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旅人として、あなたが残せる"ギフト"は何ですか?【レポート/髙井典子さん】

みなさん、こんにちは!TABIPPOライターの西嶋です。

今回は自分と世界の豊かさをつくるニューノーマルトラベラーが育つ学校「POOLO」で行われた講義の様子をレポートします。

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さて今回は、4月9日にオンラインで行われた講義 「国際観光学から紐解くこれからの旅の価値」の様子をレポートします。登壇者は、神奈川大学 国際日本学部 教授の髙井典子さんです。

講師:髙井典子さん

観光研究者。 1987年同志社大学法学部卒業後、三井物産株式会社勤務、部門横断的な新規事業開発部署で川下ビジネスを担当後、1993年渡英、大学院で国際観光を学ぶ。University of Surrey, MSc(修士)、University of Reading, Ph.D.(博士)。観光庁若者のアウトバウンド活性化に関する検討会委員、東京都観光事業審議会委員、日本観光研究学会理事等を歴任。主な著書に『訪日観光の教科書』(共著、創成社、2014年、観光学術学会・教育啓蒙著作賞)、『「若者の海外旅行離れ」を読み解く-観光行動論からのアプローチ』(共著、法律文化社、2014年、同・著作賞を受賞)など。2017年からNHKの長寿番組「cool japan 発掘!かっこいいニッポン」ご意見番をつとめる。
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旅や観光を語る上での「3つの戸惑い」

これまで私は、観光研究者として「私たちが海外に行くことも、海外から来てもらうことも、いろんな問題はあるけれども、基本的にはいいことだよね」というメッセージを発信しつづけてきました。

ところが、新型コロナウイルスの感染拡大やロシアのウクライナ侵攻を経て、イノセントに旅や観光を語ることがこれまで以上に難しくなったと感じ、戸惑いを抱いています。

今日は、私がいま抱いている3つの戸惑いについて、みなさんにお話ししましょう。

戸惑い①旅人バッシング

1つ目の戸惑いは「旅人バッシング」です。コロナ禍においては、旅に限らず、“密”になることが非難されるようになりました。

実は、日本国民が自由に国外に出られるようになったのは、1964年に海外渡航が自由化されて以降のこと。いろいろな壁を乗り越えて、自由に移動できる権利を獲得した歴史があるのです。もちろん、これは日本に限ったことではありません。

それなのにコロナ禍で「旅=不要不急のもの」と言われ、制限されるようになってしまった。そのことに対して、「そうだよね、いま旅する必要はないよね」と感じつつも、モヤモヤが残っていました。

戸惑い②旅の特権性

2つ目の戸惑いは「旅の特権性」。私自身、コロナ期に入ってから何度か国内旅行をしました。それらの旅を通して「この時期に旅ができることは、実はすごく特権的なことなんだ」と気づかされたのです。

基礎疾患を持っている人や医療従事者、高齢者など、旅に出たくても出られない人がいる。「旅に出られる人」と「出られない人」の間に、大きな移動の自由の差があったのだと感じました。

これまで私は、若者の海外旅行離れについて語るとき、「旅にかかる費用は驚くほど安いのだから、どんどん旅に出よう!」というメッセージを送ってきました。

でも本当は、海外旅行はすごく特権的な行為なのかもしれない。私には何も見えていなかったのではないだろうか、と戸惑っています。

戸惑い③無力感

3つ目の戸惑いは「無力感」です。

これまで「旅することによって人は他者の世界を知る。他者に共感できる人が増えれば、世界はなにがしか良い方向に変わっていく」と信じてきました。ところがロシアのウクライナ侵攻によって、「旅によって世界は本当によくなるのだろうか?」という無力感を抱くようになったのです。

【旅人バッシング】近代的人間像/自己責任論から脱近代的/中動態的な人間像への変化

ここからは、3つの戸惑いについて考えたことをお話ししましょう。

まずは「旅人バッシング」について。旅人バッシングが起きた背景には「こんな状況で、普通は旅行なんてできないはず。旅行に行く人は悪い人だ」という正義があります。

この正義は近代的な人間像から来ているのだと思います。近代以前、私たち人間は、教会をはじめとする宗教的権威や地域共同体に埋め込まれていて、その倫理に支配されていました。

ところが産業革命以降の近代化の過程で、人びとは「個人」に目覚め、「私たちは自分の意思で、自分にとって最適なものを選んでいいんだ」と気づきます。だから「こんな状況で、普通は旅行なんてできないはず」と言われると、自分の選択を責められているように感じ、何も言い返せなくなってしまうのです。
(この議論については、石野隆美さんの論考を参考にしています。関心のある人は是非読んでみてください。石野隆美(2021)「選択にいたる過程-あるいは〈ともにある観光者〉への想像力について」遠藤英樹編『アフターコロナの観光学-COVID‐19以降の「新しい観光様式」』新曜社   pp.89-101.)

でも、コロナ禍に旅をした人の中には、自宅が安全ではなく、外に出ざるを得ない人や、旅行によってなんとか心の安寧を保っていた人もいたでしょう。私たちは必ずしも、常に合理的で、自由な選択ができるわけではないのです。

さらに私たちは、常に自分の意思決定に自信を持っているわけではありません。哲学者の國分功一郎さんの言葉を借りると、「能動」と「受動」の間にある「中動態的」な状態で旅に出ているかもしれない。あなたも、「なんとなく広告に惹かれて」「友人に誘われて」というふうに、能動的でも受動的でもなく、導かれるように旅に出ることがあるのではないでしょうか。

【旅の特権性】旅を支えてくれる人びとに“ギフト”を残すということ

次に「旅の特権性」について。

私たちの旅には、それを支えてくれる人びとがいます。エッセンシャルワーカーや観光業界で働く人たち、自宅で留守を守ってくれている人……。つまり、誰かが旅をするということは、誰かが動かずにいてくれているということなのです。

みなさんの旅は、誰かからの贈与を受けて成り立っています。みなさんは旅人として、旅を支えてくれる人びとにどんなギフトを残せるでしょうか。

【無力感】二層構造の世界において、人と人が向き合う場をあきらめないこと

最後に「無力感」について。

哲学者の東浩紀さんによると、現在の世界は「グローバリズム」と「ナショナリズム」の二層構造で成り立っています。つまり、お金や情報、人の動きには国境がないのに、政治は国境を越えていけないという二層構造です。

日本と韓国の例を挙げましょう。ナショナリズムの層においては、日本と韓国は和解していません。一方、お互いの文化を愛する人は多くいますし、コロナ前まで、国民は相互に行き来していました。国際政治以外の回路では、人びとは十分につながっていたのです。

「旅によって世界は本当によくなるのだろうか?」という無力感はありますが、旅を通して人と人が向き合うことを、簡単に諦めてはいけないと思います。

髙井さん、ありがとうございました!
「旅人として残せるギフトは何か」という問いは、多くの旅人にとって、これからの旅のテーマになるのではないでしょうか。この記事で取り上げた以外にも、「マイノリティになる経験」「旅人も旅先の人も満足できる旅のかたちとは?」「目の前に見えているものに隠されているものを見る」などなど、興味深いお話がたくさんありました。


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