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『美しい星』 三島由紀夫

フルシチョフとケネディと葡萄入りのパン

これは…ただのエンタメ小説ではないぞ…!
と気がついたのはこの部分。

 核実験停止もベルリン問題も、半熟卵や焼き林檎や乾葡萄入りのパンなどと一緒に論じるべきなのだ。宇宙の高みから見たら、どちらも同様に大切なのだ、ということを彼らに納得させなくちゃいかん。地球人は殺人を大したもののように思っているから殺人を犯し、その誘惑からのがれられない。
 フルシチョフとケネディは朝食のこぼれ落ちたパンの粉を包んだナプキンを卓上に置くと、二人で肩を組んで外へ出て行って、朝日を浴びて待っている新聞記者に、こう告げるべきなのだ。
『われわれ人類は生きのびようということに意見が一致した』と。
「美しい星」三島由紀夫/p30

これは自分達は宇宙人であると自覚した一家の父、重一郎のセリフ。小説の中では「愚かな地球人」のために立ち上がり、地球人解放のために尽力している。
表題とあらすじだけでなんとなく想像していた内容の斜め上を行っていて、この辺りからだんだん読むのが楽しくなってきた。

人間の三つの宿命的な欠陥

途中、重一郎への対抗勢力も出現する。これも大杉家と同じように自分達は宇宙人であると自覚した3匹の男たち(同じ星の出身)。だが彼らは重一郎と違って、愚かな地球人を地球人のために滅亡させてやろうと考える。
そんな3匹のうちの一匹、助教の羽黒という男が放った言葉が、

 まず人間にはどんな欠点があるか。人間悪とは何だろうか。これを断罪するために、私はいろいろと考えてみました。
 人間には三つの宿命的な病気というか、宿命的な欠陥がある。その一つは事物への関心(ゾルゲ)であり、もう一つは人間への関心であり、もう一つは神への関心である。人類がこの三つの関心を捨てれば、あるいは滅亡を免れるかもしれないが、私の見るところでは、この三つは不治の病なのです。……
p261

以降はこの三つの関心を持って幼少期からどんな風に病状が進行するのかが延々と述べられている。この部分もめちゃくちゃ面白くて、普段見過ごしているような些細なことも宇宙人目線で皮肉られているから、“確かに当たり前だと思っていたけど改めて考えてみると面白い風習だな“ と気づかされる。終いには読み手であるこちら側もまるで宇宙人になってしまったような錯覚に陥るから楽しい。

国際金融資本

そんなダークサイドの羽黒たちに対して放った重一郎の数々の台詞の中で、的を得過ぎていると思った部分がこちら。

 あなた方の星の同志は、今世紀の初頭から、著名な政治家や哲学者や芸術家の間に紛れ込み、営々孜々と今日の事態を準備してきたに違いない。そういえば、思い当たるふしも多々あるのだ。思えば私が地球へ来るのは遅かった。しかし遅すぎはしないということを、あなた方に思い知らせてやる。
p306

“あなた方の星の同志” って一体誰のことを指しているんでしょうね。深読みしすぎかもしれないけど。
だけどもし三島由紀夫がこの時代に同じ存在を指し示していたとするなら、相当孤独だったんじゃないかと思う。そして、じわりじわりと雲行きが怪しくなっていく世の中に対して抱いていた思想を、この小説を通して表現したかったんだろうなと思った。SF作品だからこそ絶妙なバランスを保って成り立っている。

他にも山のように紹介したいところがあるけど、それをするとほぼ小説全部引用しちゃう勢いなのでこの辺に。


意志ある選択

今の情勢と重なる部分も多々あって、60年前から世界は大して変わっていないんだなと思った。それどころか、どんどんひずみが蓄積されていて、そのうち破断点を迎える気がする。

少なくとも今個々ができることとして、“意志ある選択“ がある。
誰かが良いって言ったからとか、みんなやっているからとか、何となくとか、そんな風に思考を挟まないで行動するのではなく、様々な媒体から情報を得て考えを練り、身近にいる他者の意見も聞きつつ、最後は自ら意思決定すること。

その選択の積み重ねによってそれまでの思考が再プログラミングされ、今までとは違った現象が立ち上がり、「美しい星」での限りある時間が創造的で豊かなものになっていくとんだと思う。

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