ねころんでロンゴ(論語)~幸せな生き方って~

雍也第六

原文

子曰「賢哉回也。一箪食。一瓢飮。在陋巷。人不堪其憂。回也不改其樂。賢哉回也。」

書き下し

子曰く「賢なるかな回(かい)や。一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)に在り。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽を改めず。賢なるかな回や。」

孔子がマヂで驚きながら言った。
「スゲーよな、顔回ってさ。一膳飯に一膳酒、ボロッボロの家に住んでるなんて、フツーのヤツだったら耐えられんぜ。それなのにアイツはそんなこと気にもしないで、自分の楽しみ以外見向きもしない。スゲーよ、顔回は」

寸感

ようやくこの言葉の意味が分かるようになった。
いいもの食べたい、いい酒飲みたい、いい家に住みたい。車も欲しいし、きれいなブランド物の服も欲しい。そういうのが普通の人の楽しみなんだけど、そういったありきたりの欲求じゃなくって、全く別のところに楽しみ感じるヤツっている。
そういうやつのほうが、きっと幸せを感じることができるんだと思う。だって、普通の欲求は「もっと上、もっといいもの」って、永遠に満足することないから。
考えてみれば人にとって自分の楽しみ以外のもの事って、たぶん重要じゃないんだよね。
そういうものが持てる人間でありたいし、そういうものを持っている人を尊重したい。「金に興味がない=努力してない」なんて蔑むのはサイテーだ。

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