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056.訪れない観光

2003.3.11
【連載小説56/260】


オプショナルツアー(4)

旅自体がひとつの大きなストーリーだとすれば、オプショナルツアーはそこから分岐する一階層深い新たな物語。
どの道を選ぶかで旅の色は変わってくるし、そこでの体験がツーリストの当初目的を超えてその人生に大きな影響を及ぼしたりもする。

見方を変えれば、表層的な道筋を超えたオプショナルなくして、旅はパーソナルな体験として、その人の血肉にはなり得ないということだ。

SW、SE、NEを舞台とするオプショナルツアーを順番に紹介してきたが、NWのオプショナルは、そのコンセプトが少し違っている。
他ヴィレッジのツアーが実体験を提供するリアルなプログラムであるのに対して、テクノロジーがテーマのこの村ではヴァーチャルな観光体験を提供しているのだ。

人は限られたその人生の中で、幾つの旅とそこから派生するオプショナルを体験可能なのだろう?

21世紀の今、その可能性は映像技術やネットワーク上の膨大な情報の力を得てリアルからヴァーチャルへと大きく広がっている。
旅は既に、物理的な移動行為に束縛されず、知的探究心の広がりと共にある。
NWの密室?においてもだ。

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40フィートの大型ドームハウスがNWの内陸部に完成したのは1月の下旬。
ドームを構成する三角形パネル全てがソーラーパネルの密室空間は、未来研究所の直轄プロジェクトとして、VR技術の実験とプレゼンテーションが行われる施設だ。
(ドームハウスについて第38話に詳しく記した)

ここで再現される空想紀行シミュレーションは「VRツアー」と呼ばれ、基本的には実験が目的で一般に開放されていなかったが、モニター調査も兼ねてツーリストに限定体験してもらうプログラムがオプショナルツアーとして開始された。

VR(=ヴァーチャル・リアリティ)について、解説しておこう。

空想紀行の体験者は、専用のスーツ・グローブ・ブーツ・ヘッドマウントを着用し、コンピュータ世界へと入って行く。

ドームを構成する100枚強の三角形パネルは、外壁側が効率的に太陽光エネルギーを取り込むソーラーパネルであるのに対して、内壁側は体験者を全方向から包むスクリーンとなっている。
つまり、ひとたびドームに入って入り口が閉められ、ヘッドマウントのゴーグルを下ろすと体験者はどの方向を向いても、砂漠や氷河、古代都市、密林、海上、海底…、とプログラムされた仮想空間をライブに体験できる仕組みだ。

リアリティは視覚に留まらない。
そこに流れるサウンドは各地で収録されたリアルな音源によるものだから、聴覚体験も本格的なものであり、ドーム内に吹く風や匂いまでがコンピュータ管理され触覚、嗅覚体験も実際の現場レベルで体験可能だ。

加えて、スーツに配置されるセンサーは、着る者に照りつける灼熱の太陽光線から極北の激寒までの温度差を体感させるばかりか、水中浮遊や宇宙の無重力感覚まで提供可能であり、特殊なシリコン・グリースをグローブに塗ることで、触れる物体の繊細な感覚までが指先で楽しめる。

そう、VR技術による体験とは、精巧な人工コンテンツの受動体験ではなく、仮想現実に包まれて行う能動体験なのである。

現在は、島を取り巻く珊瑚礁のダイビング体験と、シーカヤックによる沿岸散策がデモ体験できるが、今後は様々なプロジェクトとの連携の中、大衆がリアルに体験困難な旅をパッケージ化していく予定である。

一例を挙げると、伝統的建造物だ。

世界文化遺産や各国における国宝級の建造物の中には、老朽化などにより立ち入っての見学がその限界期を迎えているものが決して少なくはない。

今は肉眼で見ることのできる建造物内空間が、やがては一般公開不可能となる場合があるから、それまでに仮想見学VRコンテンツを残す意義は大いにある。
単なる映像記録だけでなく、柱や床に触れる感触、そこに射しこむ光、吹く風までをリアルな記憶として後世に残すのだ。

VRツアーが実現する「訪れない観光」とは、ある意味で21世紀発のタイムカプセル計画なのかもしれない。

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2月下旬にコミッティが行った太平洋島嶼国家の連携呼びかけに対して、既に幾つかのオファーが来ているが、その中でVRツアーの取り組みに相応しい企画がある。

FSM(ミクロネシア連邦)を構成するポンペイから依頼された「ナン・マドール遺跡」の考古学研究におけるデジタル素材制作への協力がそれだ。

「天と地の間の場所」を意味するこの地は、膨大な巨石が規則的に積み重ねられた1000年以上前に端を発する遺跡で、数々の謎と伝説に包まれた太平洋上の歴史的遺産である。

各種の科学的調査を通じて全貌が明らかになりつつある空間をデジタル映像として再現し、そこに島に伝わる数々の伝承を再整理して加えることで、古の巨石文明と伝説的王朝への空想旅行が可能となるはずだ。
トランスアイランドには、この分野では世界的な評価を得ている文化人類学者の海野航氏がいるから、即にでもスタート可能な案件なのである。

人は決して過去へと旅することはできない。
が、空想の中に過去を探り未来にそれを伝えるVRの旅、すなわち「訪れない観光」は、浪漫とテクノロジーの融合のもとに可能なのだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

この回で記したVRに関して、この20年でどれほど「進化」というか「実用化」しただろ…

サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)が高度に融合させた「Society 5.0」はそれまでの情報社会から劇的な変容をもたらすはずだったのに、現在のバズワードが「メタバース」や「DX」となると、足踏みだったような気がします。

一方で、当時は世に出ていなかったといってもよい「空飛ぶクルマ」が2025年開催万博の主軸的話題となっている現実。
そしてこのモビリティとVRは親和性があるのでは?と実感しています。
20年後、空飛ぶクルマからゴーグルをかけて自然や街並みを見下ろすと、神話やSF映画の世界を手に入れることはできそうです。
僕の見立てがトランスフォーム(変容)したとすれば、「訪れない観光」ではなく、違ったスタイルで「訪れる観光」が視野に入ってきたということになります。
/江藤誠晃


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