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110.陸に浮かぶ島

2004.3.23
【連載小説110/260】

冒頭からクイズを出題しよう。

先週、僕は何処の島を訪ねていたのか?

ヒント1
その島は日本の真ん中に位置する。

ヒント2
その島の岸辺に立てば360度に対岸を確認することが可能。

???
誰もがおかしいと思うはずだ。

まずは、島は国土の周辺に点在するもので、日本の真ん中に島などあるはずがないという反論。

そして、いかに複雑な地勢的条件(入り組んだ海岸線の傍とか、島の密集地とか)に位置していても、何処かに水平線は存在するはずで、周囲全方向に対岸を確認するなどありえないという反論。

これらは常識的かつ一般的な「島論」であろう。

が、島は海に囲まれて成り立つという先入観をもってしては、その島を見つけることはできない。
なぜなら、僕が訪ねた島は琵琶湖上に浮かぶ島だったからだ。

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沖島

面積:1.53平方km
周囲:6.8km
標高:225m
人口:約500人

滋賀県は近江八幡市の沖合2kmに浮かぶこの島は、湖沼にある島の中で日本唯一の有人島。

12世紀中頃の保元・平治の乱に敗れた近江源氏の落ち武者7人が住み着いたのが島社会の始まりといわれ、今もその末裔が多く暮らしている。

この島を訪れたのは雑誌の取材が目的だった。

隔月発行の某ネイチャー雑誌上の連載編集企画名は「大きくなり過ぎた島国」。
厳選された日本の珍しい6島を訪ね、その小社会観察を通じて閉塞感溢れる現代日本の課題と未来を考える…
というのが概略。
(詳しくは第101話を)

トランスアイランドと日本の往復を繰り返しながら1年をかけて行う島々巡り。

その第1弾として編集会議上で僕がこの島を選んだ大きな理由に、ひとつのニュースがあった。

2002年10月。

対岸の近江八幡市と沖島を光ファイバーで結ぶ「沖島光通信ケーブル」が開通し、離島における最先端のITサービスがスタートした。

「情緒溢れる昔ながらの島風景とITテクノロジーの融合」

そう、トランスアイランドと同コンセプトの地域活性化策が遠く離れた日本の琵琶湖上で奇しくも同じ年に半年遅れで始まっていたことになる。

万国共通の離島課題ともいえるのが医療と教育問題だが、このブロードバンド化以降、病人は蓄積された医療データに基づく遠隔診療、高齢者はテレビ会議システムを利用した在宅ケア、児童たちはサテライト授業が可能となり、離島生活が大きく変化した。

これがひと昔前の離島活性化計画なら、まずは架橋の計画が持ち上がったであろう。

橋を架けるという土木事業と、その後に外地から持ち込まれる各種産業…
20世紀的な施策の根底には、島の独自性維持による再生ではなく、均一化の中に島を陸の一部にせんとするシナリオがあった。

これに対して、21世紀型のITネットワークが離島にもたらす効果は大きい。

開発による地域の自然破壊と景観激変は無きに等しく、ライフスタイルの都市化による文化破壊も抑制される。

その上で島民は地域格差なき情報やサービスを入手可能なのだ。

もちろん、沖島の未来は楽観の中にのみあるのではない。

過疎化や高齢化そのものは依然として解消されていないし、主産業である漁業も自然環境に左右される不安と共に成り立つ。

今後は手に入れたテクノロジーとネットワークを活用する独自シナリオを新たに創造しなければならないわけで、ここもトランスアイランド同様なのだ。

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沖島は希少な「陸に浮かぶ島」だ。

そして、その希少な存在価値ゆえに低成長循環型社会のヒントを見ることができる。

大陸=中心
島=周辺

という万民の既成価値観そのものが、いまや袋小路に追い詰められた文明社会の成長神話から派生する空間心理なのだろう。

文明は常に多数決の分岐を経て歴史を重ねてきたから、マイノリティ(少数派)としての島は社会の周辺部に存在感薄く取り残されるか侵略されるか、場合によっては淘汰されてきた。

そんな中、沖島が900年近くにわたって数百人の社会を淡々と維持してきた史実。

この極めて特異な事例の背景には、島でありながら辺境にあらず、日本の地勢的中心部に位置したこと(つまり陸上に浮かんでいたこと)が大きく関わっているのではないかと僕は推測している。

「近江を制する者は天下を制す」といわれ、湖上交通が重要な意味を持った戦国時代や、島で採掘される石材が大いに活用された文明開化時代など、沖島は小島ながらも一種のヴァリューをもってその存在価値を国家にアピールすることができた。

そう、外なる海に浮かぶのではなく内なる陸の湖に浮かぶことで、沖島は地理的にも心理的にも大衆から忘れ去られることなく歴史に存在し続けたのである。

言い方を変えるなら、沖島は常に見えざる心のケーブルで常にマジョリティ(多数派)と繋がっていたということだ。

だとすれば、大陸から遠く離れて海上に浮かぶ島は不利なのか?

そうではない。

20世紀文明は地理的距離感の縮小を実現させてくれたし、21世紀のネットワーク社会は技術と情報量によって心理的距離感をも縮めてくれている。

いかなる島も、方法次第で世界と心のケーブルで繋がること可能なのだ。

もう、僕の言いたいことはおわかりだろう。

『儚き島』はヴァーチャル空間におけるある種の心のケーブルなのだ。

そこに読者が存在する限り、「貴方」の掌の上の小さな端末の画面に浮かぶトランスアイランドという島もまた、小社会ながら淘汰されることなく淡々とその歴史を重ねていくのである。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

僕がマーケターとして最も深く関わった国内のデスティネーションは滋賀県です。
独立した1990年代前半から2014年まで、長きにわたってこの県の観光プロジェクトに関わりました。

観光地としては他県に比べて相対的に市場が小さかった滋賀県のマーケティングに関わるようになった僕が、まず行ったのが県内隅々を歩くことでした。

歴史的にも文化的にも、そして自然に関しても多様な魅力を持つエリアを深掘りする中で、僕は観光マーケターとしてのスキルを高めることができたので、振り返ってみると「第2のふるさと」のような場所でした。

そんな中で出会った「沖島」という不思議な「有人島」のことは殆ど忘れていましたが、県の公式サイトを見ると以下の記述が…

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近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。周囲約6.8㎞、面積約1.53k㎡で琵琶湖最大の島です。約250人の人が住んでいます。湖沼の島に人が住む例は世界的にも少なく、学術的にも注目されています。
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なんと20年前の僕の調査時から人口が半減しています。
やはり過疎化に抗うことは出来なかったと考えると残念な気持ちになりますが、2015年に「琵琶湖とその水辺景観- 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定されたことを知りました。

この先、誰もいない「遺産」にならぬよう、久しぶりに観光客として再訪しなければと切に思います。
/江藤誠晃

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