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「中国ITすごい!」や「中国ベンチャーすごい!」ブームに“今”乗れない理由

なんとな~く、巷でよくある「中国すごい」、「中国ベンチャーすごい」に載れないままでいる。
中国の仕事をしている以上「いけないな」と思う気恥ずかしさがある。

中国の事を話す機会が多いのだが、中国ITや中国ベンチャーに関する話題になると、どうしても言葉が辛辣になるようで、
「中国IT嫌いなんですか?」
「中国の会社って嫌ですか?」
などと聞かれてしまうことがある。

最近、やや反省気味である。

今、日本のメディアや一部の新興中国屋さんたちが喧伝している「中国のITはすごい!」、「中国のベンチャーはすごい!」というブームについて、「好き嫌い」や「いい悪い」というのではなく、非常に「モヤモヤ」したものを抱えている。

それは、声高に愛国心を叫ぶ人たちのように「中国は危険だ!」とか言ってるわけでも、「がんばれ日本企業!」と思っているような理由では、決してない。

「すごいコトはすごいんだけど、なんか…」なのである。
ひょっとしたら私がテクノロジー音痴だからなのだろうか…とも悩んでいる。

ん~自分でもまとめ切れないし、怒られるかもしれないけど、とにかく書いてみよう。

中国のベンチャーの成功って「信用」しにくい

とにかく成功した中国ベンチャーというのは出ている。
おそらく「ユニコーン」と呼ばれる企業の数は、おそらく世界一だったはず(うろ)。

なんだけど、その成功って長続きするのかな?
例えばシェアバイク。モバイクもofoも姿を消して、ビジネス自体は存在しているけれど、最終的にはアリババ、テンセントの庇護で生き延びている様子だし(またブレイクするかな?)。

相変わらず爆発力はあるんだけど、継続しない。
5年以上続いている企業って、何社あるんだろう。
でも続いているのも、何かめちゃくちゃ優れているような感じがしなくて、上手にA/T 2社と付き合っている、もしくは受け入れている企業なような気がしている…。

だから、「ほんとにスゴいんなら、もうちょっと続かないのかなぁ」とか思ってしまう。

社内に会社経営の経験が短い

もうひとつが、中国では「会社経営」の歴史が浅く、ノウハウが乏しい、という印象がある。

これに関して以前お付き合いがあった医療検査機器を作っているベンチャーの人が言っていた「社会全体が“浮躁”」という言葉。

以前、上海で上海の人が作った会社で働いた経験があるけど、勉強になったのは会社がいったん下向きになった瞬間に我を失うということ。
数年で立て直せる範囲なのにいきなりリストラをはじめて、給与は高かったけどその分働ける人たちを「高い」といって切り始めた。

結局、上に登ることには目が聞くけど、逆風に晒されると一気に慌てふためく。
そんな姿を見てしまった。
色々話を聞くと同様の経験をした人(日本中国かぎらず)少なくなかったので、「あぁ、そういもんか」と。

考えてみれば中国に近代的な「企業」ができたのは90年代に入ってから。
欧米や日本が100年以上の経験があって、好景気、不景気を経験したので、会社をどのようにするかの経験がある程度は溜まっている(まぁ、それが会社の足を縛るってのもあるけど)。

でも現代中国、新中国にはそれがまだ培われていないように見受けられる。
だから、もう少し、ベンチャーが企業としてやっていけるようになるには、時間がかかるんじゃなかろうか。

「人」が置いてけぼりになっている感じ

決定的に不安なのがこれ。
すごく独りよがりなビジネス、サービスしている企業も少なくなような…という印象。

ついこの前の「luckin coffee」も、テクノロジー的にはすごかったし、ビジネスモデルも先端を行っていたといわれていたんだけど、お店に行った時に何となく「小馬鹿にされた」感。

そもそもコーヒー買う事ってそこまでテクノロジー必要なのか…と思ってしまった。
もちろん、中国はそういったのが好きで、インサイトを突いていったわけなんだけど、「それでいいの…?」って思っていた。
そしたら「人為的問題」でコケてしまったんだよね…。

中国でベンチャー気質の人たちと話していると、「どうやったら儲けられるか」、「自分が成功する(金が増える)」ことばかり話されて、「人の生活や社会をよくしよう」という意思がないようにしか聞こえないんだよね。

日本の浄土真宗系ビジネスでいう「三方よし」がない。

そういった企業ってどこまで長生きできるんだろう?
長生きするためには数、質量で抑えるしかないけれど、ひと昔まえの「何もない」時代ならまだしも、もう「モノだけが溢れる」時代では、それもできない。

あと、そういうマインドで始めているから、事業への思い入れが乏しい。
創業者と事業が他人同士なんだな。
ある意味、Buy outタイプの投資家みたいな感覚なんだよね。それで継続的な事業は難しいよね。

中国式不動産投資の考えで会社経営してる感じなんだな~。

せめて「人心」、投資家ではなく消費者の真心を得る努力や、自分の事業(規模や売上じゃなくて)への思い入れを持つ努力をしてほしいと思う。

「トライアンドエラー」を繰り返しているだけのような気も…

中国ベンチャーすごいぞ論の人たちは「トライアンドエラーできる環境って素晴らしいじゃない!」とか「ベンチャー気質は素晴らしい!」、「ハングリー精神は見習わなきゃ!」って言う。

間違ってはいないと思うし、一部は共感する。
けど、会社ってそんな思いでやっていいのかなって。
いろんな人巻き込んで、いろんな人のお金に関わるんだからさ。

「トライアンドエラー」しただけで、その「トライアンドエラー」を繰り返しているだけのような気がしてならないんだな。
トライアンドエラーすることが目的じゃなくて、トライアンドエラーの結果、何かを学んで何かを変えるのが目的なんだけど、ひたすらトライアンドエラーしてる。

だから、中国社会が本当に発展している!っていう印象が持てずにいるんだよね。

まあぁいろいろ書いて、それが当たってるか外れているかわからんし、無責任な事しか言ってないけど、やっぱり最近増えている中国専門家みたいに「中国のベンチャーはすごいぞ!」と簡単に吹聴して回る気持ちにはならないんだなぁ。

もう少し冷静に、じっくり見てから決めたいよね。

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