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思考と動き 

思考と動き アンリ・ベルクソン 2013(原著は1934)

メモ的に抜粋します。

私の語る直感は何よりもまず内的な持続へ向かう。直感とらえるのは並置ではなく継起であり、内からの生長であり、絶え間なく伸びて現在から未来へ食い入る過去である。直感とは精神による精神の直接的な視覚である。そこにはもはや何ものも介在しない。

直感は知性によってしか伝わらない。直感は観念をこえるが、しかし伝達されるためには観念に跨(またが)らなくてはならない。直感はできるだけ具体的な観念を選ぶだろう。具体的な観念とは、周囲をまだイメージで取り巻かれている観念である。言葉では表現しがたいものを、比較や比喩が暗示するだろう。

しかし本当は、哲学問題であるか否かに関係なく、問題は解決するよりも見いだすことのほうが、つまり問題を提起することのほうが重要なのだ。なぜなら、思弁的な問題は正しく提起されさえすれば解決している。私の言いたいのはこうである。問題の解決は隠されて覆われたままであるかもしれない。しかしそれは問題の提起と同時にすぐに存在している。その覆いを取り除きさえすればいいのである。しかし問題の提起は、ただ単に問題を発見することは違っている。それは問題を発明することなのだ。

人間は本質的に製作者である。自然はたとえば昆虫に与えたような出来上がった道具の代わりに、人間には知性を与えた。知性とはすなわち無数の道具を発明して組み立てる能力である。

知性とは実際何だろうか。それは人間の思考の仕方である。知性はミツバチにおける本能と同様、行為を導くために人間に与えられている。物質を利用し支配するように自然から宿命づけられている私たちの知性は、空間のなかでのみ容易に発展し、無機物のなかでのみ自分を気楽に感じる。知性は本来的に製作を目指し、機械技術の前ぶれをなす活動と科学を予告する言語とによって姿をあらわす。それ以外の原始心性はすべて信仰と伝統の所産にすぎない。それゆえ知性の発達はふつう科学と技術の方面においてなされる。

直感とは、精神が一方では対象としての物質に視線を注ぎながらも、それに加えて自分自身に向ける注意のことである。

人間の本質は物質的にも精神的にも創造すること、事物を製作するとともに自己をも製作することであると私は信じている。

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