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Africaを一年間旅する

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2002年から2004年まで、約一年かかけて旅したアフリカ旅行のアーカイブ
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#辺境

北アフリカ最高峰に登る

モロッコの最高峰トゥブカル山に登ることにした。 マラケシュから登山のベースとなる街、イムリル(Imlil)へと向かう。ここにもボリ男たちがいて現地人の1.5倍くらいのお金を請求された。モロッコはどこへ行ってもそうだ。5円10円でもボッテくる。毎日ダンコとしてボリ男と戦っているが、それでも毎日ぼられている(笑)。 今回の登山は地図もなし、ガイドもなし。日本の常識ではそんな状態で4,000m峰に登るなんて無謀だが、まあ簡単だってガイドブックに書いてあったし大丈夫だろう。 イムリ

スペインからアフリカへ

スペインの港町アルヘシラスから3度目となるジブラルタル海峡を渡る。左手にはイギリス領ジブラルタル、右手にはヨーロッパ最南端タリファを望む。どちらも5年前に訪れた町だ。港を出るとすぐに、遠くにアフリカ大陸が霞んだ。イルカが僕のアフリカ行きを歓迎するかのように、ジャンプをしながら船に併走していた。 3時間後、船はモロッコの港町タンジェへと入っていった。忘れもしない Shit City。5年前、偽ガイドに危うく睡眠薬を飲まされそうになった町。船から一歩出るとそこには大勢のアラビア

シベリア鉄道に乗ってアフリカへと向かう

2002年8月27日早朝、列車でピレネー山脈を越えた。すると急に車窓から光が差した。目をやると、そこには朝日に輝く地中海が見えた。 今日地中海と再開した。あの向こうにはアフリカ大陸が横たわっているのだ。またスペインに戻ってきてしまった・・ モンゴルから僕はモスクワへと向かった。シベリア鉄道である。モスクワまでモンゴルから101時間、4泊5日。ステップの大地を走り、世界一大きい海のようなバイカル湖を過ぎ、タイガの森を突き抜けた。 なんて贅沢な時間なのだ!と最初は思った。5日間

日本から中国、そしてモンゴルへ

2002年7月18日、自宅を出発した僕は大阪行きの夜行バスに乗っていた。大阪から中国行きの船に乗船するためだった。行き先は上海。本来なら天津行きの船に乗るはずであったが、予定の船が台風に計器をやられてしまい、急遽行き先を上海に変更せざるをえなくなったのだ。上海まで船で50時間。そこから1200キロ離れた北京へ。 北京からはシベリア鉄道でモンゴルのウランバートルへと向かう。 あまり知られていないかもしれないがシベリア鉄道には3つのルートがある。 どれもモスクワを目指すことは変

きっかけ

「フロンティア」「未開」「秘境」 ワクワクするそんな言葉が大好きだった。 フィリピンに行ったときも、ガイドブックに「最も未開の地はパラワン島」と書いてあっただけで、そこに行くことを決めた。アメリカではアラスカ、日本では知床、シリアでも、ヨルダンでもエジブトでも、僕は秘境を欲していた。 そんな僕にとって、最も未知でもっともエキサイティングな地であり続けたのが、心の中のアフリカだった。 アフリカ大陸を旅するのが夢だった。イスラム教徒がメッカに特別な感情を持っているように、いつか