわかってくださる?

 オードリーは正直なところオードリーがふさわしい人間だと思わなかったのでわらっていいのか泣いていいのかわからなかった。
 コレットはオードリーの明らかな不安を無視できなくて聞いた。
 どこかぐあいがお悪いの。ブロードウェイでジジを演じるのが嫌なのかしら。

 オードリーはおずおずと答えた。
 コレット申しわけありませんがオードリーにはできそうもないんです。オードリーは主役を演じる才能をもっていません。これまで舞台で一行か二行以上のせりふをしゃべったことは一度もないんです。もちろん映画ではちょっとした役をやりましたがあれが演技だったとは思えませんでした。

 コレットは毅然として主張した。
 オードリーはバレリーナだったんでしょう。つらい練習を知っているわけよね。コレットはオードリーを信頼するわ。説得されたオードリーはその週末にロンドンに戻った。オードリーは茫然としました。考えてみると大喜びするどころでなく怖かったんです。コレットの目にとまらないほうがよかったと思いましたね。おそろしい屈辱に身をさらすことになると考えたんです。

 オードリーは回想した。オードリーを信頼したコレットはできることをみんなしてくれました。コレットがその時代にくれた写真をいまもずっともっています。

 こうして短期間に奮起したオードリーはジジの舞台を演じて新米の高級娼婦を恋する若い女性に変える、感情の幅を表現できると感じるようになった。そのときから抑えようのないテンポでさまざまな出来事があいついだ。
 ロンドンの報道関係者は演劇界のスターになりかけていたオードリーをたびたび話題にするようになった。またこの未知の女優の出演した2、3本の映画がふたたび上映予定にくみこまれた。若い女優の生活はめまぐるしく動きはじめた。

3.ローマの休日
 オードリーが船の上甲板をたえず歩き回りながら自分がブロードウェイの芝居とハリウッドの映画に同時に契約したただひとりの女優であることを強く意識した。船がニューヨークの埠頭に接岸したときブロードウェイの広報担当というあいまいな人物以外にオードリーを迎えに来た人間はいなかった。オードリーとニューヨークの恋物語がはじまった。それはニューヨークの超高層ビル群をはじめて見た人がだれでもとらわれる感情であり一目ぼれだった。

 オードリーはついた翌日ロックフェラーセンターにあるジジのプロデューサーのオフィスに行った。オードリーは毎日、役柄を練習した。はじめのリハーサルのころは前列の席以上にオードリーの声は届きませんでした。昼も夜も練習しましたよ。家に帰っても毎晩一語一語はっきりと強く発音しました。オードリーは最後に成功した。とうとうオードリーの声が届くようになったんです。

 オードリーはジジの初演のことしか考えていません。オードリーの人生のすべてなんです。ジャーナリストには感動的な率直さで打ち明けた。
 怖いんです。オードリーは舞台を経験したことがまったくないんですね。ほかの人たちはなにかに成功する前にある人生を経験してるのにでもオードリーは直感で行動しなければならないでしょう。オードリーは実際に緊張して神経質になりすぎていた。

 オードリーはジジの開演後のインタビューでオードリーはダンサーと女優になる途中の人間です。もっと勉強しなければなりません。バレエもあきらめなかったオードリーはマンハッタンのダンスアカデミーでレッスンを受けていた。オードリーは撮影所の食事制限の指示に忠実にしたがいオードリーをハリウッド美人の基準にあわせようとした。オードリーのプロフィールは完璧だった。平板な胸、極端に細いウエスト、しなやかな腰、長くて柔軟な足。

 オードリーはジジの公開中にハリウッドの主要なデザイナーにあってローマの休日のアン王女の衣装を選定した。オードリーたちの意見は一、二着のアンサンプルで一致した。それは最初のシーンで着る豪華な舞踏会用のドレスと、記者会見用の日中の公式のドレスのことだった。仮縫いのあいだにオードリーとデザイナーはたちまちシンプルなライン、よけいな装飾のなさ、良質の生地などで好みが似ていることに気づいた。オードリーは自分の考える身体的な悩みを正直にデザイナーに打ち明けた。

 オードリーは役柄に何が必要かについて生まれつきの直観を持っていた。ローマの休日では重いブロゲード、わずかな略綬をつけた王家の帯、王冠、白い手袋を要求した。デザイナーは王女のローマのエスケープ用に低い靴をはく若いアメリカ女性の制服であるじつにキャンパス風なフレアスカートと組み合わせた。この衣装は王女のスタイルと同時にオードリーのスタイルを決定した。オードリーは最初に細いウエストを目立たせる革の太いベルトを提案した。このスタイルは若者が簡単にまねることができるファッションとなった。

 オードリーはすでにハリウッドの渦に巻き込まれていた。パラマウントはローマの休日の公開前にさえ新しい映画を提案していた。それはサミュエル・テイラーの劇作「麗しのサブリナ」を脚色したサブリナだった。

