見出し画像

「伝える」から「伝わる」へ

「伝える」と「伝わる」

伝える努力というのは確かに重要です。
キャッチボールで言うなら
ボールの投げ方を練習するようなものです。
ある程度うまく投げられなければ
相手に届くはずがありません。

しかしキャッチボールだとするならば
もう一つ重要な要素があります。
それは受けて側のキャッチの仕方です。

こちらがどれだけいいボールを投げても
相手にキャッチする技術が無ければ
いやそもそもキャッチしようと思っていなければ
成立しません。

誰もいない所にいい球を投げるのは
ただの自己満足です。
そう考えると
伝える努力も大事だけど
正確に言うと「伝わる努力」が大事だなー
と感じますね。



伝わってしまう方法

ヨガの世界でもそうですが
学べば学ぶほど
知れば知るほど
「伝えたい目的」と
「伝わる方法」はかい離しやすいです。

例えば
ヨガ哲学なんかが理解出来てくると
これを伝えたい!
と思います。

それ自体は普通の事だし
必要なことです。

しかし
いざ生徒さんの立場に立って考えてみると
そのボールをキャッチする用意が出来ていないことに気がつきます。

それなのにも関わらず
「これがヨガの真髄だ」と言わんばかりに伝えようとするのは
ただのエゴですね。

この場合で大事なのは
伝えようとする努力よりも
伝わってしまう配慮や環境設定を考えることです。

例えば
「自分の肉体は魂の乗り物だ」という
ヨガ哲学の根本にある教えを伝えたいのであれば
「プルシャとプラクリティというのがあって・・・」といったような
ヨガ哲学の専門用語を用いたボールを投げるのではなく
クラス全体を通して
終始肉体を大切な宝物のように扱う配慮や環境設定をすれば
伝わるかもしれません。

そう、伝わるかもしれない。
これくらいでいいのです。

あくまでも最後の最後は相手の問題なので
伝わるという確証はありませんし
そこに固執するとまたエゴが芽生えてきますね。
(※伝わるべきだ・伝えねばならないはエゴ)



まとめ

自分の思い入れが強かったり
自分の専門領域であればあるほど
伝えよう伝えようとしてしまいます。

これ自体は大変素晴らしいことです。
そのプロフェッショナルな意識を持ちつつも
相手の立場に立つ意識も持ちつつ
この間で何往復も行ったり来たりすることが
「伝わる」努力です。

おわり

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?