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033.コペルニクス的転換

真名哲也

2002.10.1
【連載小説33/260】


長旅から帰る。
しばらくはその余韻に浸りながら、何もせずにゆっくり過ごす。
それが僕流の正しい旅の締めくくり方だ。

3週間ぶりに戻ったノースイースト・ビーチで、昨日と今日、僕は本当に何もせずに、波の音をBGMにのんびりした時間を過ごしている。
そして、3週間分巡った季節を感じた。
秋に向かうノースショアの波が確実に高くなっているのだ。

そこにずっと留まると見えないものが、しばしその場を離れることで見えることがある。
マーシャルへの旅で、僕の中の何かが少し変わった。
こうして僕を包む海や空からは、そんな僕の緩やかな変化がどのように見えているのだろう…

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改めて21世紀とは、単なる100年単位の変遷ではなく、1000年レベルのパラダイムシフトの時代なのだと思う。
地球大のネットワークが夢ではなく現実のものとなり、世界中の国家とそこに属する人々は全て、繋がりの中にポジションを得た。
そして、そこで争いを続けるか、共生を求めるかの選択を歴史が人類に迫っているのだ。

では、そんな新世紀に作家とはどうあるべきか?
トランスアイランドへ移住した頃から、そんな自問自答を繰り返してきた。そしてマーシャルへの訪問を経て、僕の中におぼろげながらその答が見えてきたような気がしている。

「定点観測」
変化の中に不変の視点を持ち込むことで、全てを見極めようとする…
作家の守るべきポジションとは、極小の自己を不動の視線によって全体の中に相対化することなのではないだろうか?

いつの時代も、ある意味で作家はアウトサイダーだ。
積み重ねられた歴史を大いに尊重しながらも、既成価値に縛られることに本能的な拒絶反応を示し、進んでマイノリティ側に身を投じることで、マジョリティにメッセージを送り続ける…
全ての作家に共通するものではないことを充分理解しつつ、あえて僕はそれが作家的ポジションだと認識してきた。

21世紀、そんな作家が再考すべきはスピード感覚だ。
人類を取り巻く環境そのものは、太古から変わらぬ速度で動き続けているにもかかわらず、人類のみがその進化を加速度的に増して今を迎えている。

季節の巡りの中で収穫され、人の生命を潤わしてきた農作物を、バイオテクノロジーで操作し、乱獲による魚介類の減少を、養殖で数的に穴埋めする生産のマジック。
クリック一回で数十万人にメッセージが届けられ、異国における戦闘や悲惨な崩壊の映像をほぼリアルタイムで見ることのできる情報テクノロジー。
それら部分部分の進化が、相乗効果によって全体を制御不能な速度の中に追い込んではいないだろうか?
文明が遠き地平線を見据えて人類を牽引する力強き機関車であった時代はそれでもよかったのだろうが、霧が立ちこめ、先の見えない時代に猛進すれば、乗客の命は全て危険にさらされることになる。

作家に今求められるのは、時代をスピード調整するブレーキ機能なのだろう。
「言葉」という不変にして普遍なる文明の力を駆使し、冷静な観察者として世に何事かを訴え、価値付けてきたのが文学の歴史であり、その役割であった。
作家の操る「言葉」こそが、現代のアクセル系文明に対するブレーキのパワーを持つはずだ。

そこで懸念すべきは、アウトサイダーを演じてきた作家そのものが、大衆よりも時代遅れになってはいないかということ。
例えば、活字離れが叫ばれ、文学の低迷が囁かれる。
が、それは文学そのものの質的停滞ではなく、大衆とのスピード感覚のずれが引き起こす擦れ違いだ。
人はより身近にある情報を肥しに生きるもので、作家のメッセージが常に大衆の傍になければ、彼らの心は動かず、社会は変わらない。
つまり、作家は加速する時代感覚の中でアウトサイダーのポジションをキープするために、あえてスピードに敏感にならねばならないのだ。それも流されることなく…

かつて、作家は不動の観察者だった。
「知」の領域に留まって観察しさえしていれば、動く人々や社会が見え、同じリズムでそれが繰り返された。あたかも自身の周囲を天空が巡るかのごとく…
が、21世紀は違う。
作家は自ら確かな軸を持って動くことで、はじめて目まぐるしく動く人と社会に何事かを語りかけることが可能になる。
そう、天動説から地動説へのコペルニクス的ポジションの転換だ。

「作家よ動け!」
そんなメッセージが、「言葉」を扱う者に投げかけられているような気がするのだが…

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他者を「定点観測」するためには、まず自らの中に明確な思想が求められる。
ブレのない強固な軸なくして、地動説は成り立たない。

生まれた日本を離れ、豊かな自然に包まれる南海の島を転々としてきた僕の中に、不変のものとして宿る作家的思想とは何かを、僕は今、波と風の中で再確認している。

で、それは何かって?
あえて表明することはしないでおこう。
この島に暮らし、この手記にメッセージとして託して継続発信することで、受け取る人々に個々、感じてもらうべきものと考えているから。


------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

今はプロデューサー業ばかりでジャーナリストや作家的な仕事が少なくなりましたが、当時は精力的に世界を飛び回って、そこで得た知識と気付きを発信することが僕にとっての生業でした。

そんな自分に対する「君は何者か?」との自問自答に対してまとめた答は「観察者と報告者」というふたつのポジションでした。

世界を旅して充電し、文章としてオンライン公開することで放電する。
そんな呼吸のごときリズムで生きる…という感覚が5年間の連載で定着しました。

ミレニアムのシフトから20年強。
世の中が少しは呼吸しやすい時代に進化していることを期待して創作活動をしたものの、むしろ息苦しい時代になってしまった感があります。

それでも僕は「残り時間」が少なくなってしまった人生を、ポリシーともいえる「呼吸感」で過ごしていくしかないと考える今日この頃です。
/江藤誠晃

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