4.オスカー受賞、そして結婚
 オードリーは麗しのサブリナのパリの撮影中の衣装とロングアイランドの邸宅に帰るときの衣装をフランスのデザイナーのユベール・ド・ジヴァンシーに仕立ててもらうことにした。オードリーはモンテカルロへ行こうの撮影でフランスに行ったときにジバンシーのスタイルにほれこんだのだった。
 オードリーは麗しのサブリナの衣装をジバンシーに頼んでみてはどうかと提案した。それはオードリーの好みの最初の表明であり自分を表現する方法を模索しようとする決意の高まりだった。

 雑誌のライフはオードリーの写真特集を企画してつねに仕上がりの良さを目指すオードリーのイメージを適切に表現した。なにがオードリーの魅力を作り出したか?と問いかけた。写真はオードリーの孤独に関心を向けた。ライフがオードリーを選んだ理由は自律性だった。オードリーのイメージは眠っている子供・学生の様にセリフを勉強する・バレリーナのような優雅さ・自転車で走る姿などだ。プライベートであるネグリジェを着たオードリーも写っていた。

 オードリーは麗しのサブリナの撮影の終了後にただちに家に閉じこもった。当時のインタビューでオードリーは孤独がほしいんです。それが自分の力を回復するただひとつの機会にさえなるんですと話した。

 車の運転をしないオードリーはよく自転車を使用した。ビバリーヒルズは静かで安全な町だった。ピンクのパンツをはいたオードリーは男性用のシャツを着てシャツの裾をウエストのまわりにゆわえた。そんな姿で自転車を全速力でこぐのはスターたちの小さなコミュニティではひどく驚くべきことだった。

 オードリーはオンディーヌの仕事の面でより女性的な次元のジレンマを解決しなければならなかった。オードリーはオンディーヌの超自然的な側面を信じてもらえるように衣装とメイクのもっとも細かい点にまで全般的に知恵をしぼった。
 オードリーは髪を栗色に染め直しそこに金粉をふりかけた。それは貴金属の鉱脈のように光を反射した。オンディーヌがくるりと回ると金の微粒子が彗星の尾のようにオードリーの背後に飛び散った。
 オードリーは独自のメイクを考えだした。青緑色の衣装との調和を考えて青白色のおしろいを使ったこととクリーム色のドレスを補完するために顔を白く化粧したことだった。そして、耳に2個の金色のスパイクをつけ超自然的な効果をあげた。

 オードリーはブロードウェイのオンディーヌの初日については混乱した記憶しか持っていない。舞台にあがったこともせりふをいったことも挨拶をしたことさえ覚えていないんです。おぼえているのは楽屋にもどったときものすごい花束があったことですね。まったく素晴らしい眺めでした!ニューヨークの真ん中の公園みたいでしたよ!とてもうれしい思いをしました。

 オードリーはローマの休日の演技でノミネートされたオスカーの授賞式を機会に特別休暇をとろうとした。ニューヨークでオンディーヌをずっと上演しながらセレモニーのために西海岸に行くことは表向きは許されなかった。だからオードリーは舞台を離れオンディーヌの衣装とふだんのメイクでオスカーの授賞式が生放送で行われているNBCセンチュリーシアターに駆けつけた。オードリーはジバンシーの白いイブニングドレスに着替えたあとショービジネスの関係者だけが並ぶ席で母親の横に腰をおろした。

 ハリウッドではフレドリック・マーチが選ばれた幸運の人の封筒を破ってオードリー・ヘップバーンと発表した。ニューヨークでは拍手喝采のどよめきのなかで、ファンが彼女を舞台へ押し出した。取り乱したオードリーは舞台の袖で自分をとりもどし少しこわばった微笑を浮かべながら茫然とした状態から立ち直った。オードリーは渇望される立像を前にその場にふさわしい感謝のことばを口にした。オードリーははじめたばかりの女優という経歴でオードリーを助けてくれたすべての人たちに感謝の気持ちを表現した。

 このオスカーでわれを忘れておかしくならないでしょうし最初の願いを変えることも許されないでしょう。それは本当にすぐれた女優になるという願いです。

 その数日後にオードリーはまたオンディーヌの演技でその年の演劇界の最優秀主演女優としてトニー賞も受賞した。彼女はアメリカでもっとも報いられた女優となった。オードリーは内面的な闘争のただなかにいた。どうしてオードリーがいつかもっと高い境地に達することができないと思われるのでしょう。賞はさらに大きくなることを要求するような何かを受け取るようなものですと話した。

 妊娠中とショーンが生まれてからの半年間にオードリーのオフィスに映画の企画がひっきりなしに押し寄せた。オードリーはどれも断ったが一編だけ目に止まったシナリオがあった。それはトルーマン・カポーティの小説をもとにしたティファニーで朝食をのシナリオだった。

5.永遠の妖精
 この短編小説でカポーティがホリーについて書いた最初の数行はほぼオードリーのシルエットを描いていた。

 彼女は品のいい繊細さにもかかわらず新鮮なミルクとバターで暮らし水と石けんでからだを洗う人の健康な外見をもっていた。情熱的な頬、大きな口、反り返った鼻をもっていた。そして黒いフレームのめがねをかけていた。少女時代からぬけだしていたが顔はまだ女性の顔ではなかった。

