回復共同体
映画『プリズンスクール』を再び観ました。TC(Therapeutic Community)回復共同体というプログラムを実施されている方々、インタビューする映画関係者、参加する受刑者同士の対話のすばらしさに驚嘆します。
人は自分の関心のある事にしか目を向けていないため、歪んだ認知のままに生きています。たいていは適応的に行動して人間関係を保っているので、認知が歪んでいることに気づきにくい。
日常的に虐待を受けていると、「これくらい、たいしたことない」と周りの人に手を出してしまう。そういう世界に生きているから。
この映画の最後に「暴力の連鎖を止めたい全ての人へ」という言葉が書かれていて共感します。
以前このnoteの『生命の網のなかの資本主義』中で、今の社会が収奪によって成り立っていることを書きました。
>「安価な自然」―特に労働力、食糧、エネルギー、原材料という「四つの安価物」―を収奪することから得られる果実に依存しているといえる。
収奪によらず、与えあいで豊かになるための基礎が対話だと思います。
映画の中で「TCに参加して初めて人として扱ってもらえた気がする」と言われた言葉が印象に残りました。その人が何を思っているか、感じているか、考えているかに関心を向ける時間が今は減っているように思えます。
物への関心ではなく目の前の人に関心を向ける。
一方的に奪うのではなく交流する。
サイボウズの青野さんは「チームワークあふれる社会」の実現に本気なのですが、サイボウズの社員さんは実際よく対話されているなあと感じます。
奴隷制と戦争の時代を経て、今の社会は全体として回復共同体なのかもしれないですね。
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