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映画化してほしくない本

映画化してほしくない本がある。
和田竜の『村上海賊の娘』だ。
行き先に合わせて選んだ本を読みながら、旅行をするのが好きな私。
数年前、愛媛県に行くこととなり、旅のお供をこの本に決めた。
戦国時代に瀬戸内海で栄えた村上海賊が毛利氏に付いて参戦した、織田氏との木津川合戦が題材の小説である。
厚さ3〜4センチほどの単行本が上下巻。図書館で手に取ってみたはいいが、旅のお供には少々、というか、かなりかさばるな、読み切れるかなとは思いつつ、「本屋大賞受賞!」のコメントカードも後押しし、とりあえずカウンターに向かった。
読み始めてからは、かさばるとか、読み切れるかとか、そんな心配は無くなった。正直、旅程だけでは読み切れなかったが、先が気になって1週間ほどで読み切った。
海賊の話ということもあり、海上戦のシーンを読みながら、「映画化したらすごい迫力だろうな。お腹に響くような重低音を感じながら見たいな。」と、たびたび思った。

物語の後半で、何度も何度も確かめるように読んだ数行がある。
村上家の娘、主人公・景(きょう)を、兄・元吉(もとよし)率いる船団が助けに来るシーンだ。
景が「兄者(あにじゃ)」と呼ぶ元吉は、前半の描写から、軍書ばかり読む、いわゆる「頭でっかち」で几帳面のヤなやつ、と私は認識していたのだが、後半、数行の描写だけで、頭脳派でキレもの、絶体絶命の妹を助けに来るめちゃくちゃかっこいい兄者、になってしまった。

殴られたのか、雷に打たれたのか。感動、というより、衝撃だった。
「文字だけでこんなにはっきりと景色が浮かび、登場人物の印象まで変わるのか」と。
今思えば「驚き」と、身の程知らずだが「嫉妬」だったのかもしれない。
その数行を繰り返すばかりで、先が読めなくなった。大きく息を吸い、本を閉じてうずくまり、しばらくワンワン泣いた。

私より先にこの本を読んでいた読書好きの母や、私の好きな本が知りたいと言ってくれる15年来の友人に、あの衝撃を、何度も、時には思い出して泣きながら説明するのだが、どうも伝わっている手応えがない。読んだことがある母でさえ「そうやったかなあ?」とあまり場面を思い出せないようだった。
私の伝え方が下手なのかと悔しい思いをする反面、文字だけの描写だからこそ、読む人それぞれに見える景色や、感じ方が違うのだから、そこまで誰かに伝わらなくてもいいかと、最近は考えている。

それゆえに「映画化してほしくない」と思っている。
定期的に「村上海賊の娘 映画」で検索して、具体的な話が出ていないのを確認し、安心する日々だ。

誰かの目を通して見る景色ではなく、文字だけで浮かんでくる自分だけに見える景色を楽しみたい。そして、例え誰かに理解されなくても、主人公を助けに来るかっこいい兄者と、彼が率いる船団を想像して、一旦本を閉じて、ワンワン泣きたいのだ。

でも、映画化されたら「あの数行」の描かれ方が気になって、結局見に行く気もしている。

#創作大賞2024
#エッセイ部門


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