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頑張りすぎも良し

何事に対してもそうですが
「頑張る」という行為は
尊いものです。

これは満場一致で
みなさんが想う事でしょう。

しかし
「頑張り過ぎ」となると
ちょっと周りの反応が変わってくる感じがありませんか?
賞賛の声は先ほどの満場一致とはならず
「頑張り過ぎは良くない」
「無理するな」
「もっと休むべきだ」
と言った声が挙がってきます。

今日お伝えしたい
というか整理しておきたいのは
「頑張り過ぎ」は誉め言葉だということです。


頑張り過ぎも良し


先ほどのように
「頑張り過ぎ」をある種否定的に捉える意見がありますが
これはもちろん正しい意見ですし
頑張り過ぎている相手を想っての言葉だと思います。

えっと、
もっと手前の話をしますね。

ここでお伝えしたいのは
誰が正解で誰が間違っている
というような話ではなく
根本的に「頑張る」という行為が素晴らしいことなのだから
「頑張り過ぎ」という行為も変わらずに素晴らしいことなのだ
という事です。

「頑張り過ぎ」はその人の長所であり
誉め言葉です。

しかし
いつしか「頑張り過ぎ」という言葉に
ネガティブな影が見えるようになってきたような気がするのです。

もう一度言いますが
これは良い悪い・正解不正解の話ではなく
「頑張り過ぎ」は満場一致で賞賛されるべきことなのだという話です。



ヨガは健康診断

「頑張り過ぎ」という行為そのものは賞賛されるべきことだ
と再確認できたと思います。

ただ
その頑張り過ぎが引き金となって
身体を壊したり
余裕がなくなって判断が鈍ったり
そもそもなんで頑張っているのか?と本質的部分を見失ってしまうと
これはあまり良くないです。

なぜ良くないかというと
理由はシンプルで
頑張り続けられなくなるからです。

頑張ることや頑張り過ぎることが賞賛されるべき良いことだと理解できる優秀な人なら
同時に
頑張り続けられる環境整備をすることも重要だと認識出来るはずです。

僕はその環境整備の一つが
「ヨガの時間」
だと思っています。

静かに坐り
いつもより丁寧に呼吸をし
吸い始めから吐き終わりまでの感覚を堪能する
そこに簡単なポーズを合わせることで
こわばっていた体が徐々にほぐれていき
そのほぐれていく様を「リラックス」と認識していく
リラックスは心の余裕を創り出し
普段頑張っている自分を肯定的に認識出来る
その結果
このヨガの時間が
自分で自分を賞賛する時間となり
「よし今日も1日自分らしく頑張ろう」と心身の環境整備が整う

このような時間を意図的につくることで
それが心身の健康診断となり
アクセルとブレーキの精度を上げていくのだと思います。



本当に伝えたいこと


頑張り過ぎは良い事です。
これは
「だからもっと頑張れ」というメッセージではなく
「どんな自分も認めてあげましょう」というメッセージです。

今日のお話は
たまたま対象者が「頑張り過ぎている人」だっただけで
もしこれが「頑張らない人」が対象者だったら
「頑張らないことは素晴らしい」と言っていたと思います。

どんな自分でも
「それが自分」
と思える人には
遅かれ早かれ必ず道が開けると思っています。

おわり

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