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インドネシアの路線バスは命がけだ。

去年の夏、出来心でジャカルタに行ってきた。
猛暑の東京から来ると、赤道直下のジャカルタのほうが涼しかったのは衝撃だった。ジャカルタは海が近いから、潮風がとっても爽やかなのである。

ジャカルタの路線バスはスリル満点のアトラクションのようだった。

渋滞が通常運転のジャカルタは、道路状況に比して車の数が多すぎる。加えてバイクもひっきりなしだ。ジャカルタで一番時間に正確なのは「トランスジャカルタ」と呼ばれる路線バスだ。コタ駅(中央駅)から、あらゆる方面に路線が伸びている。
ジャカルタの市街地では、上りと下りの車線の間にトランスジャカルタ専用レーンがあり、停留所は中央分離帯にある。他の車両は原則入れないので渋滞知らず(割り込んでくる車はもちろんいるが、猛烈なクラクションで追い払っていた)。車両はボルボ製。停留所は地上から1mくらいの高さで統一されており、バスのドアも他の国のバスとは違って、地上1mの高さについている。

明確な規定があるわけではないが、車両の前半分に女性が集まって乗っていた。私も倣って前の方に乗ることにした。車両には運転手のほかに必ず車掌が1人乗っていて、乗り換えやチケット購入に対応している。しかし中にはアルバイト君もいるみたいで、たまに答えられないお兄ちゃんもいた。運転手と車掌は揃いのバティック柄のシャツを着ていて、日本も浴衣とかで運転士さんが勤務しても良いのではないか、今年やけに暑いし、なんて思った。

ちょっと郊外に出ると専用レーンがなくなる。民家と民家の間を縫うように走ったり、降りたい停留所をきれいにすっ飛ばされたりする。とってもワイルドである。
私はコタ駅行きのバスに乗っていた。郊外から市街地に向かうにつれて交通量が多くなり、また間の悪いことに、バスの前をノロノロ運転のセダンが走っていた。なんだか危なっかしいなぁ、と思っていたら、

ガチャン!!!

衝撃音とともにバスが急ブレーキをかける。立っていた私は盛大によろけ、手すりを必死で握り直してギリギリ転倒せずに済んだ。おしゃべりに興じていたヒジャブのご婦人方が「キャー」と悲鳴をあげる程度には大きな衝撃で、確認するまでもなく「あ、やったな」というのは明白だった。
ノロノロ運転のセダンに、バスが後ろから追突したのである。さっきから店か何かを探しているのか、頻繁にブレーキランプが点灯していたので、危ないなぁと思ってはいたのだが……
ヒジャブのご婦人方は席をたち、わらわらと前方に集まる。私もつられて路肩を見ると、バンパーが外れてハザードをつけている白いセダンが目に入った。
あーあ、どうするんだよ。私はコタ駅に早く戻らなければならない。その日の夕方のフライトでクアラルンプールに戻る予定なのだ。ただでさえ日曜日で渋滞がひどいのに、ここで足止めなんて勘弁してほしい。このあと事故処理でしばらく停車するんだろうし、あぁ飛行機間に合わなかったらどうしよう……

と、路肩に停車したセダンを見ていた車掌が、運転手に何やら合図した。ひらひら、と手を振って前進を促す。え、待って、まさか、と思ったら、バスは何事もなかったかのように発進したのである。

え?これ、まさか、当て逃げる気?

まさかであった。事故処理なんてしなかった。バスはそのまま、平常心で営業運転に戻ったのだ。ぶつけてから1分もたたないうちに!えーインドネシアではそれが普通なの?っていうかそれでいいの??周囲を見渡しても、誰も疑問に思っているふうではない。むしろ、慌てているのは私ひとりだ。後ろの席のお兄さんはずっと音楽を聞いていて、事故に遭ったことも気づいてないような余裕ぶりである。
前方で野次馬していたヒジャブのご婦人方も、いそいそと元いた席に戻り、「面白いもの見たわねー」といったふぜいでおしゃべり再開。えーーー!インドネシア、それでいいの?

まるで事故なんて起こしてませんよって顔で、バスはコタ駅に着いた。全くどうなっているんだ、ジャカルタ。私はなんとか想定内の時間にホテルに戻って、飛行機にも間に合ったけれど、当て逃げされたあの白いセダンは大丈夫だったんだろうか。補償はしてもらえたのだろうか。見届けられなかったのが大変残念です。

当て逃げが一般的かどうかはさておき、インドネシアはあらゆる意味で鷹揚で、悪く言えばいい加減で、でもそういうゆるさみたいなのが居心地のいい理由のひとつだ。それを実感するには、強烈すぎるエピソードである。あの事故だって、当て逃げくらいで済んでよかったが、正面衝突なんてしていたら私だって怪我していたかもしれないし、そこまで体を張ってインドネシアを感じる覚悟まではしていない。当て逃げで済んでよかった、結果オーライだが。

日本にいるとその場で事故処理するのは当たり前のことだ。でもそれでは時間がかかるし乗客の予定もバスのダイヤも狂う。それを見越して「被害を申請してくれれば後ほど弁償します」という画期的な補償システムが……

あったらすごいけど、たぶんなさそうだ。

このときの話をすると、大抵みんな「えー嘘でしょ?」「嘘だぁ」ってにわかに信じてくれないのだが、私だって実際この目で見ていないと信じられない。そして、「そんな話通るわけがない」と思ってしまう日本人は、やはり世界で最もきっちりした国民ベスト5に入るんじゃないかと思う。

#旅 #旅行記 #インドネシア #ジャカルタ #公共交通 #バス #ありえない話

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