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師匠と弟子(後編)

前編はこちら

今日はシシャ(弟子)についてのお話をしようと思います。

前編で話したように
僕は何かに悩んだときは
「こんなとき僕のお師匠さんならどうするかな?」
という視点を持つことにより
その悩みを解決しています。

そもそもなぜこれが出来るのかというと
それはお師匠さんに対して
絶対的な信頼感を抱いているからです。

ヨガの世界では
グル(師匠)を信頼し
自分の全てを委ねられたとき
お師匠さんからの恩恵を受けられる
と言われていています。


グル・タットヴァ

ちなみに
師匠とはなんぞや?
弟子とはなんぞや?
といった部分に関しては
シヴァーナンダ大師が著した
『グル・タットヴァ』という一冊の書物に
全てが記されています。

なんだか曖昧な解釈になりがちな
師匠や弟子という概念は
この『グル・タットヴァ』で事細かに解説されていて
ここで説かれている内容が
インド一般のグル観やシシャ観だそうです。


弟子の在り方

以下『グル・タットヴァ』で説かれいる
「弟子の義務」についての内容を
成瀬高良先生がご自身の本で紹介されていたので転載します。

(以下転載)

弟子はグルのことをとやかく言う前に、まずは自分自身のことを考えなくてはなりません。弟子の方にも弟子としての義務や準備があるからです。
先ほどの『グル・タットヴァ』によると、弟子にもなかなか厳しい条件が必要とされています。少なくとも、グルへの信頼、世俗的なことに執着しないこと、正しい理解ができること、心が落ち着き安定していること、利己的な感情がないこと、等々です。
これらの中で最も大事なのが、グルへの信心です。グルを信頼し、すべてを委ねられないようでは、グルの恩恵も伝わりません。

(中略)

大事なのは学ぶ姿勢です。自分に進歩がないのはグルのせいではなく、自分の学ぼうとする態度や姿勢のほうなのです。このことを間違えてしまうと結局、うまくいかないことはすべてグルのせいにしてしまい、最後まで本当の自分に気づかずに終わってしまうことになります。
そう考えると、グルというものは何もしてくださらなくてもよいのかもしれません。グルはいつも弟子の前に立って見守っていてくださるだけの「見本」「お手本」「太陽」のような存在で、弟子はグルがそばにいてくださるという安心感のもとで、グルをお手本として少しでも近づこうと一生懸命に努力しているのではないでしょうか。

【以上転載:(善本社)いまに生きるインドの叡智(成瀬高良)】



最後に

もちろん
インドの伝統である師匠と弟子の関係性やその考え方を
今の時代に直接当てはめて考えることは難しい部分もありますが
何はともあれ
ヨガを学ぶ上で欠かせないものは「信頼関係」ということです。

教える側も
教わる側も
信頼し合いながら
共にヨガを学ぶ

師匠と弟子は決して対極の立場にはなく
どちらも同じ方向を向いて
一緒にヨガを学ぶ弟子なのです。

そのことを
ヨガスタジオにいる先生や生徒が皆理解できると
お互いが信頼し合える関係生が構築され
本当の意味でのヨガという学びの空間になるのかなと思っています。

おわり

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