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014.生活密度
2002.5.21
【連載小説14/260】
水を引き入れたばかりの水田に5月の空の青さが映り、麦わら帽子を被った農夫が黙々と田植え機を操る。
長野県の農村に住む友人がメールに添付して送ってくれた写真を見ている。
遠い日本は今、とてもいい季節だ。
そして、多分、この写真の光景の中に吹いている風には、トランスアイランドに吹く風と同じ匂いがあるはずだ。
「狭い国土に多数のヒトがひしめきあって暮らす日本という国」
この例えはあまりにも無謀だ。
確かに都会は人口高密度空間だが、日本国土の大半を占める農村ののどかな空間は、この写真のように何百年も変わらない密度で時間を刻んでいる。
大きな自然に対して、小さなヒト。
そこで営まれる寡黙な作業と、そこに吹く穏やかな風…
こんな写真を見ると小さなホームシック感が生まれる。
そう、僕は日本人なのだ。
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1平方キロあたりの居住者数を示す人口密度はヒトと空間の関係性のバロメーターだ。
トランスアイランドは25平方キロに約200名だから、人口密度は8人。
「nesia」を立ち上げて調べると2001年推計で日本は336人。
では、適正値はどこにあるのだろう?
元来、ヒトは孤立して生きていけないものである。
家族や村社会を単位に、相互の信頼関係やそこから生まれる連帯感と安心感でヒトは基本的な生活基盤を確保できる。
つまり、ここがミニマム値。
対して、過密社会に至ると、複雑な人間関係が増殖的に生まれ、そこから生まれる確執、憎悪、犯罪…が生活そのものを脅かすことになる。
つまりは、どこかで適正値を超えたということだろう。
この島に暮らして興味深く思うのは、ネットワーク社会もしくはヴァーチャル空間の存在がこの適正値をよりミニマムの方へと引き下げてくれる可能性を持つということ。
「空間を共有しなくとも、ヒトとヒトはどこかでつながっている」という従来ならスローガンでしかなかった概念は、今や電子ネットワークによる情報と情操の共有という具体レベルで現実化している。
集中から分散へ…
ヴァーチャルなネットワークの基本概念は、リアルな人類の生活空間と密接にリンクしているのだ。
生活密度。
今度は、そんな造語を思い浮かべている。
人口密度がヒトと空間の関係性の指標なら、ヒトと時間との関係性の指標もあるはず。
与えられた時間を、個々がどのような思想と思考で何をもってこなしていくか?
そこに生活密度が現れてくる。
ネットワーク社会が、一方でパーソナルという概念をより鮮明に浮き彫りにする性格を持つ以上、ヒトは今まで以上に自らの内的密度を時間との関係の中に求めていかなければならない。
時間も空間も限りあるという当たり前の事実を身をもって体感できる島の暮らし。
この環境だからこそ、自らの生活密度を模索できるのかもしれない。
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たくさんを得ようと、もがけばもがくほど失ってしまうものがある。
「時間」がその最たる例だろう。
都会の暮らしを思い出すと、そこには常に時間を埋めるための「何か」を探し続けなければならないという脅迫感のようなものが存在していたように思う。
「何もしない」ということに対する罪悪感と言い換えてもいいだろう。
島の暮らしで感じるのはその正反対だ。
こなすべき「何か」が増えることに動物的な抵抗意識が生まれ、「ほとほど」の生活密度を自己調整できる。
時間を埋めるのではなく、流れる時間に自身を埋め込むという感覚を得れば、そこには失うものなどなにもないのだ。
既成概念とは、日本国土全体に対する一部の過密社会の存在程度のものなのではないか?
仮にそこを失っても、我々にはのどかな緑の空間が無尽蔵に残っているはずだ。
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
コロナ禍以降、既に2年3ヶ月も海外に出ていませんが、僕のトラベルマン?としての30年以上のキャリアの中で、これほど日本から離れない生活はなかったと思います。
世界を転々と旅してきたといっても、点々と「島」の時間を重ねてきたキャリアが今の自分を形成しています。
その意味では生活密度の悪化が起こったということになるのですが、この隔離化された日々の中でも穏やかに生きています。
その理由は…
1)リモートによるコミュニケーションで生活密度があがらない
2)国内において地方を訪れる仕事がかなり増えた
の2点にあります。
時間と空間のバランスを保ちながら生きるという僕のこだわりは、意外と変化に対応しながら変容しているようです。
/江藤誠晃
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