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息子と自転車
最近、息子の自転車の補助輪を外した。
そして、そっと乗れるのを見守っている。
「ああ、あと少しなんだけどなー」
そんな感じでヤキモキするんだけど、後一歩が届かない。
今回の旅のテーマは「転けながら学ぶ」
息子が自転車に乗る練習を見ながら「私の方が」学ばせてもらったことを書いてみたいと思います。
側から見てて気づくこと
自転車の乗り方を意識したことはなかったけど、まだ乗れない息子を見てると色々気づく。
下を見てハンドルがぶれる。
⇒転けるのを怖がってるんだな。
手と足がバラバラになっている。
⇒自転車に慣れてないからだよな。
って色々気づく。そうすると色々言葉がでる。
「前を見てれば転けないから」
「足を付けば転けないから怖がらなくても大丈夫」
そうは言っても、中々伝わらない。
結局、乗るのは息子なわけで、転けそうになったら支えてを繰り返しひたすら見守るしかない。
後少しなんだけどな。うーん、焦ったい。
でも頑張れ!としか言いようがないよな。
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私が私の守護霊(親)だったら
何かに挑戦して、すぐに成功することってない。
だって自転車じゃないけど、はじめてすることはできなくて当たり前だから。
人生はその連続で、はじめてを何度も経験する。
でも、ある年齢を過ぎると「はじめて」が段々煩わしくなってくる。
それは「周り」を意識するからで、既に人がしていることを今更挑戦するのを恥ずかしく感じるからだと思う。
でも、そうやって「置いていく」と、きっと死ぬときに後悔する。
だから私が私の守護霊であれば、とにかくやりたいことはやって欲しいと願うだろう。
そしてこうも言うだろう。
「人の目なんて気にするな。その人達はあなたの人生の責任を取ってくれやしない。」
生きているのは「私」であり、その全責任は私に返ってくる。
それなのに人の目を気にして「挑戦を置いていく」としたら、それは自分の人生を諦めているに等しい。
でも、全て投げ打って挑戦していればこう思うだろう。
頑張れ、きっと上手くいく。
出来るまで大変だけど、きっと大丈夫だから。
見てても変わらないし考えてても変わらないし
「自転車の乗り方」という説明書があったとして、それをいくら読んでも自転車には乗れない。
自転車をいくら眺めたとしても、自転車に乗れることはない。
いくら見ても、いくら考えても、結局乗ってみるしかない。
「人生という旅」は、そんな乗り物ばかりで、とにかく乗ったもん勝ちだ。
でも転けるのが怖いから、転けると痛いからと「人から聞いたり」「ネットや本で知識だけ得て」「あたかも知った気になる」ことが多いと思う。
でも、それは何か違うんじゃなかろうか?
実際に乗って転けた人を「ほら、あんなことになるから乗らない方がいい」と言うことは簡単だ。
挑戦をせず、転けるのを避けて生きていくことはできる。
でも、もし「本当は乗ってみたいんだけど」があったら、それは乗らないといけない。
何故なら「乗りたいけど乗らなかった」記憶を、自分はずっと覚えているからだ。
これは自戒を込めて書くが、それは亡霊のようにずっと自分に付き纏う。
魚の骨が喉に詰まるが如く。
まとめ 転けながら学ぶ
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風景はただ優しくそこにある。
何度も「よし行け!」と息子をポンと押すが、中々上手くいかない。
息子が転けるたび「やっぱり乗れない」と投げ出しそうになる。
「そんなことはない。絶対乗れるよ。」
そうやって何度も練習する。
何かその光景を見てると、教えられてるのは自分のような気がしてくる。
いつから転けることを恐れ、避けるようになったんだろう?
大人になればなるほど、事前に「これは転けそうだな」ってわかるようになる。
変に賢くなって、やったことがないにも関わらずやった気になる。
そしてやったことない同士で集まって、転ける人を馬鹿にする人さえいる。
何とも情けない。
転け続けている人は知っている。
転けることで学べることがある。そしてその先に、今まで見れなかった景色があることを知っている。
言うほど簡単じゃない。それはわかっている。
でも、転けても転けても乗り続けようとするその精神、それ自体が素晴らしいと思う。
少なくとも、、私はそんな人を応援できる人間でありたい。そして出来れば、自分もたくさん転け続ける人間でいたい。
だって乗れなくたって、転けた分だけ学べるから。
人生という旅の醍醐味を、息子の自転車の練習で垣間見た気がした。
ある休日の体験談でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
また次の旅でお会いしましょう。
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