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奇妙な世界を俯瞰して過ごす

俯瞰(ふかん)

最近よく聞く言葉。何だか難しそうに感じるこの言葉、しかし難しいことを書く気はありません。

むしろ、それを用いていかに今の奇妙な世界を歩いていくとよいか?

そんな視点で、今回の旅を進めてみたいと思います。

何だかおかしな世界

もはやニュースが話題にならなくなった。

一昔前なら大騒ぎになったであろうニュースも、誰も触れようとしない。

何か気を遣っているような感じ。

世間では相変わらず何かが流行ってて、最近またマスクする人が増えてきた。

日本にはほとんど情報入ってこないけど、世界は凄いことになってて、はっきり言って今は平時ではない。

だけど大多数の人が興味があるのは、どこの店が美味しいか?とか恋愛、不倫の話しとか、スポーツの話しとかだったりする。

そういう話しは飛びつくけど、何か確信には触れようとしない。

ハリーポッターの「名前を言ってはいけないあの人」みたいな感じなのかな?

禁忌なのか、必死に日常を維持しようとしているように感じる。

私からすれば今戒厳令が出ていてもおかしくない状況なんだけど、そんなことを言うと何故だか「陰謀論者」にされてしまう。

うーん、いくら考えてもよくわからないけど、とりあえず行き着いた答えは「この世界は奇妙だ」と言うことと「それを楽しんでやれ」ってこと。

そうすると、いつの間にスーッとその世界から抜けてしまって、最近はゲームをしている感覚になってしまった。

この話し、普段表では話せないことなので、今回は思う存分書いてみようと思う。

感情を囚われた人と抜けた人

何か最近、いきなりキレる人や怒りっぽい人が増えた気がする。

私はサービス業に従事しているんだけど、急にキレてきた人がいて、それがあまりに酷かったんで「それカスタマーハラスメントになりますよ」と言ったら静かになった。

それとか、やたら車の運転が荒くて車内で怒鳴ってる人だったり、店内で機嫌悪そうに舌打ちしている人にもたまに遭遇する。

一体何が彼らをそうさせるのか?

私にはバグったロボットに見えるけど、皆にはどう見えてるんだろう?

反対に、少数だけどめっちゃ楽しそうな人もいる。

この違いって、多分「情報だけ取っている人」と「行動している人」の違いで、一日中TVを見ている年配の人はバグってる確率がかなり高い気がする。

逆に何かしたいことがある人って、機嫌悪くしている時間すらもったいないはずなので、結果的に楽しそうに見えるんだろう。

TVであれネットであれヴァーチャル世界に生きている人と、リアルの世界に生きている人、この二種類が混在しているから今奇妙な世界になっている。

更にややこしいことに日本は表の情報は嘘八百、ネットの世界はまだマシだったけど、最近はAIによる煽動が激しくなってきているもんだから、もう何種類もの洗脳された人間が跋扈している状態。

もうね、そんな世界抜けた方がいいですよね。

百害あって一理なし。

私の世界との接し方

私はかなり現実的な考え方をする。

何に対しても否定も肯定もせず、自分に取ってメリット、デメリットがあるかどうか。

「人の目」とか「常識」を考えてしまうから、不可解なことに自ら足を突っ込んでしまう。

私は人によっては冷たい人間に見えるだろうけど、基本的にそんな感じで生きている。

それでいて最近顕著なのは、この奇妙な世界に適応する為に自分をアップデートし続けた結果、自分が「そこにいてそこにいない」感覚になってしまった点。

どういうことかわかりづらいですよね?

表現が適正かわからないけど、私が知っていた人間は大多数ロボットになったような感じ。

特に今はマスクで顔が見えないから、尚更そう見える。

つまりゲームをしているような感じ。Aボタンを押したら反応するし、押さなければただの村人。
(村人は同じことしか話さない)

世間ではいつも何か事件が発生していて、それが人工か自然かとかどうでもよく「イベントが発生した」という感覚。

そこにフォーカスしなければ、それはあってないようなもの。

だって実際に目で見て体験しなければ、それが事実かどうかわからないし、今の映像技術はあまりに精巧で見分けがつかない。

どこからどこまでが事実で、どこからが虚実なのか。

だからこそ、なるべく多くの人間を取り込む為に耳障りの良い言葉が利用されている。

「命を大切に」「誰一人取り残さない」

これは悪魔の手法で、人間が反応する言葉を使っている。

世界はどこまでも奇妙で狂っている。

まとめ 奇妙な世界を俯瞰して歩く

真実を知ると大抵の人はショックを受ける。

今まで教えてこられたことは嘘だった

だから今多くの人が目をつむり、耳を塞ぎ、必死に今までと同じ世界を生きようとしている。

でもそれももうあと少し。いずれ気付くし、切り替えは早い方が良い。損切りをいつするか、もはやその段階だ。

私は2020年に気付き、備えを進めている。

でも情報収集と考えを整理するだけでも一年かかったし、楽しいことではなかった。

ただ辿り着いた答えは、結局は自分がどう生きるか「狂った世界とどう向き合うか」これだけだ。

そうしていくと、私は俯瞰して過ごすことが一番多角的に物事が見れて良いとの結論に達した。

私のような発信は今は少数派だけど、数年後爆発的に増えるだろう。

何故ならパンドラの箱が開いてしまった以上、
虚実の世界のことなど興味がなくなるから。

真実と掛け離れたこの世界は狂っており、そして奇妙だ。そしてこの奇妙な世界で、真実を知っている少しの人間が多くの人間を取り込もうと躍起になっている。

だからそれも俯瞰する。

一体その情報はどこの誰に利益があるのか?

それが進むと誰が得するのか?

結局、私達は何を体験する為に今ここにいるのか?

鳥は飛ぶことを考えず飛んでいる。

魚は泳ぐことを考えず泳いでいる。

人間に備わった「考える」は唯一人間のみに備わったもの。

一体何の為に?おそらくだが、それは「世界を創造する為」ではなかろうか?

今までは一部の人がそれをやっていた。

でもこれからは、誰もがそれをできる。

そこへ行く為には、私は一歩引いて俯瞰することが、最強の武器になる気がしている。

戦略家はどんなときも感情的にならない。

私達一人一人が世界を創造する戦略家。

そんな風に空想すると、これまたこの奇妙な世界も楽しく生きていけそうです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

また次の旅でお会いしましょう。

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