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カオスを楽しむ

100人100通りの学び、100人100通りの対応が当たり前になりそうな勢いで時代は変わっています。自分の思い込みに気づいてやわらかく貢献を果たしていきたいです。
さらに多様化していく世界で、価値観のゆらぎを楽しんでいきたいです。

「これからは、とくに秀でた才能もない普通の人たちが、自らをマネジメントしなければならない。したがって、知識労働者たる者は、これまでは存在しなかった問題を考えなければならなくなる。
(1)  自分は何か。強みは何か。
(2)  自分は所をえているか。
(3)  果たすべき貢献は何か。
(4)  他との関係において責任は何か。
(5)  第二の人生は何か。」
 『明日を支配するもの』P.F.ドラッカー著 上田惇生訳 1999年 より

Ⅰ.8期での本質行動学の学びの中から

【方法の原理】 方法の有効性は、目的と状況によって決まる
・目的を明晰にすると方法も明晰になる。
・状況を明晰に掌握することは有効な方法を考えること。
・状況を整理することは方法を整理すること。

【価値の原理】 価値は、欲望、関心や目的に応じて立ち現れる
・ワークグラムを行うと人の関心の多様さに改めて感動します。
・人の欲望や関心は万華鏡みたいにクルクル変わります。以前に言ったことを覚えていて「この人はこういう人」みたいに決めるのは違うと思いました。その時の状況で異なる関心が立ち現れるからです。
・相手のその時の関心に気を付けながら関わりを重ねていくと、お互いがお互いの心を深め、また自分自身への気づきが深まっていくように感じます。
・関わり合う時間の積み重ねでお互いを認識できて、それぞれの生きやすさに繋がり、その先に平和があるのだと思います。

【人間の原理】 すべての人間は肯定されたいと願っている
・自分の関心と相手の関心を、自分自身についてそれからお互いに理解することが肯定への第一歩だと思います。
・人だけではなく、どのような生き物も、少しでも自分に合った快適な場所を求め、お互いに情報交換しつつ、お互いに生かしつつ何億年も続いているように思います。

Ⅱ.改革は静かに、少しずつ
世界に不変なものは無いのですが、人は不変な法則があると思いがちです。
今までやっている事を、変えたくないと思う方も多いです。

方条さんの講義の中で、麻痺と超越は違うという言葉がありました。
・自分の感覚を信頼しないで無理して進む。
・自分の感覚を信頼しないで外にある形を求めて自分をそれに合わせる。
・いずれにしても麻痺に繋がって、負債が身に降りかかります

外にある形を求めてそれに合わせていると、いつの間にか自分と外の形の区別がわからなくなります。そして形や手段が重視された結果、方法が目的化していきます。
日々の問題は、その先にあるいいものを信頼すると問題が消えていくように思います。それには「その先にあるいいもの」がわかっていることと、地道に正しく身体を動かすこと、その両方が大切なのだと思います。
心は身体、胸も腹も声を出しています。大切なのは自分の感覚を感じ取る習慣だと思います。

Ⅲ.循環する社会
「奪い合えば足らぬ、分け合えば余る」という言葉があります。
心の満足を物で得ようとすると、もっともっと素敵なものを追い求めていきますが、自分が素敵なものを生み出すと満足度が高いと思います。素敵なものとは、目に見えない人の繋がりかもしれません。価値観を共有できて、共に体験して学び、成長できる仲間です。

地球の資源について今まではいかに探して使うかに力を入れていたように思いますが、現在は循環させることに価値が高くなっています。
共感が循環する社会、それはファン経済であり、応援し合うことであり、結果として地球を大切にする社会です。
人が地球に存在する前から、生き物は互いに助け合って繁栄してきました。そのことを体験的に感じることができる稲の多年草化栽培や協生農法に参加しています。

Ⅳ.対話の時間を惜しんで対立が解消されないままの社会
話し合いをしている時間よりも物にかける時間が重視されていました。いいものは、体験を共有して話し合いと試行錯誤を重ねる中で、ゆっくりと育っていきます。
今後関わり合う場では対話の時間を大切にして、関心を重ね合うチームにしていきたいです。
いいチーム→いい組織→チームワークあふれる社会へと歩んでいきたいです。

戦争や交通事故は仕方ないものだという構造を構成しているのは人の未熟さによると思われます。経済システムの使い方を間違っているのではないでしょうか。

生き物は生存競争を生き抜いてきたという考えが最近までありました。それが今は、生き物は他の生き物と共生して、自己組織化して、協創してきたという理解に置き換わってきています。自然に敬意を払わずに道具のように使っているとすれば、それは人の心が未熟であるためと思えます。

Ⅴ.自分の頭で考える人が集まる場
日本人の80%の人が自分で考えずに、どこかにあると思っている正解を求めているという話しを聞くことがあります。
正解を自分で作るのはいけないことだと思っている人もいるかもしれないです。
池田先生が「自分の頭で考える人が集まる場だから本質行動学の場は面白い」と言われたのに共感します。

