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つまらないことはつまらないと言いたい。ただし、愛をもって。

「大怪獣のあとしまつ」を見るか「鹿の王」を見るか悩んでいたら、こんなレビューを見つけた。

文章を書く人にとって冒頭の文章は大事だ。ここで読者が記事を読んでくれるのかそうでないかは、巌流島の戦いの如くはっきりと明暗が分かれる。その冒頭分がこれである。

こんな内容を、ここまでの超豪華キャストを集めて、最高峰の特撮技術も使って、最大規模で公開しているのは、はっきり言って正気の沙汰ではない。良い意味でも悪い意味でも(だいたい悪い)二度とはないタイプの「何か」が誕生しており、個人的には2022年のワースト映画が早くも決定した。

あまりにひどい言い方で思わずゆっくりと二度読んだ。二度目もやっぱりびっくりするくらい酷評していた。目の前に生卵を今にも投げそうな人が立っているくらい、明らかに攻撃性をもった記事である。私が監督だったらハンカチーフをそっと手元に置くだろう。記事はその後こう続く。

本作はぜひ、映画館で目撃してほしい。矢継ぎ早に繰り出される全てのギャグシーンで誰1人としてクスリともせず、観賞後にはお通夜のような静寂に包まれる、虚無を超えて禅の境地のような体験ができるはずだ。

......お?
酷評はしている。明らかにディスってはいる。がよく読むと、まず、「本作はぜひ、映画館で目撃してほしい」としっかりとまぎれもなく観覧することをすすめている。さらに、「観賞後にはお通夜のような静寂に包まれる、虚無を超えて禅の境地のような体験」という表現。なにそれ、虚無を超えた禅のような体験を味わえるかもしれない映画なんてめちゃくちゃ見てみたいじゃんか......!!

このレビュー記事、ちゃんと読んでみてほしいのだが、読み終わると冒頭分に現れた生卵を持った人はとんだ勘違いだったことがわかる。むしろ群衆から投げられそうだった生卵を代わりにキャッチしてくれていたのではないかとすら思う。ごめんね、卵持った人!

「大怪獣のあとしまつ」は明らかに駄作であり、今世紀史上最大のひどい作品くらいに述べられているのだが、そこに攻撃性がない。つまらなさを「つまらない」という価値として魅力をもって論じている。おすすめできないと思っていながらも取り繕うような言葉を使って当たり障りのない表現をする人よりもむしろ盛大な愛を感じる。また、どストレートに「つまらない」と言ってくれることで、「大怪獣のあとしまつ」を見た感想をあとしまつできていない人の、魂の救済が行われているといっても過言ではない。

この記事は一見ネガティブに捉えられてしまうようなことも、自分自身を偽らずに本音ベースで伝える極意を教えてくれている気がする。その学びは大きく3つだ。

①つまらないことを「つまらない」という価値として捉えている

あなたがつまらない作品を見たら家族や友人におすすめをするだろうか。わたしなら、しない。「つまらないから時間の無駄だよ」といって、見ようとしていた人をひきとめるだろう。これは「つまらない」=「ネガティブなこと」と決めつけているからだろう。一応レビュー記事という建前上、「見ないほうがいいとは言えない」というのもあるのかもしれないが、筆者であるヒナタカさんの文章は読めば読むほどつまらないことが価値のように思えてくる。

・個人的には「序盤からの悪い予感が全て当たる」というのも初めての経験だった
・エンドロールの最後にも、人によっては怒髪天を衝くすごいおまけがある
・「大怪獣のあとしまつ」にはまっとうな要素もそろっているはずなのだが、実際の本編は「大事故」を起こしているとしか思えない、とんでもない内容

「そんなにつまらない映画って一体どんなものなんだろうか」「怒髪天をつくようなおまけを見てみたい」といったような怖いもの見たさがふつふつと湧いてくるのだ。

②表現が多彩

「つまらない」「面白くない」「センスがない」といった言葉は攻撃力が高い。幕末の緋村抜刀斎のようにばっさばっさと斬りつけるような言葉である。それをヒナタカさんは多種多様な言葉で表現する。

・意味が分からないままギャグが流されるシーンが続き、意識を失いかける瞬間が多々あった
・ただただつまらなさが純粋培養され続けるだけ
・小規模な作品で発揮されていた作家性が暴走し、悪い方向に限界突破してしまった

映画を見ているときの表情や感情が浮かぶ表現がつづき、思わず笑ってしまう。つまらなさの純粋培養というフレーズは思わずメモした。

③ちゃんと自分の目で見て、ちゃんと調べている

これが一番大事だと思うのだが、作品に対して表面的に接しているのではなく、ちゃんと調べて、ちゃんと向き合っている。よく知りもしないくせに批判したら棘しかないけれど、作品と対峙して受けた印象だから、愛もあるしリアルさもある。たとえば、俳優の田中圭が公式に寄せたコメントや脚本家の小林靖子が公式に寄せたコメントにも触れているし、作中のつっこみどころが細かいので、たたみかけられるつまらないギャグに気を失いそうになりながらも、ちゃんと作品と戦っていることがよくわかる。

わたしはネガティブなことをあんまり上手く表現できない。当たり障りのない様に伝えようとして、必要以上に相手を傷つけてしまうことがあるので、ネガティブな本音は伝えないようにしている。いつもいろんなことに良い面も悪い面も感じるし、「いやこれはさすがにないでしょう、うわ〜」ということを副音声として心のなかでつぶやく。でも、本当は言いたい。声を大にして、世の中の声に流されずに、本音を伝えたい。つまらないならつまらないと言いたい。ただし、そこには愛をもって。

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