ナイジェリア_002

恐ろしいナイジェリアと賄賂地獄チャド

ニジェールのザンダールからはナイジェリアのカノへ。
このナイジェリア、アフリカで最も評判が悪いといっても過言ではない。隣国のアフリカ人ですら恐れる国なのだ。みんな危ない危ないと言うのだ。

ベニン人は言った「嗚呼、ナイジェリア、ひどい国だ。アフリカで一番危険な国だ。あんな国大嫌いだ。隣の国だけど、あそこには二度と行きたくない。」
ナイジェリアに行くというガーナ人はこう言った「俺はビジネスであの国に行くんだ、でもあんな危ない国は一時間といないね。仕入れをしたら真っ先にベニンに帰ってくるよ。なに!ナイジェリアに行くって?お前みたいな白いやつが行ったら持ち物全て盗まれてしまうよ」
そしてガイドブックにはこう書いてあった「ナイジェリア人は命がけで強盗をするので、強盗にあったら決して抵抗しないこと」

前評判はまったく良くない上に、ついこの間もミスコンに反対した過激派ムスリムによって数百人がこのカノの近隣で亡くなっている。
緊張しながら、周囲をきょろきょろしながら、ナイジェリアに入ってからは現地の人に「俺の国どう思ってる?」とやたら聞かれる。
「隣国のみんなが危ないって言うんだよー」と言ったもんなら、逆切れもいいところ。「俺の国はアフリカで一番ナイスなんだ!」と怒られる。「他の国のやつらは嫉妬しているだけだ!」と。


カノはナイジェリアのムスリムの中心地。モスクが非常に多く、チャドルを纏った女性にムスリムの衣装を着た男性がとても多い。アラビアからサハラ砂漠を超えて、ブラックアフリカまでやってきたムスリム教を感じられて感慨深い。アラブの国々では普通に感じていた早朝のコーランが、このアフリカで朝4時に鳴り響いているとは想像だにしていなかった。今は断食月で日中は食べ物を見つけるのが難しい。

そもそもナイジェリアで観光がしたかったわけでもなかったので、仕方なくお邪魔しては逃げるように隣国のカメルーンへ。100kmだけ北部をかすめ、チャドの首都を目指す。その名はンジャメナ。しりとりで「ん」で始まることのできる貴重な単語がこのンジャメナ。ここにはスーダンビザが果たして取れるのか確かめにきたのだ。ガイドブックも旅人の情報でも、スーダンビザを西アフリカで取得するのはほとんど不可能となっていた。

すなわち西から東への陸路横断は事実上不可能ということになり、実際カメルーンやガーナあたりから東アフリカへと飛ぶ旅人が多かった。
たとえビザを取得できたとしても3週間待たされると聞いていた。でも僕は3週間待ってでもビザが欲しかった。陸路での横断をこんなとこで断念したくないのだ。それなら申請中にのんびりとカメルーンで待とうかと思い、チャドの首都まで来たのだった。

カメルーンの出国イミグレーションは温和。
しかしチャドのイミグレ。書類に記入し終わった後、係官は 「3,000CFA(600円)」
と言った。もちろん賄賂である。
拒否すると
「じゃあ、スタンプ押してあげないからもう出てけ出てけ」と言うのである。困りにながら粘り続けると(とにかく賄賂はビタ一文でも払いたくない、という謎の正義感)隣の部屋に通されて無事スタンプを押してもらった。
ついで税関。ここでも当然のごとく賄賂請求「2,000CFA!」もちろん却下。すると彼は「じゃあペンでも なんでもいいからくれよ」ときた。
疲れイミグレを出てゲートまで行くとまた警官に呼び止められる。
「 1,000CFA 、ここを通るやつはみんな払うんだよ」
もう言葉も出ない。

バイタクもタクシーも、ジュースやさんもサンドウィッチもみんなボルボル。ゼロが一個多いよ。どうなってんだろう、チャド・・・
真っ先にスーダン大使館へと向かった。これがまた、あっさりとビザを同日に取得。これが「スーダン人って Too Kind って聞いたから是非いってみたいんだよ」と局員を誉めちぎったからくれたのかは不明なのだけど。

こうしてあっさりと予想外にスーダンビザを入手したものの、すぐには向かわずに再びカメルーンに戻り南下することにした。西アフリカの最高峰、カメルーン山に登るために。


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