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『潮騒』三島由紀夫

なんですかこの透明感!!?

眩しい
とにかく眩しい

10代後半のふたりの眩しさが、歌島の情景と重なってさらに眩しいのです。

今まで読んだどの小説よりも飛び抜けて清らかな、清純の権化のような作品でした。「ひまわりみたいな物語だ」と批評には書いてあったけれど、ひまわりのようなずっしりとした明るい花ではなくて、今にも風に吹かれて飛んでいってしまいそうなほど軽く透明感のある花が似合います。なんだろうネモフィラとか?

とにかくこちらが恥ずかしくなってしまうくらいみずみずしく光に満ちていました。

これ本当に三島由紀夫が書いたの?

と疑ってしまうのはデフォルトらしく、この人の中にこんなにもピュアな不可侵領域があったんだと思うともう三島沼から抜け出せません。

こんなにも澄んでいる三島作品を読んだことががないものだから、予想していた展開を歌島の人々が悉く一蹴していきました。
ふたりが焚き火をはさんで裸になっている間に誰かが入ってくるなんてことはなかったし、初江が持ち上げた石が安夫に当たって殺人犯になることもなかったし、鮑競争で新治の母親が海から帰ってこないなんてこともありませんでした。
しまいには結末すらも予想外で、ため息が出るくらいきれいでした。

汚れているのはこちらの心でしょうか。

このエゴにまみれた地球にも歌島のような世界があってほしいと思いました。

珠玉の言葉で描く歌島の夜

新治が海で生きるシーンではヘミングウェイの「老人と海」を思い出しました。

情景を描き出す言葉の一つ一つが宝物のようで、こういった言葉から記憶のかけらを呼び起こして想像する世界は、どんな映像とも比べられないほど美しかったです。

特に歌島の夜を描く言葉がとてもきれいで、いつか大島や壱岐へ行った時に触れた島の神聖な夜を思い出しました。

祈りおわると、すでに月に照らされている伊勢海を眺めて深呼吸をした。古代の神々のように、雲がいくつも海の上に泛かんでいる。
村がいっせいに明るい灯を灯したのである。それはまるで音のない花々しいお夏りの発端のようで、窓という窓は、ラムプの煤けた灯とは似ても似つかない、明るい確乎とした光にかがやいていた。暗い夜のなかから村がよみがえり、泛び上がって来たようである。
月はなく、薄い雲が空をおおっていて、星は稀にしか見られない。石灰石の石段はそれでも夜の微光をのこらず集め、新治の足下に、巨きな荘厳な瀑布のように白く懸っている。

読んでいるうちにあれよあれよとこの世界に入り込み、気がつくと月明かりに照らされた石段の上に立ち、松の木を揺らす風の音や潮騒に耳を傾けていました。

どこまでもどこまでもまっすぐで清らかで澄みわたった作品でした。


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