note100: 東京(2012.1.10)
【連載小説 100/100】
20:00に成田に到着した。
出迎えてくれたれたのはPASSPOT社の社長をはじめとする幹部3人。
そう、ちょうど1年前に初めて会い、僕を今回の「SUGO6」という世界一周旅行へ誘ってくれた面々である。
空港内のレストランで軽く食事をしながら打ち合わせをした後、都内に車で移動し、明日改めて行うビジネスミーティングの時間を確認して先ほどホテルにチェックインした。
長期の旅から日本に戻るなりの会議は慌ただしいと思われるかもしれないが、今回の旅は個人的な旅行ではなくトラベルライターとして受けた仕事であるから、報告を兼ねた機会を持つのは当然の流れなのである。
PASSPOT社サイドは「しばらく休まれてからでいいですよ」と気を使ってくれたのだが、僕の方から旅の余韻が残るうちに是非やろうと提案して、明日の午後に「SUGO6」のマーケティング会議が開かれることになった。
さて、10ヶ月に及ぶ長旅が終了したにしては、どうもその実感が湧いてこないのだが、この感覚を予想して僕は面白いテキストを残している。
ちょうど旅の行程の半ばあたりに訪問したスペインのマドリッドで[note52]に以下のような内容を記していた。
今回の「SUGO6」の旅は違う。
訪問する国や都市の数や滞在期間が圧倒的に多いだけではなく、そこに「日本に戻る」という“帰路”が存在しないのだ。
「旅する先に日本がある」という不思議な感覚を僕は旅人として初めて味わっている。
おそらく日本に到着した時にこの実感はさらに強いものとなるのだろう。
(2011.8.17)
つまり、どこかの国を訪れて戻ってくるこれまでの旅と、西へ西へと旅した結果、そこに再び日本が見えてくる旅との間には本質的な部分で大きな違いがあることに気付いていたのだ。
ところで、5ヶ月近くも前になる記述をここに引用したのには訳がある。
ちょうど100回目となるこの最終レポートをどう締めくくろうかと考えて、ケアンズからの機内でこれまでアップしてきた99回の記事を再読し、ポイントとなる部分を抜き出したのである。
あまりにも中身が濃く充実した旅であったがゆえに、それを総括するのは難しい。
そこで「世界一周」の意義と価値にふれた部分を時系列に列記して長期にわたる紀行記のエピローグがわりにしようというわけだ。
まずはフィリピンのマニラで独立の英雄ホセ・リサールの軌跡を追って歩いた際のレポート。
旅してひとりの人物を“間口”に観察を続ければ、“奥行き”としての国家と世界が見えてくる。
この同じ空の下、同じ風に吹かれて過去の英雄は何を思い、何を目指したのだろう?
彼らが“今”の時代を見たら何に感動し、何を憂えるのだろう?
・・・中略・・・
水平線や地平線の向こう側が見えないのと同様、僕たちに予測可能な未来などしれている。
日々旅を重ねることで、少しずつ未来をたぐり寄せていくしかないのだろう。
いや、それこそが“旅”であり“人生”なのだ。
【note7:マニラ(2011.3.28)】
ボルネオのジャングルに20日間滞在した際には、旅と小説を対比させてこんなことを記した。
「SUGO6」という世界一周の旅を長編小説ととらえた上で、作者の視点に立ってその魅力を“構造的”に考えてみる。
つまり、旅の路上を歩く主人公を、空から客観的な他者の視点で見守る感じだ。
一歩一歩前進する主人公が見ているのは物語の断片としてのコンテンツ。
それに対して全体を俯瞰できる作者が見るのは物語を貫くコンテキスト(文脈)。
このコンテキストがしっかり見えていると人は道に迷うことはない。
旅の文脈とはすなわち背景の「舞台」であり「環境」であり、複雑な物語の生態系のようなものである。
その有機的な関係性を理解してさえいれば深い森に置かれても恐れるものなくサバイバルできる…
【note8 :コタキナバル(2011.4.1)】
小説といえば、その後に訪れたカンボジアではフランス人作家アンドレ・マルローの名作『王道』を追体験する川の旅に出かけ、こんなことを記している。
彼は神に近づこうとしたのか?
神を越えようとしたのか?
