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松尾芭蕉の旅に成長のヒントを学ぶ

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり

- おくのほそ道|松尾芭蕉 -

これは「おくのほそ道」の序文です。時は永遠の旅人であり、月も日も過ぎゆく年もまた旅人である。人生を俳句と旅に捧げた松尾芭蕉ならではの素敵な表現ではないでしょうか。

表現を追い求めた旅

江戸時代中期以降は街道や宿場の整備が進み、「東海道中膝栗毛」に代表される徒歩で東海道を中心に全国を旅する物語が人気を博し、当時の旅の様子が伝わっていますが、芭蕉が活動していた江戸時代初期は、全国を旅してまわることはまだまだ盛んではなかったと言われています。そのような中、芭蕉は門下生と共に全国を旅して周り、いくつかの紀行文を執筆しています。

彼は自らが拓いた「俳句」の表現として季語の開発や自然描写の表現手法を追求するために全国各地を旅したと言われています。当時流行していた「俳諧」の始まりの部分である「発句」に着目し、発句を切り出して新たな表現として「俳句(俳諧の発句の略)」を作り出し、その制約、限られた文字数の中で表現する世界。庶民の楽しみとして広がっていた俳諧から「俳句」として芸術性を高め、表現の奥深さを追求した芭蕉。

旅を通してたどり着く境地

松尾芭蕉はおくのほそ道の旅を通して「不易流行」という独自の哲学を切り拓きました。これは、不易(不変)を求めることは流行(常に変わり続ける)を追い求め続ける必要がある。という一見矛盾するような真理を導き出しています。俳句という新しい表現を編み出した芭蕉は、俳句がいつまでも変わらず人々に愛され続けるために、常に新しい表現、季語の開発を続けていたということですね。変わらないために変わり続ける。

成長を促す旅とは

芭蕉のように境地に至る旅をする人は最近では少なくなったように感じますが、昔から「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があるように、旅は成長を促してくれるものとして認識されてきました。

旅には固定観念や先入観を否定してくれる出来事が待ち構えているのではないでしょうか。思っていた、想像していたよりも高い山。遠い距離。自然の雄大さ。天候や交通機関の乱れ。旅には時に色んな過酷な側面を孕んでいます。芭蕉が旅をしていた江戸時代初期は現代の旅よりももっと過酷であったと思います。

旅は以前は草枕と謂って、誠に「ういものつらいもの」であつた。それにも拘らず旅をする人は満足して居た。一生をそれに使ひ果して、後悔を知らぬ人も多かつた。どこにさういふ大きな魅力が潜むかを考へて見ることは、うちあけたところ一般観光業者の飯の種である。

豆の葉と太陽 -旅人の為に-|柳田国男

これは民俗学者の柳田国男が講演で述べた一節です。確かに、旅には言語化するのが難しい不思議な魅力があり、ツラさや寂しさを越えた先に、なんとも言えない居心地の良さやまた旅に出たくなる魅力が潜んでいるような気がします。

車窓をぼんやり眺めながら。乗り継ぎの電車を待つホームで。ちょっとした移動の中に、旅を通して体験した様々な出来事をリフレクション(内省化)していく。旅には新しい体験とリフレクションする体験の両方を兼ね備えているからこそ成長を促してくれるのかもしれません。これまでの価値観では推量れない出来事、感動に出会った時、それを受け止め、常に自身をアップデートしていく。旅にはそういったものを獲得する出会いや体験があり、それを受け止める時間がある。これが旅の魅力ではないでしょうか。芭蕉の紀行文を読みながらそんなことを考えさせられました。


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