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071.物語の予感

2003.6.24
【連載小説71/260】


先週半ば、竹富島は台風6号の通過に伴い激しい雨嵐にさらされた。
島に生きるということは大いなる自然の驚異の傍に位置することなのだという思いを実感し、その体験をある意味で楽しんだ。

自然の猛威は過去、幾度も島の暮らしを脅かし、多くのものを奪ったはずだから、楽しんだなどというのは不謹慎なのだろうが、僕は元来、嵐が来ると聞けば誰よりもその現場に近く位置し、自然の威力と自らの無力を痛感したい性分で、それが今回のような放浪の旅先での遭遇ならなおさらなのである。

そんな中、激しい雨音や遠雷の音と共に、心の底に染み付いたものがある。

「マタハリーヌ チンダラ カヌシャマヨ、マタハリーヌ チンダラ カヌシャマヨ…」

竹富発祥の有名な八重山民謡『安里屋ユンタ』の一節で、三線の伴奏にのって繰り返される呪文のごときフレーズだ。

人は自然の前に小さく非力だ。
故に謙虚さが生まれ、自然を敬い豊穣を願う祈りや祭りが生まれ、その先に数々の民謡が生まれた。

嵐の渦中の島で、地元に伝わる民謡の一節が僕の心を強く捉えたのもきっと偶然ではない。
多分、このフレーズの中には、見えざる竹富の言霊が宿っているのだ。

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戸外の緊張感とは正反対に、僕の島時間は至ってのんびりしたものだった。

毎日のように、奈津ちゃんや民宿のおばあ(ここでは愛情をこめてこう呼ぶ)にせがんで、島の歴史や暮らしの話と、三線の演奏や民謡を聞かせてもらった。
それ以外の時間は、雨なら読書三昧、晴れたら散歩。
夜は早く床につき、朝もゆっくり起きだす…、といった具合。

実は、竹富島内だけに留まっていた訳ではない。
定期的な買い出しに出る奈津ちゃんに付き合って石垣島へ戻り、書店で八重山関連の書籍を探したり、桟橋に近い図書館や博物館に足を伸ばしたりしてみた。
また、桟橋から近いところにはインターネットカフェもあるから、そこで情報収集活動も行っていたのである。

心の片隅にひとつの「?」が生まれる。
すると、その答を求めて、自ら意識しないうちに、あれこれ人に尋ねたり、書物をひもといたり、ネット検索を繰り返したりの取材活動を開始し、それに没頭してしまう。

これは作家の性なのだろうか?
のんびりした時間の中でも、気付けば心は別次元に飛んでいる。

「マタハーリヌ…」と繰り返されるフレーズの意味は何で、どんな歴史を重ねて今に至るのか?
この不思議な言葉(言語)はどこから来たのか?
そして、何故そのフレーズが僕の心をかくも捉えて離さないのか?

僕の中に生まれたそんな疑問符について、現段階で解明したことを以下まとめておこう。

『安里屋ユンタ』は安里屋クヤマという18世紀における当地実在の女性がモデルとなった古謡で、琉球王朝から来た役人に求婚された美女クヤマがそれを断り…といった物語がベースになっている。

現在広く歌われているバージョンは、1934年に作られたヤマト(日本)バージョンで「君は野中のいばらの花か…」という歌詞に古謡の物語はない。

ところが、歌の合いの手ともいえる「マタハーリヌ…」の部分だけは変わらず受け継がれている。
その意味を問えば、島の人々は皆「なんて可愛らしい絶世の美女よ」とこたえる。

時に労働歌であり、祭りや祝いの歌でもある民謡は、歴史の中でその歌詞を変えながら伝承される場合もあるから、幾つものバージョンがあるのは不思議ではないが、日常言語と語感の異なる合いの手部だけが変わらず歌い継がれたことは着目に値する。

さて、実はこの「マタハーリヌ…」に関して言語学的に興味深い発見をした。

「matahari」がマレー語で「太陽」を意味するところから検索を続ける中で、この合いの手に「太陽は神様を愛している」との異訳が可能であることを知ったのである。

現マレーシアである、かつてのマラッカ王国と琉球王国が15世紀半ばから通商を交わしている事実からして、『安里屋ユンタ』がいにしえのアジア交流の産物である可能性も否定できないということだ。

異国の思想的概念が交易の民を介して海を渡り、その響きのままに歌い継がれてきた…
僕がかくもこのフレーズに惹かれるのは、歴史の裏に潜むそんな可能性が所以なのかもしれない。
急ぐことはない、「知の探検」を継続していくことにしよう。
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小説家としての僕が生み出してきた作品の数々は、全てが旅の途上体験と、そこでの思索がベースになっているといっていい。
言い換えるなら、僕にとってのフィクションたる小説作品の全ては、方々へのリアルな旅の副産物なのだ。

何かの引力に導かれて旅に出る。
そこで人と出会い、歴史を学び、潜む文化に触れる…
そんな営みの中で、作家の中に自然発生的に芽生えるのが「物語の予感」だ。

外界から得るインスピレーションや、そこで感じるシンパシーを受け止めるだけに終わらせず、自らの言葉でそのエッセンスを「もうひとつ」の時空間に物語として再編する。
そうすることで、内なる世界と外なる世界とのバランスを図ろうとする。
小説を生み出す僕の背景にあるのは、そんな一種のライフワークなのだ。

先週末に梅雨が明け、八重山地方では夏がスタートした。
僕の中では、竹富島で得た「物語の予感」とその確認作業が進んでいる。
そう、まだ見ぬストーリーが既にどこかで始まっているのだ。

いつか真名哲也版『安里屋ユンタ』が、例えば小説として可能だろうか?

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

今から振り返ってみると、『儚き島』に取り組んだ5年の月日は僕の生活の中核がこの作品でした。

ひとつの仕事をこなしながら他の仕事に活かす知識と知恵を準備する…
そんな僕のスタイルもこの作品で磨き上げたような気がします。

これは作家の性なのだろうか?
のんびりした時間の中でも、気付けば心は別次元に飛んでいる。


そう記していますが、今でもそんな感じ?で生きている自分がいます。

そんな知的幽体離脱?のような瞬間に思い出す光景のひとつとして八重山諸島の日々があるのですが、そのBGMに三線の音色や『安里屋ユンタ』のメロディが今も無理なく再現されます。
/江藤誠晃



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