その答えは物語の中にも、インドシナの険しい道の上にも見つけることはできなかった。
ただ、いにしえの王国の道を1世紀近く前に旅した作家と彼が残した物語とオーバーラップさせながら進む複層的な旅そのものが大きなヒントだったような気がする。
スタートとなる問い掛けがいかなるものであっても、答えを得るために人はゴールを目指して一歩一歩進まなければならないわけで、これはまさに人生そのものだ。
そしてその道は無数に存在するようでいて、案外どれも似通ったものに違いないのだ。
【note26 :シェムリアップ(2011.5.23)】
自ら希望して訪れたミャンマーでは予想以上の感動に出会い、少しの興奮と共にこんな思いを残した。
ヤンゴンに暮らす人々の敬虔なる信仰心。
インレー湖で見た人と自然の共生リズム。
ヤンゴンで知ったビルマと日本の絆。
バガンで味わった地球スケールの時空間。
と、訪れた各地で得た感動をトラベルライターとして言葉に残すのはたやすい。
が、メディアにおどるキャッチフレーズなどは所詮限られたワードで組み立てられる工作物のようなものだから、僕でなくても器用なライターならこの国を訪れることなくヴァーチャルな旅人としてこの程度の表現をするだろう。
重要なのは、その表現に至るリアルな背景の部分。
知的体験は他者からの情報が補完してくれるが“その場に立った”肉体的体験や、“そこで心が動いた”精神的体験は旅人にのみ可能な要素である。
人の営みのヴァーチャル化が加速度的に進む現代、“旅”はリアルな感覚と感触で世界と対峙する“最後の砦”なのかもしれない。
【note36:ヤンゴン(2011.6.20)】
旅を続けるにつれて、僕の思索は「文明」と「自然」の関係にせまる哲学的なものになった。
アフリカの大自然を前にしたテキストはこうだ。
マサイマラはアフリカ内でも最も多くの野生動物を見ることができるそうで、ライオン、ゾウ、サイ、ヒョウ、キリン、シマウマ、インパラ、ヌー、ジャッカル等々、動物図鑑がライブに再現されるかのごとき世界を存分に楽しんだ。
中でも夕焼けを背にキリンやシマウマが悠然と歩く光景は素晴らしかった。
生涯忘れ得ぬシーンとして魂のレベルで焼き付けられたといってもいい。
と、記してキーボドを打つ作業を止めてレポートのロジックがおかしいことに気付く。
考えてみれば「動物図鑑がライブに再現される」のではない。
動物図鑑の方がリアルな自然界をヴァーチャルに再現したものであり、50年近くにわたってフィクションの自然界を見て生きてきた僕がはじめて本物に遭遇したということなのだ。
【note46:ナイロビ(2011.7.29)】
そして、ヨーロッパ大陸へ移動して訪れた美しい町ヘルシンキではこんな思いを記している。
国家が“木々”であるなら国際社会は“森”である。
もちろん木々にはそれぞれの魅力があって、登ったり、もたれたり、ぶらさがったりして個々楽しむことができるように、訪ねる国々の歴史や文化をひとつずつ味わうこと自体は有意義な活動である。
が、一方で無数の木で成り立つ森が生態系という総体バランスで保たれているように、国際社会は各国の複雑な力学バランスの中にも全体が崩れる事なく存続していかなければならないから森を知らずして木を語ることはできない。
・・・中略・・・
そういった視座に立てば、「世界一周」の旅は文明も自然も含めた地球という生態系をまさに総体や体系として見るまたとない機会だ。
【note59:ヘルシンキ(2011.9.8)】
僕の「文明観察」は「9.11」から10年を経たニューヨークの滞在でより深まっていく。
近代化や文明化には“光と影”がつきまとうと言うが、高層ビルはそれを象徴するかのように、僕たちの世界に“明”と“暗”を提示する。
10年前にこの地にそびえ立っていた2棟のビルは、アメリカの発展を具現化する目映い“光”から瞬時にして全人類を闇に導く“影”に転じた。
残念ながらニューヨークに“世界の未来”を探した僕も“答”を見つけることはでき
なかったが、マンハッタンの雑踏の中で漠然とこう感じている。
光と影を縫って進むのが人類文明であり、それは個々の人生や旅にも通じているのだと。
【note69:ニューヨーク(2011.9.30)】
そして、哲学的思索は南米を経て訪れたタヒチの地でゴーギャンの名作に結びつく。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
1897年に貧困と絶望の中でゴーギャンが完成させたあまりにも有名な代表作は彼が西洋文明に向けて発した精神的な遺言だと言われている。
・・・中略・・・
『私はどこから来たのか 私は何者か 私はどこへ行くのか』
ゴーギャンの遺作タイトルの「我々」をあえて「私」に置き換えてみよう。
【note91:パペーテ(2011.12.14)】
そう、長き旅を重ねて得たのは「目指す先に何かの答えを求めるのが旅なのではなく、答えを求め続けるのが旅である」という“輪廻”的結論。
と、自ら積み上げてきたレポートをダイジェスト化して「SUGO6」というプロジェクトに仕組まれた巧妙なギミック(仕掛け)に気付いた。
この“ゲーム”の最後に待っていたのは“ゴール”ではなく、あるのはただ“振り出しに戻る”という選択権なき指示だったのだ。
それもネガティブな“やり直し” ではなく、ポジティブな“再チャレンジ”。
初期状態に戻す“リセット”ではなく、夢と感動の“リサイクル”。
前回の[note99]で「次の世界一周は、どんな旅にしようか?」と夢想したが、既に僕の中では今、新たな旅がスタートしている。
Facebookにアップし続けたこのレポートにはここでひとまずピリオドを打つが、“旅を人生の住処とする”僕の日々は今日も明日も変わらず継続するのだ。
「旅を楽しむ人生」とは、即ち「人生という旅を楽しむ」ことである。
See you again!(またいつか何処かで)
※この作品はネット小説として2012年1月10日にアップされたものです
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