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103.渡り鳥が選ぶ島

2004.2.3
【連載小説103/260】

島々のことを最もよく知るのは誰だろう?

今日の編集会議で話題になったそんな疑問に対して

「渡り鳥じゃないかな」

と僕は答えた。

学者や作家の名前が挙がる中、一同の笑いを集めた発言ではあったが、それには訳があった。
一昨日、5ヶ月ぶりに降り立った成田空港で大型旅客機の尾翼に止まる一羽の渡り鳥を見たのである。

季節と外見からしてカモメの類だったと思う。

東京湾の浅瀬には野鳥観察エリアもあるから、渡り鳥がいるのも不思議ではないのだが、共に翼を休める人工の巨体と小さな生命の対比が印象に残る光景だった。

あの渡り鳥は、次々と舞い降りる機体を追ってやってきたのだろうか?
それとも、そもそもそこに止まって楽をして日本上陸を果たしたのか?

何れにしても彼が長旅途上の優雅な一服の時を過ごしていたことは確かだ。

全ての島を知るという訳にはいかないだろうが、定期的に一定ルートの旅を繰り返す渡り鳥たちは途上に位置する島々に関してはかなりのスペシャリストだ。

もしも彼らとの交信が叶うなら、方々への渡りルート上にあるお薦めの島を訊ね回るだろう。
過酷な旅の中継地は、何処も食を満たし、ぐっすり眠れる安息の場、つまりは楽園に違いないからだ。

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前々回に記したネイチャー雑誌の編集会議に参加するために東京へやってきた。

4月スタートの隔月6回連載企画。

小さな島から文明国家日本を観察する特集「大きくなり過ぎた島国」の取材候補地を厳選するための編集会議だ。

僕の発案による連載タイトルの意図は、周囲を海に囲まれ独自の文化を築いてきた日本が、その島国的特性を忘れて「大陸化」してはいないか?という思いからであった。

日本における辺境の島々を訪ね、そこに残る日本的なるものに触れることで総体としての国家的閉塞感の打破の糸口と未来の可能性を見出そう、もしくはそのヒントを掴もうというのが狙いだ。

会議は本企画の仕掛け人である編集者、香山波瑠子によって進められたが、冒頭に彼女から一冊の書籍が紹介された。

『SHIMADAS』というのがその書籍。

財団法人日本離島センターが離島振興を目的に発刊しているガイドブックなのだが、これが非常に優れたデータベースなのである。

まず何よりも驚いたのが、その掲載島数。
人工島や無人島などが省かれた上で紹介される島がなんと850にのぼる。

それらに対して詳細地図はもちろんのこと、地理学的情報から各種施設、文化、参考文献等が細かくまとめられているのだ。

香山波瑠子が編集会議に先立って『SHIMADAS』から絞り込んだ、興味深い要素を持つ50の島をベースに意見交換を重ねながら最終候補地を選ぶという作業が長時間にわたって行われたのだが、それ自体が渡り鳥気分のヴァーチャルな日本紀行のごときで楽しかった。

丸1日をかけて6つの島が選定されたのだが、それらを紹介することは控えておこう。
取材模様はこの手記上でもライヴに報告していくことになるだろうから、乞うご期待ということで、ここでは、僕の側から提示した島選びの3つの条件を披露しておく。

1.島面積、50平方km以内。

2.島民数、1000名以内。

3.ツーリストによるアクセスが可能な観光地であること。

そう、これらの条件はトランスアイランドにも当てはまるものだ。

つまりは、この企画を通じて日本という島国を再見するだけでなく、島々との比較の中に「我が島」も見つめ直してみようというのが僕の狙いなのだ。

もちろん、訪ねる島は全て僕にとって初めての場所。
初回号は4月下旬発行だから、3月上旬の取材行になる。

新たな「渡り」に心ときめかせて、明日、一旦日本を離れることにする。

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「貴方の生き方も、ある意味では渡り鳥のようなものよね…」

会議後に共にした夕食の雑談の中で香山波瑠子がそう語った。

確かに、旅する作家としての僕のライフスタイルは冒険者的でも放浪者的でもなく渡り鳥的だ。

ここ10年ほどの軌跡を振り返ってみれば、ひとところに留まることもなく、かといって常に未知なる場所を求める訳でもなく、概ね一定のルートを巡回しながら旅を生活の場に創作を重ねてきた。

さらに、そんな生活を重ねた成果として、僕の思考とそれを支える視点がかなり「渡り鳥的」なものに変わった、と彼女は評する。

久々のコンビを組むに際して行われた今日の会議内の諸発言と、そこに至るメールのやりとりの中にそれを強く感じたという。

で、何が「渡り鳥的」なのかと問えば、「中空の視点」と「発想の身軽さ」との答が返ってきた。

詳しい説明を求めた僕に対して彼女が加えてくれた解説によると、前者は人類や社会をどこか客観的に観察しながらも浮き世離れまではしない適度な距離感覚であり、後者は未来に対するある種の楽観主義に基づく行動性ということだった。

どうやら日本を離れて久しい僕は、見方によっては他者の目に成田で見た一羽の渡り鳥のごとく映るらしい。

だとすれば、真名哲也はいかなる渡り鳥か?

間違いなく、大海を孤高に越える強靭な翼の持ち主ではなく、大型機の尾翼に捕まって旅するちゃっかり者の類であろう。

なぜなら、今回の連載企画のような大きな翼に便乗することで未知なる島へ降り立ち、新たな果実でその腹を満たしてやろうなどと考えているのだから…

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

渡り鳥的な生き方があるとしたら、僕の人生はまさにそれで、日本と南洋の島々を定期的に往来しながら仕事を重ねてこの20年を生きてきたような気がします。

「中空の視点」と「発想の身軽さ」。

と記した2ポイントも面白く、続く「前者は人類や社会をどこか客観的に観察しながらも浮き世離れまではしない適度な距離感覚であり、後者は未来に対するある種の楽観主義に基づく行動性…」という分析もなかなかです。

20年を経て、世の中は何も変わっていないようでいて、僕が今、取り組んでいる仕事のひとつが当時は想像さえしていなかった「空飛ぶクルマ」関連事業というのも面白い縁です。

浮き世離れのポジションで生きてきたが故に出会ったビジネスドメイン…

2030年代を指して「浮遊層の時代」などと語る僕は相変わらず渡り鳥的生き方を貫いているような気がします。
/江藤誠晃

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