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note46: ナイロビ(2011.7.29)

【連載小説 46/100】

前回、世界都市ナイロビから「サバンナ」や「野生動物」でイメージされる世界が“アフリカ”の全てではないとレポートしたが、実際にマサイマラ国立保護区に5日間滞在してみると前言撤回したくなるほどその自然界のパワーに圧倒される。

観光地としてのマサイマラは洗練されていて、壮大なサバンナを展望できるホテルやロッジが点在し、レストランやプールも完備されたリゾート地である。

そこから毎日出かけたのがサファリドライブ。
日中は気温が高く肉食動物が木陰や林の中にひそんでしまい遭遇チャンスが少ないことから、比較的気温の低い朝夕にサファリが組まれている。

サファリツアーに使用されるミニバンは天井部がスライドしてオープンになる構造で、サバンナに吹く風を味わいながら双眼鏡で動物を探したりカメラで撮影したりするのだ。

マサイマラはアフリカ内でも最も多くの野生動物を見ることができるそうで、ライオン、ゾウ、サイ、ヒョウ、キリン、シマウマ、インパラ、ヌー、ジャッカル等々、動物図鑑がライブに再現されるかのごとき世界を存分に楽しんだ。

中でも夕焼けを背にキリンやシマウマが悠然と歩く光景は素晴らしかった。生涯忘れ得ぬシーンとして魂のレベルで焼き付けられたといってもいい。

と、記してキーボドを打つ作業を止めてレポートのロジックがおかしいことに気付く。
考えてみれば「動物図鑑がライブに再現される」のではない。動物図鑑の方がリアルな自然界をヴァーチャルに再現したものであり、50年近くにわたってフィクションの自然界を見て生きてきた僕がはじめて本物に遭遇したということなのだ。

そう考えると数日前に滞在したナイロビの都市景観が、いやこれまで生きてきた文明社会の側の世界が何やらおぼろげなものに思えてくる。

サバンナに悠然と生きる野生動物たちの日々は何万年も前から変わらずこの大地で繰り返され、この先も同様に続いていくだろうが、僕たち人類の側が築く文明にそれほどの不変継続性はない。

サバンナに立つバオバブの樹々に“永遠”を感じても、都市の摩天楼には“砂上の楼閣”を連想するのだ。

そういえば同様の感覚をこの旅で味わったことを思い出した。

「SUGO6」3番目の訪問地としてエコツーリズムの未来を考えるべく4月に20日間滞在したボルネオ島のジャングルだ。
「森の人」を意味するオランウータンと「都市(まち)の人」である僕らの関係を考える中で“野生に近き文明”の実感をレポートしたが、そこにもここマサイマラ同様に文明と自然を隔てる“バッファーゾーン(緩衝地帯)”が準備されているような気がした。
※ボルネオ滞在記はnote9からnote12まで

いや「緩衝地帯」は地政学用語で国家間の勢力圏が交差する場所を意味し紛争地域に直結するから適切な表現ではない。
むしろ聖なる領域と俗なる領域を分ける仏教用語である“結界”と表現するのがふさわしいだろう。

マサイマラのサバンナを見渡すリゾートホテルのバーも、動物たちを追って大地を走るサファリツアーのミニバンも“野生”という不可侵の領域と文明社会の間に広がる“結界”を最前線で観察するアトラクションなのだ。

人類史を超えた何万年レベルの世界観に触れると、現世など捨ててこの美しい夕焼けの中に溶け込んでしまいたいとの誘惑に駆られるが、僕の旅は南アフリカ共和国へと続く。

ナイロビを上回る「第2級世界都市+」であるヨハネスブルグは僕の目にどう映るだろう?

>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年7月29日にアップされたものです。

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