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note93: ロトルア(2011.12.20)

【連載小説 93/100】

1769年10月8日。
ジェームズ・クックは西洋人として初めてニュージーランドに上陸した。

場所はニュージーランド北島の北東部にあるギズボーン。

オークランドを基点とするスペシャルツアー最初の訪問地は、記念すべきクックの初上陸記地にするべきだと考え、一昨日クックの銅像が建つ現地を訪れてきた。

このギズボーンという街が観光で紹介されることは少ないが、先住民族のマオリ語の地名「Turanga-nui-a-Kiwa」はマオリ神話に登場する海の守護神キワの停泊地を意味し、彼らが最初にニュージーランドにカヌーで辿り着いたと伝わる場所である。

つまりは由緒ある“マオリ創世の地”ということになり、そこに西洋人初の上陸者ジェームズ・クックがやってきた、というのは運命的なストーリーである。

余談になるが、後に第3回の太平洋航海でハワイ諸島への西洋人初上陸者にもなるクックは、先住ハワイアンの神話に登場する豊穣の神ロノを祀る祭の最中に来航したため、神と間違えて崇拝されたという逸話も持つ。

さて、そんなクックの初上陸だが、初めて見る西洋人に警戒心をいだいたマオリとの間に争いが起こり、死者が出る残念な結果となった。

初上陸の湾はクックによって「ポヴァティ湾」と名付けられたが、ポヴァティは“不毛”を意味する。

また、その後の争いでクックがタヒチから連れてきた通訳の幼い子どもが誘拐されるとする事件が起こったが、そこには「キッドナパーズ(子さらい)岬」という名が付いた。

ジェームズ・クックの命名による地名はオセアニア各地に残っているが、その背後にある史実を調べると面白い。
冒険家の業績は地名の中にアーカイブされて後世に伝えられて行くのである。

ところで、クックがニュージーランドの“初上陸者”であると記したが、“初発見者”は彼ではない。

アベル・タスマン。
オーストラリアのタスマニア島にその名を残す17世紀のオランダ人探検家がニュージーランドを海上から発見したのはクックよりも1世紀以上前の1642年。

オランダ東インド会社からのミッションで、クックと同じく伝説の大陸「メガラニカ」を探していた彼は東回りの航海で南島の最北端にある湾に投錨し上陸を試みたが、マオリの攻撃に阻まれ上陸できないまま同地を去ったのである。

ちなみに、タスマンはこの湾を「マーダーズ(殺人者)湾」と名付けている。

もっとも、記録によるとタスマンは発見したニュージーランドを南米大陸の西海岸だと考えてそのまま北上して帰路についたため、南北2島の存在を確認することはなく、その間にある海峡も深い湾だと勘違いしてしまったらしい。

ニュージーランドの北島と南島を隔てるその海峡を確認したのはジェームズ・クックだった故に、その名が「クック海峡」なのである。

こんな風に冒険家と地名の関係史をたどって旅すれば、訪ねる先々の奥行きが明確に見えてくる。

ニュージーランド南島が誇る代表的な大自然の観光素材は?といえば「マウントクック」と「タスマン氷河」の名が出てくるわけである。

さて、ジェームズ・クックの軌跡を追う旅は、彼が出会った奥深い“マオリ”の世界へと入っていきたいと思う。

今はロトルアという街にいるが、明日から北島北端のノースランドを訪れ、その後に南島のクライストチャーチへ向かう予定だ。

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年12月20日にアップされたものです

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