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[SS]アジア人外交官の憂鬱

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清朝の終わり、東アジアが近代化を迎えると、私は北京に外交官として赴任した。北京で欧米諸国の中国への植民地化を目の当たりにして、私は日本の国家成立に向けて、明治維新への歩みを見届け…
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2024年4月の記事一覧

私は妻に孫悟空の姿になってくれないかとお願いします。妻は赤色で猿の顔を縁取り、黒色で太い眉毛と目の周りを描きました。金色の服の上下に青い刺繍が入っている。僕の目の前で片足を大きく振り上げ、両手を大きく広げて、構えてくれました。妻の顔立ちは美しく、化粧が生えて、とても賢く見えます。

悟空の頭にキリキリとした痛みが走り、輪っかは益々締め付けます。坊主分かったよお前の言う事を聞くから、やめてくれ。三蔵は坊主というのはおやめ、おっ尚さんとお言いと伝える。三蔵と悟空の天竺への旅が始まります。私は西遊記の話を書いて妻に見せると、岩を破壊するシーンで大暴れできると喜ぶ。

悟空はなんでも言う事を聞くからお札を外してくれ、三蔵は悟空の頭に金の輪っかを取り付けます。三蔵がお札を除けると悟空は全身の力で岩を砕きます。三蔵は悟空へ天竺まで一緒に来ておくれと話し、悟空は大王の俺様が坊主の用心棒なんてやだねと水簾洞に帰ります。三蔵は念仏で頭を締め付けたのです。

孫悟空が三蔵と初めて出会う、悟空は天上界で大暴れして下界である地上に落とされ、大きな岩に押し潰されています。三蔵は猿どうしたんだ?と尋ねる。悟空は俺の力はこんな岩なんでもない、その護符が邪魔なだけだ。頼むから取ってくれないかと願う。三蔵は私の言う事を聞くのなら望みを叶えても良い。

優れた女優は古典小説の描写や講談師の語りをヒントに隈取りを行う、妻も優れた俳優の一人である。隈取りは京劇俳優にとって役に成り切る為の仮面であり、役柄によってデザインも描き方も異なり、それぞれ特徴がある。初めて京劇を観た人は、役者達の顔が色とりどりの模様で飾られている事に驚きます。

私は妻にどんな孫悟空を演じてみたいの?と尋ねた、自在に伸び縮みする如意棒を振り回したいと答える。私が日本で、一緒に京劇の舞台を作ってみないかと伝える。妻は踊る事はできるけど、本を書くのは難しく、私が西遊記の演目を書く事にした。物語の内容はイメージ出来るので、隈取りは妻が考えます。

最遊記の筋で孫悟空が神兵と戦う・天宮を騒がすや水簾洞で大王を名乗る・水簾洞が京劇の演目として大勢の観客に喜ばれている。神通力を持つ孫悟空を演じるには、素早い身のこなしに加え、気迫に満ちた、緻密な演技も必要とされる。北京では孫悟空の芝居が大流行して、次々と新作が発表され競い合った。

私の頭には妻と過ごした北京の風景があった、妻に話した通り、アヘン戦争が落ち着けば戻れると思っていた。妻も京劇の事が気になって、二人の会話は自然と中国人なら誰でも知っている孫悟空の話になった。妻も猿そっくりに舞台の上を飛び回ってみたいという。私も学生の時に西遊記を読んだ事があった。

日本に帰国して、父と外交について話す機会もある。私は南京条約は不平等条約で、清国はこれから長い間改定の為に努力する事になるだろう。日本の近代化も、欧米列強と結ぶ条約に関して、余程心してかからないと清国と同じ轍を踏む事になるはずだと話した。イギリスの戦争の目的は貿易の自由化である。

私はアへン戦争による清国の敗北が、日本を明治維新へと突き動かしていると理解していた。天保改革によって江戸湾の整備をしようとした理由もそこにある。大国であるはずの清がイギリスの近代兵器の前に敗れ、香港の割譲と五港の開港という屈辱的な条約を結んだ事は幕府の知識者を震撼させたのである。

水野忠邦は欧米列強の勢力に怯えながら、財政再建を主軸とした天保の改革を宣言、しかし幕府は内憂外患の課題を抱えていた。慣れ親しんだ習慣を改めるのは難しく(内憂)、アヘン戦争による清国の敗北(外患)によって改革実現は暗礁に乗り上げていた。財源もなく防備計画を進めるのは不可能であった。

1603年に徳川幕府が創設されて以来、1867年の大政奉還に至るまで老中の許可がないものは海外への渡航禁止、オランダ商館を長崎の出島に移す等の措置は取られた。しかし、西欧との交流を断ち、ヨーロッパ文明を排除する鎖国という制度は、確立していなかった。中国との交易も継続していました。

イギリスは産業革命の成功によって工業国家となり、世界中どこでも近代的海戦を行える準備が整った、世界一の軍事大国であった。それに比べて清国は眠れる獅子と呼ばれて、両国の底力の差は私の目から見ても明らかだった。私はこの戦争は長くは続かないと考えて、妻にも直ぐに北京に戻ると伝えていた。

清国のアヘンに対する取り締まりは厳しくなり、イギリスが軍隊を派遣する事によりアヘン戦争が引き起こされる。清国の対応は混乱して、イギリス軍が南京に迫る事態となって講和交渉に入り、南京条約の締結によって戦争は終結した。幕府は戦争が始まると清国から一時的に日本に帰国する様に伝えてきた。