理論を自分で作ることも素晴らしいです。
理論がないと現象を理解できないと言われたことにも共感します。

対話の意義として、どちらかが正解という事ではなく、話し合ってお互いに変わるのがいい対話だと言われたのも共感しました。

Ⅵ.稲の多年草化栽培
1年前から縁あって、稲の多年草化栽培と協生農法畑に参加しています。
稲の多年草化栽培と、協生農法畑は、いずれも「大地再生農業」として共通しています。それは土の中の細菌の働きを活かすため土をかき混ぜない(不耕起)を基本としています。
冬季に田んぼの水を抜かないでいると田んぼ環境に多種多様な生き物が棲息し続けることができます。刈り取りを終えた根をそのままにしておくと、翌年、気温が上昇するにつれて、新しい稲が育ち、再び収穫の秋を迎えることができます。
多年草化栽培のための田んぼを作るためには制約があって、それは冬季でもずっと水が流れている必要があることです。水が滞ると生態系のバランスが崩れて悪い菌が繁殖して腐ってしまいます。慣行農業のように、地域で田んぼの水を管理している所では難しく、湧水を利用できる田んぼであることが必要です。
多年草化した稲の画像です。

多年草化した稲  撮影:石橋直樹さん

Ⅵ.協生農法
協生農法という言葉はソニーコンピュータサイエンス研究所の登録商標です。このマニュアルは、協生農法の理念に賛同し実践を希望する個人に向けてインターネットで公開されています。

『協生農法実践マニュアル』より抜粋します。
編著:(株)ソニーコンピュータサイエンス研究所 舩橋真俊
監修:(株)桜自然塾 大塚隆

「1.協生農法の定義
協生農法とは、無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外一切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして生態系を構築・制御し、生態学的最適化状態(生態最適)の有用植物を生産する露地作物栽培法。

2.協生農法の原理
協生農法は、食糧生産するための生態系自体を作り上げてしまう農法である。生態系を構築するとは、最も端的にはその場所に定着・出入している種多様性を増やすことを指す。種の多様性以外にも、同じ種内でも多様な品種があることで遺伝的多様性が上がり、様々な環境条件とそれに適した植生が定着することで生態系の多様性が上がる。これらの遺伝子・種・生態系の多様性を総称して生物多様性と呼ばれている。

生物多様性が豊かになると、様々な生態系機能が向上する。生態系機能は、気温、湿度、日照量、土壌の有機物やミネラルなどの環境条件を、より多くの生き物が住みやすい範囲に調節してくれる。生態系機能が高まると、より豊かな生物多様性を許容できるため、生物多様性と生態系機能は互いに相乗的に高まる仕組みになっている。生物多様性と生態系機能が高まることで、食糧生産を始めとして人間が生活していくのに必要な様々な生態系サー
ビスを取り出すことができる。
協生農法は、生態系を多面的に活用する知識によりこれら生物多様性・生態系機能・生態系サービスを総合的に向上させ、持続可能な食糧生産と自律的な経済活動を両立することを目指している。

作物は大きくなったもの、混生密度が高くなったものから間引き収穫を行う。収穫は、協生農法において最も主要な管理法である。他の管理作業は収穫のついでに行うことが望ましい。」
(抜粋、以上)

今まで農業は、飢えに苦しんだ時代を経て、しだいに、植物を不自然に肥大させ、物として値段や種を管理するようになってきました。
協生農法は、土の中の環境や植物の力を信じて、自然の一部としての生活を捉え直そうとする営みです。収穫は密になって空気の通りが悪くなったところを間引きするように行い、基本としては、根を残して地上部分を刈り取ります。
これまでに農薬や肥料、種の開発に注がれて来た努力を、地球の健康のための努力に変え、多くの人が少しずつ食の原材料への関心を持つようにすると自然との関わり方に変化が起きてくるように思います。

協生農法畑の一部 イチジクの苗と花の終わった菜花

Ⅷ.カオスを楽しむ

『入門インテグラル理論』  鈴木 規夫、久保 隆司、甲田 烈 2010年 より抜粋
「今日、われわれはいつの間にか自らの存在を経済的な価値を発揮するための機械として捉えるようになっています。勉強とは、自身の価値創造能力を高めるためにするものであり、休息や運動とは自身の機能性を維持するためにするものであり、また、教養(リベラルアーツ)や美意識や耐久性(レジリエンス)とは、労働市場の中で自己の価値を上げるために高めるものと信じているのです。
インテグラル段階において発揮される心身統合の能力とは、このように道具として恒常的な監視下に置かれた心身があげる声なき声に耳を傾け、その訴えを汲み取ることを可能にします。
統合的段階において、人は「頭」で考えるのではなく、全身で考えることができるようになるのです。
自己探究は、「私」の内に気づく希求を探しあて、それを実現するためのものから、この世界(コスモス)が自己に課している課題や使命に気づき、それに応えるためにするものに転換を遂げるのです。」

(抜粋、以上)

10代の頃から、人と自然との関わりはこれでいいのだろうかと感じながら50年を経て、大地再生農法に出会ったことは幸運だと感じています。
動植物の生きる力を信じて、人は最小限に関わり、生命の一部をいただく。
地球で共に生きる仲間としてできる限り資源を循環させて使っていく。
生きていくうえで正解が無いということは、多様な価値観が同時に存在してカオスのように感じられるかもしれません。しかし、地球でのいのちの繋がりとそれぞれの役割を知れば知るほど、いのちはひとつの部分ではないと感じるのです。

カオスとなっていく多様な価値観の世界を今後も見守り、実践して伝えていきたいです。


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