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医療の狭間で揺れた6年

 熱を出したら解熱剤、なんて聞いたことがなかった。熱を出したらひたすら白湯を呑んで梅干しを食べる。ついでに鍼灸の先生に診てもらい、熱を出し切ってうんちが出たら完治。風邪をひきそうなら葛根湯とユベラC。砂糖とお肉を根絶して早く寝る。というのが家での風邪ルーティンだった。

 東洋医学にどっぷり浸かって育ててもらって、大学に入っていきなり西洋医学の勉強を始めるとその違いに戸惑った。症状を消すばかりで、それは根本的な解決になるのだろうかと思うことが多く、抗生物質や抗菌薬は確かに原因療法なのかもしれないが、そもそも体内で増殖するのは免疫力が落ちているからであって、個人の免疫力を上げるアプローチはないのだろうかと不思議に思った。でも大学の試験には答えがあって、この病気にはこれ、この症状にはこう対応するというのが決まっている。抜歯後感染の予防で「砂糖禁止」「睡眠を十分に取る」といった素人のような解答は受け入れられるはずもなく。
 大流行した例の感染症対策に関しても薬剤に頼るばかりで、それ以前に個人がやれることなんていくらでもあるのにと憤慨した。医療費は増大するばかりで、このまま薬ありきの医療しか許されないのなら日本の医療保険のシステムはいつか崩壊すると感じた。

 悪くなったものを治して患者さんのQOL向上に貢献するというのが現代の医療サービスの基本だが、そもそもそうならないために日頃何をすればいいのかを知っている人は少ない。小麦のこと、食品添加物のこと、砂糖や油のこと、運動のこと…。外科の実習に行った時、お昼休みに先生方がカップラーメンばかり食べていて愕然とした。先生方こそ癌になってしまいそうだ。

『食べることは生きること』

というのが6年間の旅を経て確信した生きる根源だが、この医療の世界にそういう意味の食はない。食の「栄養」の側面だけにフォーカスして、食から生まれる会話や人とのつながり、生かされていることを感じるパワー、脈々と受け継がれてきた文化的側面など、日常とこの御神體を形成している「食」があまりに軽視されすぎている。そういった食の全ての側面がエネルギーに満ちた日々を作っていくのに。

 学年が上がるにつれ、そんな閉鎖的な医療の世界に身を置くことが恐ろしくなり、このまま大学を辞めて全く別の道に進もうかと本気で悩んだ。マイノリティの”間違っている側”であり続けるのがつらかった。
 でも辞めなかった。それが逃げだと気づかされたから。違うと思うなら戦えばいい。健康の最果てに待ち構えている医療よりも、人々が自らの身体を大切にしながら生を楽しむことの支えとして医療があって然るべきなら、そんな医療を提供すればいいと思った。医食同源。食を介して新しい医療の形を提供していけたら。


 文章にしたのはイランで決意した「あのこと」を忘れないように(笑)
やっっっっっと社会人1年目。なんだってできる。楽しみだ!

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