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熱情をもって生きる


はじめて読んだ三島作品は、「命売ります」というエンタメ小説。あまりの面白さと世界観に、それまで三島由紀夫に対して勝手に抱いていた"堅苦しい"という偏見が吹っ飛びました。

宝石のような文章も書けば、人間の醜悪を実装させたような文章も書きます。いくつかの作品を読むうち、三島由紀夫の思想や哲学に興味を持つようになりました。そんな時に出会ったのが、ドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」。そこには若者たちと真剣に向き合う三島由紀夫と、日本の未来を憂いて立ち上がる熱き東大生がいました。この映画を観たのは23歳の時だったので、彼らと年齢が近いわけですが、その衝撃は今でも忘れられません。まさに、想像を超えるほどの圧倒的熱量を体感したのです。

青年よ熱情をもて

東京大学の900番教室で行われた、東大全共闘の若者vs三島由紀夫の討論会。敵陣に身一つで乗り込んだ三島由紀夫が、若者たちと複数のテーマにわたって論争を繰り広げ、その時の記録をもとにこのドキュメンタリー映画が作成されました。

観てみると分かると思うのですが、熱気が半端ない。そして議論のレベルが高いのです。抽象的な概念をさらに抽象化したような言葉でもって自説を提唱し、相手はその意図を汲み取り同じ抽象化レベルで答える…。ぼーっと観ているとあっという間に置いていかれます。この対話を解説なしに完全に理解できる人がいったいどれほどいるんだろうと思いました。これがたった50年前ってまじ?という感じです。東大生のレベルだから、の一言で片付けられるものでしょうか。教育レベルも個々のレベルも落ちてしまったのでは…と感じてしまいました。

そんな三島由紀夫と東大全共闘は、表面上、右翼左翼の組織で対立構造を形成していました。しかしどちらの活動も結局は反米愛国運動で、共通の敵はただ一つ、『あやふやな猥褻な日本国』だったと、当時全共闘のメンバーだった芥さんが仰っていました。この日の論争の末、一緒に闘う結論には至らなかったけれど、東大全共闘の若者たちに向けて三島由紀夫は最後にこう言いました。

『私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないにしても、これだけは信じるということをわかっていただきたい。』

この時からたった50年、彼らと同年代の今の若者は、個人主義の時代に生まれ、政治も宗教も語るのは憚られるような空気感の中で育ち、義務教育では近代日本史を省かれ、国のあり方に興味をもたない人間へと成長しました。でもたった50年前の日本には、国の未来を案じてどうにかしたいと行動を起こす若者がたくさんいたんですね。

今、三島由紀夫がこの国を見たらどう思うのだろうかと考えます。嘆き悲しむのか、地に足をつけろと怒るのか、それともやっぱり言葉で動かそうとするのか。

三島由紀夫にはなれないけれど、この時代の若者のように熱情はもてます。

ミッションを掲げて、それがどの分野、どんな角度からの世界に対してのアプローチだとしても、熱情をもって挑戦していきたい!

…なんて、気がついたら一端の学生が鼻息荒くしてるんだから、やっぱりとんでもない男です。当時、若い女性のファンが多かったらしいですが、そりゃあそうですよ。今だっているんですもん、ここに。

この映像を今の若者に見せたい!!!
との思いで製作してくださったというスタッフの方々に心から感謝します。最後のメッセージ、沁みました。観てますよ〜!若者、観てます!

動きはじめるZ世代

対比的に「今の若者」を現代社会で生きる消極的な存在として表現してましたが、実際のところはそうでもないよな〜と思ってます。

周りには、環境問題に積極的に取り組む人、農業に携わりながら社会の変革を目指す人、新しい医療の形を模索している人など、次の時代を担う同世代がそれぞれのやり方で動きはじめています。

物質的に恵まれて育った世代だからか、みんなあまり物欲がないというか(笑) 昔のようなガツガツした感じは確かに少ないかもしれません。そのかわり、もっと自由でもっと軽い。新しいやり方で、社会を変えていくんだと確信してます。

三島由紀夫の自決の真意

余談ですが、三島由紀夫の最後が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地での自決だったことは有名ですが、なぜそのような結末だったのか、知っていますか。

映画の中で、三島由紀夫が「自決」という行為を神経衰弱のせいにして片付けるなんてとんでもないと言ってガチギレしたエピソードが紹介されていました。中学生の時、大人に三島由紀夫の自決の理由を聞いた時も、「病んだんじゃない?」と言われましたが、それは一番言われたくなかったことだと判明しました(笑)

昔の作家は自殺するケースが多かったし、そういうものかと思いましたが、三島由紀夫文学をあれこれ読むうちに絶対にそんな理由じゃないと思うようになりました。そしてついに、その答えをこの映像の中に見つけたんです。

『私は一人の民間人であります。私が行動を起こすときは結局諸君と同じ非合法でやる他ないんだ。非合法で決闘の思想において人をやればそれは殺人犯だから、そうなったら自分もお巡りさんに捕まらないうちに自決でもなんでもして死にたいと思うんです』

だんだん米国に取り込まれていく日本を憂い、認識を語るよりも行動を先にし、その非合法的な行動の落とし前をつけるために切腹を選んだ。そう解釈しました。捕まるのは名を汚すこと。これこそ武士の精神でしょうか。はみ出しものだと思ってたけど、時代がこの人に追いつけなかったんだと思いました。気になるので平野さんの本読もうかな。

「愛国」という言葉に多くの人はやや敏感ですが、国を愛することは他国との分断を生むことではないです。ということに最近気がつきました。

話題がそれそうなのでこの辺でやめておきます。最後まで読んでくれたあなたは相当な変態です。これからも仲良くしてください。

おわり

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