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闇夜の猫とオッサン。 2020年8月19日

 昨日のバス乗務の疲れが抜けず、8時に起きて二度寝をしてしまった。
 妻が作ってくれたドライカレーの残りを朝昼兼用にして、猫たちの相手をしたりしてのんびりして家を出たら、事務所に着いたのか13時半になってしまった。

 事務所に着いたら、先週アスクルで注文しておいた「出発点」準備のための用度品が1階のお客さんのところにたくさん届いている。恐縮しながら4往復ほどして2階にすべて運ぶ。しんどい。
 必要なものばかりだと、自分では十分吟味しているつもりなのだけれど、購入にとてつもなく罪悪感を感じるのはなぜだろう。
 今回注文した品々も、2週間も前からカートに入っていて、最後の確定ボタンが押せずに逡巡していたのだ。
 そして先週末、自分に言い聞かせてエイヤー! とぽちった。一瞬だった。その直後に襲ってくるあの解放感と不安感はなんなのだろう。
 これが快楽ばかりになるといよいよ買い物依存症になるかもしれないと思っていつも警戒している。
 いや、あえていつもの複雑な心境を免罪符にして、これからも買いまくろうとしているのではないだろうか。
 そこまで勘ぐりたくなる。

 最近、どことなく体調がすっきりしない。
 体温も酸素飽和濃度も、脈拍、血圧まで正常なのだけれど、どことなくすっきりしない。
 昨日の健康診断で胸に聴診器を当てられて、「うん、大丈夫ですね」と言われているにもかかわらずである。
 それで気づいた。マスクを外すと調子がいいのである。
 終電少し前の電車に乗り、最寄りの駅からマスクを外して家路を目指す。周りには誰もいない。そこには闇夜があるだけである。
 心境は「構うもんかい!」
 空気がうまい! そして一気に心の健康がよみがえる。
 アメリカの西海岸では、「マスクは我々の自由を奪う!」そう解釈されているようだが、あながち間違いではないような気がする。
 誤解しないでほしい、マスクは不要だと言ってるのではない。ただ、人もいないのにそれに従順になってしまい、不必要にマスクをし続けると、ひょっとしたら我々の健康を奪うかもしれない、そんな気がするのだ。

 家の近くまで来た時、黒猫がわたしの前に現れた。横切る猫は縁起が悪いが、向かってくる猫は縁起がいいという。
 その猫はわたしの姿を見ると、そそくさと逃げて左の路地に入り込んだ。
 路地の入口まで来て左を向くと、驚いたことにその猫がわたしの方に向かって、わたしの身長の距離くらいまで歩み寄ってきた。これはこれは!!
「にゃあ」
 わたしが何気にそう言った途端、踵を返すように逃げていった。

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