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選択に迷ったときは

今日は
選択を迫られた場面において
どのように判断して前に進んでいくかという
抽象的なお話なので
みんなに共通するものかなと思います。
ぜひ自分事にして読んでみてください。


悩みは幸せの証

インドにはカーストという身分階級があります。
建前上は法律で禁止されていますが
その風潮は今現在もなお根強く残っています。

なので
奴隷階級に生を受けた人は
死ぬまで奴隷階級です。
どれだけ努力しても
上の階級には行けないのです。

もはやここには「選択」という余地はなく
ただそれを受け入れるという一択しかありません。

このような生きる範囲を制限されている人達が居る中で
僕たちはどうでしょう。

着る服も
住む場所も
食べるものも
選ぶことが出来ます。

仕事も
趣味も
人間関係も
選ぶことが出来ます。

選択肢が山ほどあるのです。

「悩む」という言葉は
「選択肢がある」と言い変えることが出来ます。
僕たちは生きる範囲を制限されていないので
選択肢がたくさんありますね。

つまり悩むというのは幸せの証でもあるのです。



選択には意味がない

このように僕たちは
たくさんの選択肢があるという
恵まれた環境の中に存在しています。

やるか?やらないか?
行くか?行かないか?
Aにしようか?Bにしようか?

このときの判断基準は
選んだ先に成功や幸福が待っている方を選ぼうとしますよね。
でも
この成功とか幸福というのは
「未来の自分の受け取り方」の話なので
今の自分にその答えがわかるはずがありません。

なので
どっちが良いのかなんてわかりません。
選択そのものには意味なんかないのです。
なぜなら
その答え合わせは未来で行われることだからです。



迷ったときは500円玉

都内から静岡に転勤になった友人の新居探しを手伝ったときの話です。
いろいろと物件を探した結果

「A:広いけど古い部屋」
「B:狭いけど新しい部屋」

の二択で迷っていました。

友人は悩んでも悩んでも全然決められなかったので
僕が500円玉を出して
「500が出たらA、絵柄が出たらBにしよ」と言い出し
コイントスをすることにしました。
その結果「絵柄」が出たので
友人も納得をして
Bの部屋と契約することになりました。

ちなみに超余談ですが
その友人は数ヶ月後
静岡で素敵なパートナーに出会い
現在結婚に向けて準備中です。

今は500円玉で決めた部屋にはほとんど居ないようで
パートナーの部屋で半同棲生活をしているみたいです。

改めて
「選択そのものには意味がない」ということを感じる出来事でした。



迷ったら○○を選ぶ

選択そのものに意味はありません。
なので
迷ったときは500円玉を投げて選んでも良いと思います。
ただ大事なのは
選択した先で
それを成功とか幸福と受け止められるかどうかという部分です。

成功や幸福というポジティブな受け止めに必要な要素は
2つあります。

それは
「選んだ自分自身を信じる気持ち」と
「選んだものを正解に持っていくための努力」です。

つまり何かしらの選択に迫られたときは
この2つの要素が自分の中で担保されやすい方を選ぶべきなのです。

信じれるか?頑張れるか?
というモノサシですね。

僕はほとんどの選択は直感です。
500円玉を投げるのと一緒です。
ただ
「お金がかかる」
「他人に影響が出る」
「時間を費やす」
「労力を費やす」といったようなリスクが大きい選択をする際は
この「信じれるか?頑張れるか?」のモノサシを採用しています。

そして
これはみなさんもそうだと思いますが
自分を信じて
努力するためには
やはり楽しくないと出来ませんよね。

ここまで回りくどく話してきましたが
伝えたかったのは
『迷ったときは楽しそうな方を選ぼうね』
『楽しかったら頑張れるから』
というお話でした。

ヨガの学びは一生ものです。
学ぶ環境を選択する際は
「楽しそうな方を選んで、努力する」
という選択をしていくと良いと思います。

おわり

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