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note89: パペーテ(2011.12.6)

【連載小説 89/100】

ゴーギャンの“壮絶な人生”を追う旅を提案しているのだから、まずはその生涯を紹介しておこう。

タヒチを舞台とする名作絵画で有名なポール・ゴーギャンだが、1848年にパリで生まれた彼の元の職業が株式仲買人、つまり証券会社に務めるサラリーマンだったことを知る人は少ないだろう。

デンマーク出身の妻と5人の子どもに恵まれたごく平凡なビジネスマンのゴーギャンは絵画を好み、展覧会に出品してはいたものの当時は趣味の領域の活動でしかなかった。

そんな彼が画業に専念するのは1883年。
株式の大暴落を体験し相場に左右されるビジネスの世界に不安を覚えたのがきっかけだったようだが、画家の仕事で生活は成り立たず、西洋文明に絶望した彼は“楽園”を求めて1891年にタヒチに渡る。

ところが、夢見た新天地のパペーテさえも既に西洋文明に浸食され、植民地に形成された上流フランス人社会に嫌悪感を抱いた彼は郊外のプナアウイアやマタイエアという素朴な村に住んだ。
※ゴーギャンの作品(レプリカ)と生涯を紹介する「ゴーギャン博物館」はプナアウイアにある。
※マタイエアはゴーギャンが若き愛人と暮らした地。

精力的に創作を行うことができたタヒチ島ではあったが、貧困と病気に悩まされ続けた末に1893年にフランスに戻る。

叔父の遺産を受け継ぎ、パリにアトリエを構えて創作活動を続けたものの絵は売れず、家族も失った彼は西洋社会に居場所を失い、再び1895年にタヒチへ戻る。

晩年となる1901年からは、さらに奥地となるマルケサス諸島のヒバ・オア島に移り住み暮らし、ここでも貧困と病苦と闘い1903年に永眠。

かなり大雑把な略歴ではあるが、ゴーギャンの人生がいかに波瀾万丈にして壮絶なものだったかおわかりいただけるだろう。
その生涯は西洋文明に絶望し、“自由”を求めて目指した“楽園”にも馴染めず、もがき闘い続けた55年だったのである。

昨日、今日と上記のプナアウイアやマタイエアを訪ねてきたが、ゴーギャンの人生を追うスペシャルツアーということであれば、まずは洗練されたフレンチテイスト漂うパペーテの街で数日過ごした後、これらゆかりの地を訪ねるのがいいだろう。

そして、ツアー後半はゴーギャン終焉の地であるヒバ・オア島の訪問を想定しているのだが、実際に明日から現地へ飛ぶので次回にレポートしよう。

さて、ゴーギャンの軌跡といえば、やはりその作品群である。
世界中の名だたる美術館に所蔵され、特別展が開催されるや数多くの人々を集める彼の作品は、芸術分野はもちろんのこと観光分野においても極めて価値が高い。

今世紀に入ってからサザビーズのオークションで落札された彼の『Te Poipoi The Morning』や『Man with an Axe』は共に40億円を越えたという。

貧困と闘ったゴーギャンの作品がその死後1世紀を経て彼が嫌悪した西洋文明と相場の世界で巨万の富に化けたというのは皮肉でしかない。

そういえば最近ニューヨークでは格差反対のデモが繰り返されているが、先月サザビーズが開催したオークション会場をデモ隊が取り囲んだらしい。
おまけに、その会場で現代美術最高の売り上げが記録されたというから、これもまた皮肉である。

もしゴーギャンが現代に蘇ったなら、オークション会場で富を得て喜ぶのだろうか?
それともデモ隊に加わって格差社会を糾弾するのだろうか?

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年12月6日にアップされたものです

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