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山内家ゆかりの掛川城【東海道本線 途中下車の旅#10】

静岡駅から、川を越え、茶畑を抜けて、遠州に入ってきました。
その様子はコチラ。



熱海から普通列車の旅を続けてくると、2時間ほどで掛川に到着です。
やっと静岡県の2/3過ぎたあたりです。


掛川駅は、遠州(静岡西部)の北部を走る「天竜浜名湖鉄道」の起点でもあります。私はまだ乗ったことはありませんが、その名の通り、天竜川や浜名湖の景色のいい区間もあると聞いています。
時間を作って、こちらをじっくり回ってみたいと思っています。


掛川は、城下町として知られている町です。

掛川に初めてやってきた時は、桜がまだ残っている時期だったのもあり、このような見事な写真が撮れました。

掛川城は、駿河(静岡東部)との境に近いこともあり、戦国時代には争奪戦の舞台となることが幾度かあった場所です。
現在ある城下町・掛川は、1590年にこの地に入った山内一豊によって整備されました。

その山内一豊ですが、関ヶ原の戦いでの功が認められ、土佐一国の大名となります。
この掛川を整備したのは、あの土佐藩の山内家の先祖です。

私の名前が、山内一豊と一字違いなのもあり、勝手にご先祖様…と呼んでいます。そして、掛川の町に対して親近感を覚えています。
(血のつながりは一切ありません。)


掛川城は、小高い山の上に建っていて、そのすぐ南に川が流れています。
この川が堀の役割をしていて、その南側にも城下町が広がっていました。

江戸時代になって東海道が、この南側の城下町を東西に通ることになります。それに伴い、城下町の中に宿場町も整備されます。

明治時代になって、この城下町の更に南側に、東海道本線が走ることになったのです。

掛川の中心部の町のでき方を見ていると、城下町の典型的な発展の仕方をしていると感じるのです。


掛川城に天守閣があったと言われています。ただ、現在の見られるものは、昭和になってから再建されたものです。
元々の天守閣は江戸時代末期に地震で倒壊してしまいました。

そのため、地震の後に二ノ丸の部分に屋敷が建て直され、以後、その二の丸御殿で政務が取られるようになったのです。
この建物が江戸時代から残る、掛川城で現存する遺構となっています。


掛川駅から掛川城まで、歩いて5分少々の場所になります。

東海道本線沿線でも、城跡がよく整備されている場所の1つですので、城好きの方にとっては、さっと色々と楽しめるかと思います。
少し時間を取って掛川で降りてみても面白いかと思います。

次は、浜松に向かいます。


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