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生まれて初めて津波に襲われた街の海を見た。

2011年3月11日(金)午後2時46分。
宮城県沖を震源とする東日本大震災が発生。最大震度7の地震が東日本地域を襲った。
そして、その地震により大津波が引き起こされ、多くの方が犠牲になった。

2022年7月30日(土)
生まれて初めて、街が津波に襲われた宮城県石巻市に訪れた。
今まで海は、旅先で見に行く程度。だからそれほど海は見たことない。

石巻市は、津波に街全体が襲われた。
津波の最大の高さは、7.6mだった。

東日本大震災当時、僕は福島に住んでいたが、僕の住んでいる地域は、幸いにもあまり被害を受けなかった。
しかし、ニュースをつけると津波被害や、原子力発電所事故被害、地震被害などのニュースがエンドレスで流れていた。

震災翌日にテレビをつけたら、テレビ画面いっぱいに一見海か?と思うほどの状況を放送するニュースが流れてきていた。
幼いながらに、状況はあまり良くないと少しは理解していたのだろう。

あれから11年。
実は、一度も津波被害にあった海を見たことがなかった。

今回、東北を旅していき、宮城県石巻市に行った。
最初は、ただ宿があるからそこに泊まるという目的だけだった。

海沿い出身ではないため、旅に行き海が近くにあると、海を見に行きたいと思う性が僕には少しある。
宿につき、海が近くにあるのを知っていたから、海を見に行った。

海にたどり着く途中から、なぜか鳥肌が立ち始めた。
何かわからない恐怖のようなものに駆られた。

海に着くまでの間で、鉄筋が丸出しの4〜5階建てと思われる建造物を見た。

そして、海に着いた時。
これまで旅先で見ていた海とは、全く違う雰囲気、空気、音がそこにはあった。すべてが違かった。

砂浜に続く階段に腰をかけた。
本当に雰囲気が違う。
鳥肌がゾクゾクと立っていた。
怖かった。
人間の第六感とかいうものが、ものすごく働いていた。

砂浜に行きたくても行けなかった。

階段に腰かけて、1時間半くらい。
全く動けなかった。目の前に大きな大きな壁がある気がした。
目の前の海に飲み込まれた人が山ほどいた。苦しみながら亡くなった人がたくさんいた。
11年経ったのに、隣の県で起こっていたことなのにも関わらず、何も知らなかった。

その状態で、目の前の砂浜に踏み出してはいけない気がした。



それでも、、、


せっかく釜石に来たんだ。知らなくてもその場所を全身で感じないといけない。そう思った。
知らんぷりする方が知らないよりも、もっと悪だ。

海に来て、1時間半ほどが経ったとき。
やっと階段を下りて、砂浜に足を踏み入れることができた。


怖かった。でも一歩一歩、少しずつ歩を進めた。


波打ち際まで、10mくらいの場所に来た時。
また大きな見えない壁があった。

そこから先は、本当に行けなかった。
怖すぎてすぐに階段の方へ戻った。走って戻った。
波の音が急に大きくなった気がした。
「これ以上は来るな」と海に言われているようだった。



この感覚は初めてだった。
この恐怖心も、雰囲気も、空気も。

それでもこの感覚を感じることができて良かった。


でも、怖がってちゃいけない。

ちゃんと見つめなければならない。

そして、震災を知らない人に伝えなければならない。

僕には、その使命がある。そう思った宮城県での旅だった。

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