 この映画を選んだのはオードリーがお茶目で無邪気な若い女性の役柄に決別するためのタイミングだった。
 オードリーは新しい範囲の役柄を探す必要があると考えていた。オードリーの目から見てより成熟したより洗練された役柄にふさわしい移り変わりができる登場人物が必要だった。だからといってオードリーのカリスマ的なイメージに背を向けることはできなかった。

 ボヘミアンのホリーは自分の魅力のおかげで生活費をかせぎ最後に若い小説家と恋に落ちたのである。オードリーが定義したようにホリーはちょっと頭のいかれた女性だった。オードリーを惹きつけたのはホリーのこの特徴だった。
 オードリーはホリーのことを能天気で軽はずみな女の子でどんなことも本気にしないのよと説明した。

 この映画の撮影中にあるジャーナリストがオードリーにもっとも演じてみたい役柄と現在の願望について質問した。
 オードリーはマイ・フェア・レディのイライザ・ドゥリトルを演じてみたいですねと言った。

 ビュルゲンシュトックの山荘の電話が鳴った。オードリーのエージェントの電話だった。彼は最初に椅子にかけるように助言した。そしていかにも無造作にいった。マイ・フェア・レディのことだけどあんたがあの役を射止めたよ。オードリーは喜びの声をあげた。

 マイ・フェア・レディは一群の傑出した職人たちの才能を活用した最後の映画のひとつだった。12人ばかりの女性が時代物の衣装に最新の感覚を見せた。彼女たちはターバン型の婦人帽に羽飾りをつけ模造真珠を縫いつけ胴部に人工のパルマ産のスミレの花束をつけ何メートルという複雑なレースとリボンを編みこみ優雅な上流社会のパラソルにさえ刺しゅうをした。

 こうしてオードリーは帽子を試着しシルクのショールを身につけた。そのあと自信をもって試着室にはいり上流社会の優雅な女性の衣服をつけて顔をだしはじめた。オードリーが軽やかな足どりで仕事台のあいだを行き来すると縫製担当の女性たちはパリのファッションショーのように喝采して迎え称賛した。

 オードリーはだれにとってもその時代のもっとも美しい女性だった。
 オードリーはビートンに感謝の言葉を書いて送った。

 記憶にのこるかぎりオードリーはずっと美しくありたいと願ってきました。ゆうべビートンの写真を眺めながら少なくとも短い一瞬オードリーは美しかったんだと思いました、ビートンのおかげです。

 オードリーは実際に映画と想像の世界の王国を捨てずっと気になっていた現実の不幸な人たちにとりくんだ。ほかの人たちに身をささげたオードリーは彼らと生活信条を分かちあおうとした。それはあらゆる試練を乗り越えてまもってきた信条だった。オードリーはELLE誌に言った。

 オードリーは闘いました。本当に悲しかったし問題がありました。だれも同じですね。それ以上でも以下でもないんです。でも幼いころからオードリーは頭上に星のようなものがあるのを知っていました。それがいつも救ってくれましたよ。もっとも苦しいときでさえいつも人生がちょっとウインクしてくれたみたいです。

 オードリーはジュネーヴのユニセフのドアを押して1年間の協力を提案した。オードリーは積極的にオードリーの役割を演じたかったのだ。エキストラで出演するだけというのは問題ではなかった。適切なタイミングだった。エチオピアの子どもたちが何万人と死んでいたのである。豊かな西洋社会からあっさり忘れられた第三世界の劇的な問題に世論を動かすにはオードリーのような人たちが必要だった。

 ユニセフの主張に心身ともにささげる決意をした。オードリーのかかわりは親善大使の任命で裏付けられた。オードリーはオードリーの道を見つけ出したのだ。

 オードリーはもっとも心にかかっていた使命にのこりの年月をささげた。それは第三世界の飢えた危険な子どもたちのために働くことと子どもたちの状況に民衆の注意を向けることだった。オードリーの決意はかつてなく強かった。

 最後が近づいたオードリーの思考はソマリアの幼い子どもたちのほうに向かった。オードリーは最後の力をふりしぼってソマリアの子どもたちに関するユニセフのメッセージが届いていないかを聞いた。最後のことばは愛するソマリアのこどもたちだった。その直後にオードリーは平和な眠りについた。

 ショーンがその心のなかの思い出を語った。
 ママは愛を信じていました。愛が前途のないすべてを癒やし修復し解決するとしんじていたんです。

 最後にユベール・ド・ジヴァンシーが話した。
 オードリーの葬儀のことを思い出す。じつに簡素で生新なオードリーとそっくりの葬儀がオードリーを愛した友人の前で行われた。ジバンシーは友人達の言葉を聞いた。みんながやさしさと愛で結びついていた。人生はきびしいがオードリーは心のなかにいくらかの幼年時代をもちつづけることができた。そしてオードリーはこの魔法をわれわれにあたえようとして人生を送った。それがオードリーを妖精にし愛と美のインスピレーションをあたえるやさしい魔法使いにした。この妖精たちはぜったいに姿を消すことはないだろう。

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