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085.外敵に対する免疫力

2003.9.30
【連載小説85/260】


1778年、キャプテンクックが初めてハワイ諸島に到達した時、ネイティブのハワイアン人口は30万人程度だったと推定される。

それから半世紀も経たない間に人口は半減し、最も減少した1872年の記録では僅か5.7万人にまで落ち込んだ。

原因は西洋人が持ち込んだ結核やコレラ、ハンセン病といった伝染病の数々。

外見は逞しいポリネシアンが病原菌の前に脆かったことを意外に思うヒトは多いだろうが、これは免疫を持たなかったことに因る。

外界との交流なき独立した孤島は、閉鎖的環境の中、独自の生態系を長きに渡って維持し、動植物に希少な固有種を持つ特徴がある。

が、一方で一度外部接触が行われると、その免疫不全性から築き上げてきた社会が一気に崩壊の危機に瀕してしまう。

これが花や鳥だけにとどまらず人類にも当てはまっていたということ。
そう、仮に当時レッドリストが存在したなら、ポリネシア民族が「絶滅危惧種」として載っていたほどの深刻事態だった。

冒頭からこんなことを記すのは、先週のコンピュータウィルス騒ぎを受けてのものだ。

医学の進歩が人類のリアルな肉体への外部攻撃を大幅に削減した一方、人類が生み出したテクノロジーの悪しき副産物としてのヴァーチャルな攻撃は間接的に我々の生活を脅かすようになった。

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多様化、高度化する各種コンピュータウィルスへの警戒は、常にこの島でも呼び掛けられていたが、島民の持つ「nesia2」にはウィルス駆除機能がバンドルされ、コミッティにより常にヴァージョンアップがなされるから、島における被害は少ないと思われていた。

実際、今回数件の報告があった被害も、観光客の持ち込んだPDAに潜んでいたウィルスが赤外線でシンクされてしまったこと、受けた島民の側のデヴァイスで駆除機能が外されていたことが原因と判明し、それ以外への伝染がないことも、島のサーバーが変わりなく順調であることも確認され、安全宣言が出されている。

しかし、今回のケースを経て改めて思うのは、ネットワーク上に潜む外敵としてのウィルスの予想外の恐ろしさである。

人間や動植物は検疫で入島を防げるが、コンピュータウィルスのような姿なき敵は手強い。ネットワーク上に関してはファイヤーウォールで追い返すことはできても、今回のようにツーリストの鞄の中に隠れて来られてはかなわない。

侵入を100%物理的に食い止めることはかなわず、白昼堂々と観光客にまぎれて入ってくるテロリストを迎え撃つしかないということになる。

それでも迎撃する優れた環境があり、最終的な被害がなかったことで軍配はこちらに上がったわけだが、一方でその数日間の心理的不安は、ある意味ウィルスの持つ別なる意図や目的なのではないかとも思う。

人心を翻弄し、一種のパニックを起こすことが彼らの狙いであるならば、充分に達成されていることになるわけだから…

実際のところ、ここ数日、自身のPCやPDAに何らかの障害が起きていないか不安を持った島民は多かったろうし、島内で交わされる会話も、もっぱらウィルス不安に関するものだった。

現に、コミッティのサーバー記録によると、ここ数日、島民のネットワークアクセスが激減したという。
病気の流行中に外出を控えて家に閉じ篭もるのと同様、ウィルス流行時はネットワークへのアクセスを避けるに限るという判断だ。

が、ここに怪我の功名のようなものも感じている。

ヴァーチャル環境でのコミュニケーションにリスクを感じた結果、島民は大いに外へ出てリアルなコミュニケーションをとった。

僕自身も久しぶりに他のヴィレッジを訪れ、様々な島民と会い、島全体をゆっくりと観察し、新たな発見を得ることができた。

ともすればメールで済ませてしまう用事を、自らの足で出かけて対面の中に済ませたり、本来なら家屋に留まって過ごす私的時間を他者との共有時間に置き換えたりしたことの効果は大きい。

ネットワーク社会における「独立」と「連立」の相関性を再確認できる機会になったのではないだろうか?

ウィルスの攻撃も一種の警鐘としては意味があったということだ。

楽観論を展開するならば、この島のような物理的に小さなコミュニティは、ヴァーチャルなネットワークがダウンしても、リアルなフェイスtoフェイスのコミュニケーションが可能だから、個人が空間的、情報的に「孤立」することはない。

相手がマジョリティを狙うことでその目的を達成する一種のサイバーテロであれば、攻撃甲斐のない相手である。

大海の中に独自性を維持しながら、外敵に対する免疫力はグローバルレベルでの最新鋭を準備し、敵に攻撃意欲を与えない…

19世紀に比して21世紀の南洋の民は幸福なのである。

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昨年の統計によると、世界中で1日に送信される電子メールの総数は310億で、2006年には600億を越えると予想されている。

世界人口が60億人として、ひとりあたり1日10通のメールをやりとりする時代だ。

文明化した人類の知的インフラとして、我々の寄って立つ大地の何倍もの広さを持つ電子空間が完成されてあり、我々は既にそこを外して生きることのできない段階に至っている。

そして、さらに驚くべきデータが、ウィルスの80%以上が電子メールを介して世界を駆け巡っているという事実。

高度ネットワーク社会とは、例えるなら、感染性の病気に冒された友人が、そうとは気付かず毎日のように入れ替わり訪ねてくる社会なのだ。

リスクから逃れること叶わないなら、リスクサイズを小さくしなければならない。

有事にヴァーチャル部分を捨てても、全てに手が届く適正サイズの島に逃げ込んでおく道も、ひとつの選択肢としてあるということだ。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

20年前のデータで世界中で1日に送信される電子メールの総数が310億だと記していますが、2020年の調査では2500億を超えているようです。

当時はまだスマートフォンが登場していなかったこともあり、当然の結果と受け取ることもできるでしょう。

が、この時の僕が20年後の世界を知ったとして愕然とするのは「コロナ禍」の登場でしょう。

「医学の進歩が人類のリアルな肉体への外部攻撃を大幅に削減した一方、人類が生み出したテクノロジーの悪しき副産物としてのヴァーチャルな攻撃は間接的に我々の生活を脅かすようになった」

と記していますが、世界レベルの感染流行で受けたリアルな攻撃はヴァーチャルの比ではなかったはず。
おまけに「巣篭もり」がネットワーク空間へのアクセス機会を膨大に拡大させたという皮肉もあります。

結局、人口爆発とテクノロジー進化のシナジーが桁違いの外敵を生み出したことを僕たちはどう捉えるべきなのか?
と、パソコンに向かって入力する今の自分に後ろめたさのような思いがあります。
過去と現在を見比べる中に楽観的な未来を模索したいのですが…
/江藤誠晃



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