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自らの身体で紙を破る、村上三郎のパフォーマンス

こんにちは、Holly(@__one__01)です。

今回の研究テーマは「村上三郎」と「具体美術」です。

村上三郎(1925-1996)は1950年代に活躍した芸術家で、自身の身体で枠に張った紙を突き破る「紙破り」が代名詞。パフォーマンス・アートの先駆として知られています。

1950年代の日本の芸術

村上三郎が活躍した1950年代と言えば戦後。1950年から1960年にかけては社会や政治における急激な変化を迎えたと同時に、美術家たちが新たな芸術を生み出そうとした重要な時代でした。この時代に村上が所属していた「具体美術協会」が誕生します。

人の真似をするな!「具体美術協会」のポリシー

1950年代に誕生し、関西を拠点に先鋭的な活動を行った「具体美術協会」。

具体という会名は「精神が自由であることを具体的に提示する」という理念に由来しており。近代絵画を継承するのではなく「人の真似をするな。今までにないものをつくれ」という吉原治良の指導のもと、会員の美術家たちによって斬新な作品の発表が続けられました。

足を使って絵を描く白髪一雄、「電気服」を発表した田中敦子、幾何学的な形態を描く金山明、「円」を探求する吉原治良などが在籍しており、1955年に会員となった村上三郎は、参加して間もなく「紙破り」を制作しています。

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「具体」は、第二次世界大戦後フランスを中心に勢いをふるった美術運動である「アンフォルメル(非定型の芸術)」を推進・提唱していた批評家のミシェル・タピエの目に留まり、海外へと進出していきます。

構成主義をはじめとする幾何学抽象が「冷たい抽象」と呼ばれるのに対し、「アンフォルメル」はその激しい感情表現から「熱い抽象」と定義されており、「具体」と類似性がありました。

その「具体」も1968年で終焉を迎えます。

村上三郎が「紙破り」をする理由

なぜ紙を破るのか?そんな疑問が湧き起こります。

村上は常に物質、精神、空間、時間というテーマを考えていましたが、そんな時、当時4歳の長男が障子を突き破る光景を偶然見たことから生まれたのが「紙破り」でした。

「紙破り」という表現は、物質と自らの身体・精神の衝突を通して「生」の実感に向き合おうとする私的で根源的な欲求にもとづく表現行為でもあったといいます。

時間の永続性や物事の必然性と、瞬間の儚さ、偶然性が共存したアプローチは極めて“具体的”でした。

村上の作品は結果として生まれた作品そのものより、作品を生み出す自己の状態の方を重視しており「作品に何か意味があり、それが解るということ、そんなことよりも驚くことが大切であり、あたらしい美の領域をどんどん拡大し、享受することを可能にするのが重要なこととなる」という言葉を残しています。

まとめ

1950年代の日本は、新たな芸術を生み出そうというエネルギーに満ちており、すでに確立されているようなありふれた作品、説明的な作品を嫌い、見たこともない表現が受け入れたれた時代だったのですね。

作品より作品を生み出す自己の状態に目を向ける視点が、後のパフォーマンスアートにつながっていくのだなと感じました。

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