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NOTE2回目の投稿はマルク・マルケスの速さについて書きましたが、そういえばと思い出した記事があるので、それをアップしますね。これは2013年にマルケスが新記録を樹立したときに書いたものです。すでに自身のホームページ(現在休止中)に掲載した記事ですが、「マルケスの速さ」を書いた2回目と併せて読んでいただきたいと思います。


タイトル「マルケスが新記録を樹立した日・・・」

 4月21日に米国テキサス州のサーキット・オブ・ジ・アメリカ(COTA)で行われた第2戦アメリカGP決勝で、デビュー2戦目のマルケスが初優勝を達成した。20歳と63日での優勝は、1982年7月4日にスパ・フランコルシャンで開催された第7戦ベルギーGPでフレディ・スペンサーが樹立した20歳196日という記録を31年ぶりに更新するものだった。

 こういう大記録を達成したのだから、当然のように、あっちこっちそっちでこのレースで優勝したマルケスのことを書くことになった。トーチュウ(東京中日スポーツ)は勿論のこと、トーチュウWeb、Numberにライディングスポーツ・・・。写真は、違うカットをクライアントに出せば仕事は成立するが、原稿はそうはいかない。あれやこれや工夫や趣向を凝らして、同じ材料なのに違う料理にしたてあげなくてはいけない。それがプロのライターの仕事なのだが、実に大変なのである。

 しかし、マルケスは大好きな選手のひとりなので、キーボードを叩くリズムがいいので助かった。彼の達成した偉業は、もう何度も書いてきたけれど、本当に素晴らしい。スポーツというのは、勝ち負けは勿論のこと、記録がとても重要になる。スポーツ新聞など、記録だけがちゃんと載っていれば、それで成り立つと言っても過言ではない。それが31年ぶりの大記録達成となれば、どんな賞賛の言葉も惜しまないことになる。

 思えば、昨年の11月、バレンシアでマルケスのモトGPマシン初テストを見たときに、もしかすると、マルケスは、スペンサーの記録を破るかも知れないと思った。そんな予感がびびっと来たのだ。それからもマルケスの進化には目を見張るものがあった。深いバンク角は誰にも負けないし、肘を擦って走るのが普通のテクニックになり、尻を擦るのも時間の問題である。マルケスは、類い希なセンスとバランスの持ち主だった。

 しかし、スペンサーを初めて見たときのようは驚きはなかった。その理由はあとで書くが、いまに比べるとスペンサーの時代は、いろんなことがわかりやすい時代だったからだ。スペンサーを初めて見たのは、84年のオーストリアGP。ここでは詳しいテクニックのことは書かないが、まさに常識外れのテクニックを使って走る天才ライダーだった。というか、そういうことが出来る時代でもあったのだ。

 いまのモトGPマシンは、スペンサーの時代ほど、ライダーのテクニックがリザルトに占める比重は大きくない。同じタイヤを装着し、驚くほど進化した電子制御でマシンはコントロールされている。つまり、1秒の差は永遠に縮まらないのだが、そんな進化したマシンをマルケスは、驚くほどのスピードで理解し、速く走らせることに成功した。開幕戦カタールGPでは、もうひとりの天才ライダーのロッシとバトルを演じた。大記録を達成したアメリカGPでは、今年のチャンピオン候補のペドロサとロレンソを振り切った。現在のモトGPクラスのマシンとレギュレーションでは、文句なく、31年ぶりの天才ライダーの出現と呼ぶに相応しいリザルトである。

 そんなレースだったが、面白いことに、選手もチームスタッフも、記録には興味がないと語る。それはそうだろう。選手もチームスタッフも、記録のために戦っているわけではないからだ。しかし、語り継がれるのは、勝利したレースではなく、記録なのだということを、ずっと先になって知ることになるのだ。

 アメリカで大偉業を達成したマルケスは、母国スペインのバルセロナに帰って大歓迎を受けた。そのときに彼は「モトGPで勝つってすごいことなんだね」と語った。確かにすごいことだけど、その大歓迎の本当の意味を知るのは、もっともっと先のことなのかも知れない。

 カタールGPを終えたときに僕は、マルケスは、スーパースターの階段を登り始めたと書いた。それが2戦目にして大記録樹立。第3戦スペインGPでも2位表彰台に立ち、デビュー3戦連続表彰台最年少記録を樹立した。マルケスはどこまで駆け上がっていくのだろうかと思った。

 この写真は、アメリカで優勝したときのものだ。表彰台のてっぺんでマルケスは、何を考え、何をみていたのだろうか。この顔が僕は大好きである。


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