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078.大海を越える夢

2003.8.12
【連載小説78/260】


先週訪れた「なにわの海の時空館」が縁で、ロマン溢れるプロジェクトの存在を知った。
きっかけは館内に展示されていた一艘の葦船。

水質浄化や光合成による二酸化炭素吸収、水中小生物への産卵と生育環境提供…と、淡水系における有機的循環に大きな役割を担うのが葦である。
そして、これを大量に束ねて作る古代のままの船が葦船なのだが、これが単なる展示品ではなかった。

実は、子供たちに21世紀の地球人としての知恵を伝えることを目的に「カムナプロジェクト」なる組織が推進する葦船づくり教育プログラムの成果物だったのである。

さらに、このプロジェクトを追う中で、僕はその向こうに壮大な計画があることを知った。
なんと、外洋航海サイズの葦船を建造してアメリカ大陸までの横断航海を行い、さらには環太平洋一周、世界一周を目指そうというのである。

実は昨日、プロジェクトのスタッフに会えることになり、出版社との打ち合わせで東京に滞在していた僕は、急遽大阪へと戻ってきた。

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コンティキ号の冒険。

海を愛する人なら一度は聞いたことがあるのではないだろうか?
ポリネシア文化の起源が古代の南米ペルーにあるという説を立証するために、ノルウェーの学者トール・ヘイエルダール氏が1947年に行った筏による太平洋航海の冒険である。

現在では、各種の考古学的調査からこの説は否定され、ポリネシアへの人類分散の歴史は東南アジア大陸が起源であるというのが定説になっているが、南米とポリネシア間の海上に人的交流があった可能性を証明してみせたことにおいてコンティキ号の冒険は意義深いものだった。

では、現代における実証航海の意味を考えてみよう。
遠い昔、水平線の向こうが未知であった時代に、人類が生活周辺にある自然素材で作った素朴な船で風や海流に身を委ねて何千キロもの航海を行い、新しい土地を発見した…

こういった仮説そのものは、ひとまず後世の発見とテクノロジーによる解明で導かれる。
土器の発見や遺伝子研究が代表的なものであろう。
言語の類似性や神話・民話の研究によることもある。

が、この時点では古代の旅は、そのスタートとゴールしか見えていない。

A地点に暮らしたであろう民の血が、遠く離れたB地点で継続されるという文化人類学的系譜は、AとBを結ぶプロセスの実証を持ってはじめて完成するといっていい。
つまり、当時の人々の力でA地点からB地点への移動が可能であったか否かということだ。
そして、その道が陸路ではなく、「海の道」であることが実証上の大きな壁なのである。

古のスタイルのままで辿る冒険も陸の上なら容易い。
足を止めれば休むこともできるし、具合が悪ければ引き返しもできる。

が、海の場合そうはいかない。
寄って頼る足元そのものが休むことなく動くのだし、大海であれば一瞬の休息の地さえない。

つまり、どれだけ人類がテクノロジーを得て、A地点とB地点の存在やその間のプロセスを客観で理解できていたとしても、海上の実証航海は、太古と変わらぬ漂流や遭難のリスクをかかえて己の肉体と魂のみを頼りに、自然との闘いや語らいの中に行わなければならないのだ。

ここに冒険の意味と意義がある。
万能のごとく見えて完全ではない文明をサポートする役割が冒険という行為に残されて今も未来もあるということだ。

それを「カムナプロジェクト」に当てはめるならこういうことになる…

日本を含むアジア大陸から南北アメリカ大陸へと展開したモンゴロイドの軌跡は、ベーリング海峡が陸続きであった時代の陸上移動によるものとされてきた。

ところが、南米大陸で縄文土器らしきものが発掘されたり、アイヌ人に近いDNAを持つ部族が存在したりといった発見により、従来説に疑問符が与えられる。
時間をかけて行われる民族移動とその定着スピードからして、あまりに唐突に出没する日本人の痕跡に矛盾が生じるのだ。

ひょっとすると、前回紹介した伝兵衛のような漂流者が、もっと古い縄文時代に存在し、土器と共に漂着して、あちらの大陸でその後に続くモンゴロイド系図の一頂点となったのではないか?

いや、ある時代の日本人には、海路で太平洋を渡る北米大陸へのルートが存在し、それを支える航海術があったのではないか?

可能性はある。
ならば、どんな船によって?どの海流を選んで?どれ程の時間をかけて?どんな荷を載せて?

よし、それを冒険の中に試してみようではないか!と

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僕がこのプロジェクトに惹かれるのは、まず第一に、その壮大さである。
21世紀の現在においても、この地球上に「未知」は残されており、夢見る心さえあれば冒険は可能ということだ。

そして、もうひとつ、ある意味では冒険のロマン以上に心動かされる部分がある。
それは、この計画を底辺で支える一連のプログラムだ。

プロジェクトの活動は、前出の子供たちを対象とする葦船づくり教室はもちろん、葦の栽培農家募集からはじまって、自治体とのイベントや、インストラクター養成まで多岐に及んでいる。

夢見る者が陥りがちな足元に対する盲目さは、時に冒険そのものを危険にさらすものだが、このプロジェクトに関してはそこがバランスの中に保たれている。
つまり、最終的な目的としての「大海を越える夢」が、各地で重ねられる地道な努力や、もっと末端にある一本一本の葦を束ねる小さな作業の蓄積の先にあるという、強固なシナリオが準備されているということだ。
「カムナプロジェクト」の夢が叶うべく、僕なりの参加と協力ができればと考えている。

ところで、マーシャルのジョンの「talk with coral」プロジェクトは順調だろうか?
第61話に詳しい)

戸田隆二君は今頃どこの海に潜っているのだろう?

石垣島のWWFのスタッフや竹富島の奈津ちゃんは元気だろうか?
(それぞれ68~70話で紹介)

環太平洋に点在する海の民の夢の数々が、旅する僕の中で着実にネットワークされる実感を得て、旅を続けている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

僕がポリネシア文化に興味を持ち、先住民族や航海術を追いかけてハワイを中心とする南洋を探究し出したのが30年前。

その10年後にこんな展開で連載小説の仕事をすることになるとは想像していなかったので、まさに「人生は航海」です。

おまけに並行して携わっていた国内の観光開発・地域活性化策のクライアントであった大阪の仕事で「なにわの海の時空館」のプロモーションにかかわり、そこで「カムナプロジェクト」の冒険家・石川仁さんに出会いました。
■石川仁さんのサイトはこちら>>

彼が師事したスペイン人冒険家のキティン・ムニョス氏の著作に僕が影響を受けていたことで初対面で仲良くなった彼とは、今でも時々連絡を取り合う友人です。

残念ながら「なにわの海の時空間」は過去のものとして僕の「記憶の博物館」に収蔵されることになりましたが、そこで出会った仁さんとの繋がりは現役です。
/江藤誠晃



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